電波戦隊スイハンジャー#162 翠玉1
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
翠玉1
思惟がうっ…とのけ反って足元のスクリーンから一歩下がった。
「どうしたの?」ツクヨミが思惟の前に出るとスクリーンには異形の男の顔が大写しになっている。
(悪いがここから先は構わないでくれるかな?)
蕩けるようなバリトンボイスが、奥の院の結界内にいた全員の脳内に響いた。
端正な顔は白い産毛で覆われていて、昆虫のような複眼をした紅い瞳。白黒の長い髪を画面中にばらつかせて千手観音はわざと恐い顔をしている。
危険を直感した思惟は、自分の方から追跡を中断した。足元のスクリーンがふつっと消えて思惟がかたわらの主人に詫びる。
「申し訳ありません…0.3秒後に千手観音さまの精神攻撃を予測致しました故」
思惟の横顔は珍しく恐怖と口惜しさで強張っている。
「あんたが怯えるのは何千年ぶりかしら?」
ツクヨミは思惟の肩に手を置いて助手の労をねぎらった。
それにしても仏族に仕える千手観音さまが攻撃を警告するとは…
「観音族は本気だ」
神野はこめかみを抑える思惟とツクヨミの背後に寄り
「ここはひとつ観音族に任せて待つしかなかろう?」と二人の後ろで床几(しょうぎ・折り畳みチェア)を二つ広げて座るように勧めた。
ツクヨミが「あ、ありがと…」と戸惑いながら腰を下ろして後ろを見ると、菜緒、光彦、勲、とカヤはすでに床几に腰を下ろして紙カップに入れた玉露を執事服を着た青年に振舞われてすっかり落ち着いてしまっている。
「業平まで連れて来たの!?」
「荷物の搬送は私ひとりでは無理だし、別働でミュラー邸に出かけスミノエどのときなこどのを連れてきてもらったのだ」
執事業平は実に人当たりの良い笑みを浮かべて「どうぞ栗ようかんでございます」と騒動に巻き込まれた子供と大学生を丁寧に接待している。
「お茶もお菓子も美味しいね~」「業平さんって聞いた名前だね~」「伊勢物語の主人公みたいや~」
と接待の対象を「脳みそのほほん状態」にするのが彼の特技なのだ。
カヤと小人親子は土下座から解放されてとりあえずほっとした顔でお茶を飲んだ。
と、いう事は…
「あんた今起こっている事マエストロに全部知らせちゃったの!?
家を違法改築して小人が基地作っちゃったことも、葉子ちゃんが失踪しちゃったことも?」
「子供の失踪は保護者に報告義務があるだろう?」
自分何かした?って言いたげな顔で神野は答えた。
「あんたって男は~!!!」
ツクヨミはブチ切れて神野の襟首掴んでぶんぶん揺する。怪訝な顔で神野は執事、在原業平に尋ねた。
「業平、私に落度はあるか?」
「それは旦那様のお胸にお聞きくださいませ」
執事業平は形だけ畏まりながら冷たく答えた。
「お父さん私ね、お腹に子供が出来たの」
とエメラルドのような深い緑色の瞳をきらきら輝かせて我が娘、クリスタはそう告げたのだ。
2000年の1月の三が日を過ぎた頃である。窓の外では小雪がちらほら舞っていた。
最愛の孫、葉子の「存在」を知らされた瞬間を自分は死ぬまで忘れないだろう。
歌人・執事 在原業平
クラウス・フォン・ミュラーは10分ほど前にいきなり家に押しかけてきた執事姿の若い男から貰った名刺を何回も繰り返して見ては
両のまぶたを押さえて自宅リビングの革のソファーに身を沈めた。
隣に座る妻の孝子は気持ちを静めようと紅茶に口を付けるが、手の震えが起こってカップとソーサーをぶつけてかちかち鳴らしている。
「落ち着かんのはわしも同じや」
とクラウスは相手をなだめるのと自分を落ち着かせる両方の目的で妻の肩を抱き寄せた。
上條孝子はナリヒラと名乗る若者から
「お孫さんが失踪なさいました。全責任を持ってここにお連れ致しますから待機して下さい」と急に告げられ、キッチンの床下収納を勝手に開けられるとそこには…
SF映画で見たようなモニターが収納の壁一面にはめ込まれた何かの研究施設?がそのままドールハウスになったようなミニチュアの部屋。
床下研究室で作業をしていた三人の小人たちが、気まずい表情でこちらを見上げていた…。
「15時58分に対象『消失』、16時18分に高天原族のホストコンピューター思惟さまが対象の捜索目的でセッション中です」
髪をみずらに結った小人が幼い声でバンダナ頭の小人、松五郎ときなこ親子に報告を続け、業平が猫でも呼ぶようにちっちっちと舌を鳴らして、
「スミノエ様、年貢の納め時ですよ」と意地悪な笑いを浮かべて小人親子を肩に乗せ、連れ去ったのだ。
8月に「怨霊」に取り憑かれた葉子とヒーロー戦隊に変身した若者たちに戦いの際に大天使ウリエルの乱入でこの邸の上半分がぶっ飛んだ。
その後、夫妻は怪我した葉子の手術に付き添っていたので詳細は分からないが、戦隊メンバーで旧友の息子、聡介が「たぶん何かの魔法だ」とざっくり過ぎる口調でミュラー邸は完全修復されたのだ、と説明されたが…
「まさかその時違法改築して、小人たちの研究施設を床下に作っていたとはな!そこで葉子を観察していたとはな!
見てみい、嫁さんえらいパニック起こしとるやないか」
と一体残されてテーブルの上にちょこんと座って4分の一にカットされたあんぱんを頬張っているみずら頭の少年の小人、清麻呂に八つ当たりでもしないと心配が治まらないクラウスであった。
「大丈夫です」と清麻呂は空いたミルクポーションに注がれた紅茶を飲み干してから自信満々に言った。
「ご先祖の千手観音さまのことですから、葉子さまをなるだけ早く丁重に御返しなさることでしょう」
「なんやて!?」
「あれ、知りませんでしたか?葉子さまはこの世に救済をもたらす観音族の子孫なのです…ってまろはフライングしたのかな?」
清麻呂の顔は明らかにやべっ、言っちまったよ…という後悔で引きつっていた。
愛ぐし子孫、榎本クリスタの娘榎本葉子よ。
君は自分が何者かを知る時が来た。
そのために我々観音族がどうして仏族になったか話しておかねばならない。
我々は、遠くの銀河の小さな緑豊かな星で平和的に暮らしていた少数民族だった。
宇宙のどの生き物よりも強力な精神感応力でお互い共鳴し合い、一族特有の全体意識を持って行動していたから、争い事を起こさないのだ。
「全体意識って?」
ひこと並んで千手観音一家が住まうツリーハウスの床に座った葉子が尋ねると千手観音は目を閉じて自分の意識を葉子の意識と直結させた。
…分かる。千手観音のおっちゃんの隣で話を聞いているお妃の十一面観音さんが親愛と懐かしさを持ってうちを見ているのを。
同時に葉子は、森林の集落のツリーハウスに戻った他の観音族が何を考えているのかも!
「なるほど、お互い考えること通じ合っていたら誰かの悪い思考も読み取られて悪さする前に止められるわ」
そういうことです。と千手観音はくすりと笑って言った。
私達は長い間誰にも知られずに仲間も、生き物も殺さずひっそりと生きて来た…
葉子よ。外部の力だけを頼って生きて来た種族は、平和的に生きている種族の存在を気に入らず、殲滅を考えるまでに憎むこともあるのだよ。
ある日、異星から来た種族の侵略を受けそうになり、何度観音族特有の念動力で追い払ったか数えるのも煩わしいほどだ。
うちの力も、お母ちゃんから与えられたものや。と葉子は自分の両の手のひらに目線を落とした。
うちはこの力で知らずに何人も傷つけてしまった…
侵略者たちは執拗だった。鉄の車や熱の光を出す武器で森は焼き払われ、多くの仲間たちが傷つき死んだ。
私達生き残りの観音族33人は、最後の手段と先祖が昔作ったと言われる円形の石舞台に登って…
星ごと侵略者と共に蒸発しよう、と決めたのだ。
観音族がつとめて平和的に生きねばならない理由は、一人で星一個消滅させる程の強力な力を持っていたからなのだよ。
これまでか、と思って私は一族を見回した。男は皆傷ついて、女子供を庇っている。
何故、誰も傷つけていない我々が滅びを選択せねばならぬのか…
もはやこれまで。
と観音族の全体意識が作用した時、
そこで諦めていいのですか…?
と何処か遠い空の果てから声がしたのだ。
誰なのだ!?
と私たちは全身の毛を逆立てて声の主を探った。
仏法に帰依するなら、あなた達は生き延びられます。
ブッポウ、という聞いたこともない単語を聞かされ、私たちは困惑したが、侵略者の部隊はすぐそこに迫っていた。
生さえも放擲しようという諦めよりも
生きたい。
という望みが全体意識として作用したのかもしれぬ。
私たちの全身が白い光に包まれて一瞬後には花の咲く池のほとりに観音族全員が寝かされていた。
ああ、自分たちは星ごと吹き飛んで死後の世界に来たのだと皆が思った。
だけど違った。池のほとりで褐色の肌の青年が足を組んだ特殊な座り方をしながら汗だくになってこちらを見ていた。
「貴方がここに私らを呼んだのか、あの声は貴方か?」
「ああ間に合った…異星人一族ごと次元転送させるのは初めてなんで結構疲れました。私はゴータマ・シッダールタ。弟子たちはブッダと呼んでいました」
シッダールタという青年は、褐色の肌をした侍女から黄色い果肉をした実(マンゴーというそうだ)を受け取ると、
子供のようにむしゃぶりついてから
「生きたいというあなた方の願いに応えて、近くの星に移住させます」
と観音族の地球移住計画をさらりと言ってのけたのだ。
後記
思いっきりフライングした清麻呂。観音族地球移住計画の始まり。
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