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嵯峨野の月#135 観月


第六章 嵯峨野18

観月

平安初期の日ノ本は、誰の子に生まれたかでその後の人生が大体決まってしまう厳然とした階級社会であった。

貴と賎。富と貧。

そして勝ち組と負け組。

という対極する二種類で人間は分けられていてそれを仕方のないことだ。と疑問を持つことも憤る事も無く民たちは今いる環境の中で死ぬまでの期間を生きたこの世情で、

かつての政変の負け組として処刑された南家の藤原巨勢麻呂ふじわらのこせまろの孫に生まれ、

「五男として生まれたお前はどう頑張ってもせいぜい地方官どまりで終わる人生なのだから悪事をせずに生きて行くだけでいいのだよ」

と最初から野心なんて持つな。と同じ意味の言葉を父の真作からかけられて育った子供の名は藤原三守ふじわらのみもり

生まれる前から負け組の人生が確定されていた彼は五歳の頃、時の天皇であった桓武帝に目をかけられ、

「やあ賢そうな顔の子だね…三守よ、もうじき三才になる我が皇子の遊び相手になってくれないかなあ」

と請われた事で彼の人生は神野親王こと嵯峨天皇という強い光に手を引かれ、平城上皇が起こした政変や遷都と蝦夷討伐による財政逼迫などいくつもの難事を乗り越え異例の若さで出世を重ねた。

「後手である白石を持たされて生まれた貴方はとうとう右大臣にまで登り詰めて盤上に残りましたなあ」

と悩んだ末に黒い碁石を盤上に置いたのは三守の長年の碁の友である伴雄堅魚とものおかつお

若い頃より碁の腕に優れていた彼は腕を磨くために遣唐使として空海、橘逸勢と共に海を渡り本場唐でいくつもの妙手を体得して今では天皇の碁の師匠として宮中に務め、身分では無く自分の実力で出世した稀有な貴族である。

承和七年六月末、淳和後上皇崩御で都じゅうの貴族が喪に服している最中のことである。

右大臣藤原三守は白い碁石をためらいなく盤上に置いてから、

「私の人生のほとんどは嵯峨野の上皇さまに引き立てて頂いた、運がいいだけのものだよ。
上皇さまの果敢なご決断に従うまま生きて気がついたら今こうしてあなたと碁遊びをしている」

邸の外では梅雨の雨がぱらぱらと小石が降るような音を立てて縁側を打つ。

盤上を見つめてあと三手先で自分の勝ちを確信した雄堅魚は自信たっぷりに黒石を置いたが珍しく不敵な笑みを浮かべた三守の次の一手で瞬く間に石を取られ、どの石も動かせない状態に置かれた。

その一手は長年の何千もの対局を勝ち抜いて来た雄堅魚でさえ今まで見た事もない妙手であった。

「雨が降るたびに体が芯まで冷えて骨の髄まで痛い。雄堅魚どの、私はたぶん、この夏を越せない。だから南家に伝わる最後の妙手を今、見せたよ。忘れないようにね」

それは碁の名手として知られる三守の曽祖父にして藤原南家の祖、武智麻呂から子孫にだけ伝わる必勝の一手。

「伴の雄堅魚、最後の一手しかと受け取りましたぞ」

と雄堅魚は涙声で碁盤の前にひれ伏し、三守人生最後の対局で家司の肩にもたれて病床に戻る好敵手を見送った。

人生如棋,落子無悔
人生は棋のようなもの、待ったなし。
季分子

梅雨が明け、夏の花が蕾を開かせる頃に三守はいよいよ危篤状態になり、坂上田村麻呂の娘をはじめとする側室たち、
有統、仲統、有方、有貞、貞子、睦子の我が子ら、そして睦子の夫小野篁を枕辺に寄せて最期の時を迎えようとしていた。

「いいかいお前たち…この南家から大臣になった者はたぶん、私が最後だ。
この先家を潰したくなかったら決して南家から皇后を出そうとか大臣になろうとか、

過ぎた野心を抱くんじゃないよ。

私の人生も上皇さまの学友に選ばれて引き立たられたおまけのようなものだからね。

人は勝ちとか負けとか、幸運とか不運とかで人生を断じるけどね。それは全ての存在に対する不遜というものだ。

生きているその時その時を有難く受け取り、生から死までのあわいを漂ってるくらいでちょうどいいのだよ」

枕頭でこれが最後、と思った三守は庭が見たいと言って御簾を巻き上げさせ、

枕頭で顔だけ傾けて開いたばかりの白百合が香気を発する夏の庭を見ながら「ああ美しい…」と鼻腔に流れ込む草花の香りを堪能するとやがて穏やかな笑みを浮かべて床を取り囲む者たちの顔一人一人確認してから、

「お前たちと家族になれて幸せだったよ」

とはっきりした声で伝え、そのまま息を引き取った。

承和七年(840年)七月七日。

藤原三守薨御。享年五十六。

最終官位は右大臣従二位皇太子傅。即日、従一位が追贈された。

その人柄温和で慎み深く一方で決断力もあった。
詩人を招いて親しく酒杯を交わしたり、参朝の途中で学者に会った際は必ず下馬して通り過ぎるのを待つ身分を問わず敬意を払う姿を語り草にした都びとは

実に得難い御方を失ってしまった。

と貴賤問わず彼の死を惜しんだ。


蒸し暑い夏の夜、大きめの蛾が灯火を目指して入り込んでたちまち燃えていくのを、室内で寝転んでいた貴人の兄弟の弟のほうが

「やれ、飛んで火に入る夏の虫とはまさにこの事。身の危険も解らず光を求めて行くとは哀れな…」

と悪臭を発して燃え尽きた虫をやけにじっと見つめながら言う。それを聞いた兄の方は、

「おい…服喪の最中さなかに死にゆくものにあまり気持ちを向けるものではない。魂を持っていかれるぞ」

と女房を呼んで灯火を交換させ、先程の死の穢れを払拭させるように室内に香を焚いた。

眠れぬほどの暑さの中、既に二人とも衣を上半身脱いで袴だけという恰好で色白でしなやかな裸体の背中を床につけ、藤原常嗣、淳和後上皇、そして右大臣藤原三守と貴人の薨去が立て続けに起きこの年の夏じゅう都の貴人たちは喪に服して自邸に籠りきりでいる。

「ねえーぇ兄上、いつまでも死者を弔い続けるばかりでは気が滅入るから生きているものの話でもして活気を取り戻しませんか?例えば色の事とか」

と弟の方が床に腹ばいになったまま顔を上げて言い、兄の方は「なるほど、つまりは女人か」とにたりと笑みを浮かべた。

この兄弟の名は在原行平と業平。阿保親王の皇子に生まれ、幼い頃「在原」の姓を賜って臣籍降下し、

ことし二十二才の行平は蔵人に任ぜられ、十五才の業平も天皇の警備職である左近衛に身を置いて共に仁明帝に眼を掛けられている将来有望な若者である。
のだが…

二人とも生まれついての美貌と

「だだ頭の中に歌が降ってきてそれを詠んでいるだけの事ですよ」

と言ってのける程の和歌の才に恵まれていながらもそれを宮中での吟詠よりも女人との逢瀬の方に発揮し、今通っている女人の数、両の手の指でも足りぬ程の好色ぶり。

そのせいで高貴の家は
「後宮に召し出す前に娘を在原兄弟にお手付きにされてはたまらぬ!」
と夜は固く門扉を閉ざし、

中流の地方官の妻や娘たちは夫や父の単身赴任中に平城帝の孫という高貴な血筋の殿方でその上眉目秀麗な在原兄弟との逢瀬を愉しむという、

実に不道徳の極み。

な行為なのだがこのように風雅を極めた傑出した遊び人が登場するのも嵯峨朝以降安定した治世が三十年以上も続いている故の、

平和な時代の産物と言えよう。

それからの兄弟はにやにやしやがら互いに女人から貰った結び文の数比べをしたり、

兄は兄で、
「やはり、家人の訪れも少なくうら寂しい家の中におや、これはまた。という位美しい未亡人やら薄幸な娘がいて夜毎寂しさをお埋めしてあげる事が夜這いの醍醐味だと思うのだよ」

弟は弟で、
「私はやはり自分より格上の姫を歌で心ときめかせてこっそり自分にだけ気を許し、文通を重ねた末に側仕えの女房に手引きされて邸の暗い廊下を分け入って寝所でうつむく姫のお顔を隠す団扇を外す瞬間ときたら!思い出しただけでも背中がぞくぞくしてたまらないものですよ!」

と「我が夜這いの醍醐味」を語り合いながらへらへら笑っているところで…

首筋に冷たく細長いものを急に押し当てられて背筋を凍らせた。

「…さっきからあなた方ご兄弟の不埒千万な会話を聞いてこの賀茂の志留辺しるべ、我が主ながら情けなや。夜離よがれされて棄てられた女人がたに代わってあなた方を成敗致します」

背後から強い怒気をはらんだ志留辺の、その一声で部下たちを従わせると評判の朗々とした声が降りかかる。在原兄弟は舌の根が渇いてもつれ、目線を動かすことも出来なくなる。

続いて目の前の几帳が乱暴にめくり上げられ、現れたのは真言宗の高僧真如こと在原兄弟の叔父でことし四十一才の高岳親王。

剃髪のこめかみをひくつかせて本気で怒っている高岳は「我が甥ながら情けなや…」と大仰に嘆息するとさらに几帳の中に呼び寄せた団扇で顔を隠している貴婦人に向かい、

「残念ながらご子息がたの行状は度を過ぎた邪淫という他ありません。

そこにいる賀茂志留辺はエミシの戦士の息子で検非違使の中で最も賊を検挙した凄腕の武官。

逃げられないのはあなた方がよおっくご存じの筈。阿保親王家の恥をそのお命で濯いで貰うか母君に最後にお尋ねします。…いかがなさります?」

ことし三十九才の伊都内親王は団扇を降ろし、怒りと情けなさと憐みの混じった興福寺の阿修羅像そのももの顔つきで我が子らを見下ろすと志留辺に向かって、

「やっておしまい」

と厳然と言い放ち、冷たいものが首筋を滑る感触。

「ひいっ!」と叫び声を上げた兄弟はしばらく経ってから体の何処も痛くないし出血もしていないのを確かめて硬く瞑っていた目を開け、やっと背後の志留辺を振り返る。

「先日の宴の忘れ物ですよ」
と志留辺は青い目に悪戯っぽい光を宿して兄弟の手に篳篥ひちりき龍笛りゅうてきをそれぞれ手渡し、

首に当たっていたものはこれだったか!と気付くと兄弟は脱力して床にへたり込んだ…


その話を聞いてあはははは!と快活な笑い声をあげるのは事実上天皇家の家長である嵯峨上皇。

「この甥たちはそれくらいきつく懲らしめて丁度いいのだ。首を掻き切られそうな恐怖の中、漏らさなかっただけでも大したものだ」

と上皇の眼前で並んで首をすくめるのは在原兄弟。背後から不肖の息子たちをきろりと睨む伊都内親王に「お前も大変だねえ…」と十七才年下の異母妹に上皇はいたく同情した。

ここ御所冷然院の広場にまずは兄平城上皇の子である高岳親王と阿保親王。在原姓を賜り臣籍降下した高岳と阿保の息子たち。

次に上皇の子供達で源の姓を賜り臣籍降下した源信みなもとのまことをはじめとする嵯峨源氏の貴族たち。

淳和帝より平の姓を賜った桓武帝の実子である貴族たち。

親王号を持つ上皇の兄弟と息子たち。

そして淳和帝皇子で上皇の孫である皇太子恒貞親王とその母で上皇の娘正子内親王。

最後に今上の帝、仁明帝と彼の第一皇子道康親王が入場しこれで天皇家の血を引く主だった皇族たちが集められた。

「上皇さま、お支度全て整いました」

と側仕えの宮女明鏡の報告を合図に(素性を隠しているが彼女も桓武帝の孫娘である)
さて、と上皇は広場にいる家族全員を見まわし…

「私も今年で五十五になり、二十三で即位してから長いこと働き続けてきたねえ。我が身もいつどうなるか分からぬ老境ゆえ我が父桓武帝以来の家族たちにこれだけは伝えておこうと思って…」

とこほんと空咳をしてから、

「まずは帝と春宮。あなたたちも知っての通り天皇家は古来より太陽神と天地あめつちの神々に祈りを捧げ、五穀豊穣の契約を代々行ってきた祭祀の家。

まつりごととはすなわち『祀りごと』であり他国の王家とは在り方が違うのだよ。

祭祀のことと政務で後の代の天皇は色々と大変だと思うけどね、これだけは忘れないで欲しいんだ…

この日ノ本の国土に住まう全ての民の命を両肩に背負っているのが天皇としての心構え。

民あってのこの国。ということを常に心するように」

と温かくも威厳を持ったお顔と声でそう言われた仁明帝と道康親王はは、と姿勢を正し、

「決して忘れは致しませぬ」

と頭を垂れた。

「次に親王、内親王たち。あなたたちは帝の皇統に故あれば自分自身や我が子孫が天皇になる身の上だ。ゆめゆめ日頃の行いに気をつけ、仕えてくれる侍従たちを大切にしなさい。

周りの者すら大事に出来ない者が民を大事に出来る訳が無いからねえ。

その時が来たら周りは敵ばかりだった。

というていたらくにならないように、ね?」

と上皇に口調は柔らかだが強い眼差しで見つめられて

「は…常に日頃の態度心掛けます」

と親王たちは心身を引き締めた。

「最後に、臣に下った賜姓皇族たちよ。あなたたちはまさに民と皇族とを繋ぐ架け橋である。

民の窮状、日ノ本の現実を己がまなこで見て忖度無く帝に伝えて欲しい。

堅苦しい立場を脱ぎ捨てて自由を得たとしても、その五体に天皇家の血が流れている事からは逃げられないからね。

自由どころか野放図に生きたかったら貴族辞めて労動して税を納めるかぁー?」

と最後の言葉は明らかに在原兄弟に向けた叱責だったので仁明帝はじめ周りの皇族たちからぶ、くく…と堪えられぬ笑い声が漏れ、

笑いながら怒る嵯峨上皇に兄弟はますます身を竦め、

「素行をあらためまするのでなにとぞなにとぞ…」

と顔に大汗を浮かべながら今までの遊蕩を謝した。

家族たちの笑い声の中で上皇は今までの肩の荷が降りたかのように大きなため息をつき、

これで、自分の為すべき事を全て終えたような気がする。

と思いながら、

「話は終わったからそれぞれ気を付けて帰るのだよ」と家族たちを解散させて自分も嵯峨野の離宮に戻った。


神野は、天皇となったその時から決して直に太陽と月を観る事は無かった。

その訳は自分がこの国では至尊の身であろうとも決して、

太陽と月の巡りが織りなす自然の御業を支配する事も抗うことも出来ない。

と心得、自分が生きている内は常に太陽と月に頭を下げ続け、直接見るという不遜な真似はしない。

という彼なりの自然への敬意の表れだった。

承和九年(842年)初夏。

神野は頭脳の方は明晰だが体力の弱りを感じ嵯峨野の離宮で愛する橘嘉智子や明鏡、最も長く仕えていてくれる女御の百済王貴命くだらのこにしききみょうたちと穏やかな日々を過ごしていた。

定期的に開く観月の宴の最中、神野は湖面に浮かぶ満月の本当のかたちをどうしても観たくなり、

我が人生、やりたいこともやるべきことも全てやり終えたから見てもいいか。

と顔を上げて夜空にほの白く浮かぶ満月と正対して…

ああ、なんと神々しく美しい光なのだ。

分かったぞ、仏の像が背負っているのは月輪です。と空海が言った意味が。

一日の終わりに貌を出す月の正体とは、人生の後ろ姿だったのだな。

そこで神野は急に目眩を起こし、「父上!」と慌てて駆け寄った息子、源信の胸の中で意識を失い、倒れた。

帝。
人は月の光を浴びすぎない方がいいんですよ…

後記
この長い物語の題名を「嵯峨野の月」とした理由。
成長した在原行平&業平兄弟。安定してチャラい遊び人設定です。




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