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電波戦隊スイハンジャー#148

第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律

神在月、神々の宴3


「それよりも元老長、100年に一度のおばあ様の転生が遅れているのは由由しき事態だと思わないか?」

と言ってニニギは、コヤネの隣の席に腰を下ろした。

「まさに私は、その問題提起に来たのです」

とコヤネはこの高天原族の若き王に微笑み返した。


タキシード姿の祥次郎がバイオリンを弾いて微笑んでいる遺影の横では、白いタマスダレの花が切子のグラスに挿してある。

「これ、兄さんが一番好きな花だったのよ」と言って叔母の祥子は、結婚式の披露宴会場である合気柔術柳枝流道場の隅からいちばん沙智の姿が良く見える位置に、清い愛、という花言葉を持つその白い花と遺影を飾った。

神前結婚式を終え、道場に直行した親族と鉄太郎の直弟子だった平均年齢55才の柳枝流幹部会、通称「やなえ会」のおっさん達が料亭の仕出し料理を肴に、

「サッちゃんの小さい頃あれこれ話」で盛り上がっていた。

「いや~、サッちゃんは小さい頃から勝気でなあ、鉄太郎先生も持て余す程だったよ」

と元警部で定年した今は師範代の野村操が言うと、

「そうそう、友達泣かした男子投げ飛ばして制裁加えるほど正義感強かったね」

と元海自のコックで今は家業のトマト農家を継いだ田子さんが白い顎ひげを撫でてはうんうん思い返している。

「あれはサッちゃんが8つの夏休みの頃、
母親のアデールさんが公演に来た『ついでに』サッちゃん連れまわして東京見物したんや…

帰りに空港で見送った時、アデールさんの愛人のオトコが迎えに来ててな、

それ見た瞬間サッちゃん、母親がかがんだ隙に顔にケリ喰らわせたんや。

いやー、成田で世界の歌姫に蹴り入れるんは衝撃通り越して痛快やったわ」

と、現場にいた実の兄、啓一が酒に酔った勢いで口を滑らす始末。

「本気蹴りはしてないわよ。鼻は外したし…兄さんだって、ママを財布がわりにして銀座で色々飲み食いしたくせに!」

と花嫁衣裳を解いて秋色江戸小紋の和装に着替えた沙智は、8才当時の出来事を思いだして兄に言い返した。

隣で夫の芳郎が「知らなかった新妻のバイオレンスな過去」を周りから聞かされてえっ?えっ?といちいち正直なリアクションをしている。

そろそろ宴もたけなわという所だな…と聡介は焼酎とジュース類の残りを確認しながら、思った。

オレンジジュース「みっちゃん」(勝沼酒造)をストローですすっていた唯一会場にいた未成年で聡介の姪っ子、野上菜緒は沙智の斜め後ろに飾られている祥次郎の写真を見ながら

「ねえ、祥次郎おじいちゃんってどういう人やったん?」と急に話のネタを変えた。

「実は、俺もほとんど覚えてないんだ。ねえ、父さんってどういう人だったの?」

と聡介も菜緒の話に乗った。

聡介が3才の時病死した野上祥次郎という「父親の実像」を、この際聞いておきたい。

「私が5才の時に亡くなったから覚えてるわよ。すごく甘くてね、優しいお父さんだった…」

と姉が遺影を振り返ると、兄も

「自分を振ったお母ちゃんとの間に出来た僕を野上家の籍に入れてくれたし、日本にいる時は必ず会いに来てくれたし…僕にとっては、
最高のお父ちゃんやったで」

と遠い目をした。

「で、なんでおばあちゃんはおじいちゃんを振ったんや?」

と菜緒は、祖母には直接聞けない長年の疑問の答えを、父から聞き出そうとする。

いいぜー、さすが中一。質問が直球だぜ!

と聡介が菜緒に親指を立てて見せると、菜緒も悪い笑みを叔父に返した。

「こーら、オトナの事情に立ち入るんやない!…でも知りたいなあ、啓一さん?」

と菜緒の母、菜摘子が娘を叱りながら京女特有の「天然なフリ」をしてみせた。

妻子に要求されて、啓一は仕方ないなあ…と五才の時に覗き見た、父と母の別れ話の光景を思いだした。

両親は、正座で向かい合っていた。

どうしても付いて来てくれないのか?と涙声で父が何度も聞いていた。

すんまへん、と母が感情を抑えて両手を付いて謝る。その姿は頑なさ、を絵に描いたようだった…。

「うちには、京の街を捨てられまへん。と言ってお母ちゃんはお父ちゃんと結婚してフランスで暮らす、という誘いを固辞したんや。

仕方なかった。三代続いて京の花街で地方さん(三味線奏者)やって生きてきたお母ちゃんや。

あの時お母ちゃんの背後の窓から、大文字の送り火が見えたで…」

「京の街以外で生きる選択肢は持ってなかったんやね…って、お父ちゃん話盛ってるやろ?
大文字はおばあちゃんの実家から見えないはず」

「はい、盛り、まし、た!」

と啓一は開き直り、言葉を区切りながら畳を叩く様子が往生際の悪い芸人みたいだ。菜摘子はつい吹き出してしまった。

「大文字さん使うて?学生の頃からそうやったわ、啓一さんは話をちょい盛りする癖があるんや」

それと、なあ…とやなえ会のおっさん達が口々に「自分らから見た祥次郎」を話し出した。

「合気道も強かったんだぜ。実父の鉄太郎さんは道場継ぐこと望んでたけど、祥次郎さんは国費留学でヨーロッパ行っちまったし」

「そうそう。教え方も優しくて適切だったよなあ、祥次郎さんが国内にいたら間違いなく凄腕の武道家になってた」

「優しかったけど、その優しさが…なあ…」

「ああ、なあ…」

と聡介の兄弟子たちも一様に口をつぐんでしまった。

おっさん達どうしたんだ?

「それ知ってるから。優しすぎて、女の人が次々言い寄って来ても断れない性格やったんやろ?ミュラー先生から聞いた。
うちの同級生はミュラー先生の孫なんや」

と晴れの席で花嫁の父の秘密を隠そうと配慮していたのに、中一の孫娘によって見も蓋も無く暴かれた。

「つまりは『女』か」

と聡介が話をまとめると、おっさん達はぎこちなく、う、うん…と祥次郎の過去の華やか過ぎる女性遍歴を認めた。

情報源がミュラーのじじいなら間違いない。

だって、親父のパリ活動期の同居人はクラウス・フォン・ミュラーその人だったんだもの!

「さ、菜緒は明日は学校があるんだし、啓一さんもそれ以上飲んだら駄目やで」

と菜摘子は義理の妹夫婦に「今度は京都に遊びに来てね」と挨拶すると、てきぱきと帰り支度をして夫と娘を急かせて、京都行の新幹線に間に合うように帰ってしまった。

やなえ会のおっさん達も愚図愚図飲んでいたが夕方近くなったので奥さん達に叱られながら会場を去り、

最後に道場の外に夫を待たせて沙智が、「叔母さん、聡介」と畏まって最後の挨拶をした。

「嫁ぎ先も近所だし、3日に1度は訪ねるつもりだけどさ…ちゃんとご飯食べるんだよ。今までありがとう」

と泣きながら姉が三つ指を着く前で、聡介はやっと素直に…泣くことが出来た。

見上げる天井がみるみる歪んで、洟が垂れそうになってすすり上げる。

「この時ぐらい堂々と泣きなさいよ!」と叔母の祥子が背中を叩いてくれた。

30男の聡介が畳に涙落として泣きじゃくる間、姉夫婦は婚家に行ってしまった。

明日は早く起きて、湯布院に新婚旅行に行くらしい。

晴れの日の予定が全て終わって、聡介が普段着に着替えて縁側に腰掛けた時には、もう辺りは暗くなっていた。

いつの間にか、日暮れが早くなったな。と聡介が思った瞬間、心の中を強固な理性で構築していたレゴブロックのようなものが真ん中から崩落して、

大きな喪失感に聡介は見舞われた。

「寂しいもんだな」と呟いてみると、秋の庭でどんぐりの実がころん、と一つ落ちた。


十分に熱した鉄のフライパンに、豚の小間切れ肉と、一口大に切ったキャベツ、玉ねぎ、ピーマン、短冊切りにした人参を一緒に炒めて、

火を通して市販の焼き肉のたれで味付ければ肉野菜炒め一丁上がり。

炊き立てのご飯と大根の味噌汁で、菊池市七城町の泰安寺に住む住職親子、七城正義と正嗣と正嗣の教え子で高校進学までの下宿人、藤崎光彦は手を合わせてから男3人で夕食を囲んだ。

「光彦くんはここで暮らし始めてから逞しくなったな。
朝早く起きるようになったし、寺の掃除も手伝うようになったし、それに、
夕食まで作れるようになった!」

と住職さんは上機嫌で光彦の頭をぐりぐりした。

担任教師の正嗣も「光彦は本当に成長したと思うよ」と誉めてくれたので光彦は急に面映ゆくなって、白い飯を口に入れた。

「ねえ、なんで空海さんこの頃留守気味なの?」


正嗣は箸を置いて、正座し、改まって「高野山では、10月1日から3日までは、奥之院萬灯会(おくのいんまんどうえ)と結縁灌頂(けちえんかんじょう)という重要儀式が行われる。開祖としてお山に戻るのは当然じゃないかな?」

「まんどうえと、かんじょう?」

「萬灯会は弘法大師の御廟に灯籠を奉納して供養する夜のイベント。

灌頂は、5月は胎蔵界、10月は金剛界の大日如来さまと仏縁を結ぶ、朝のイベントだ。
ほら、坊さんが目隠しされて印を結ぶ様子が時々テレビ放送されてるだろう?」

あ、うん、と光彦も箸を置いて正嗣の話に聞き入った。この話長くなるのかな?

「灌頂の儀式は空海さんが唐に留学した時に師の恵果和尚から授けられ、帰国後、京都の高雄山寺で修行した後、弟子たちに授けるようになったのがこの国でのはじまりだ」

「意外と偉いお坊さんだったんだね、あんなお調子者でも」

「うん、最澄さんと並んで日本仏教界の巨人だよ、あんなマザコンでも」

と正嗣と光彦はその仏教の偉人に対して相当失礼な評価を下してまた、食事に戻った。

その夜もとっぷり暮れて、10月3日の午前3時。

高野山、金剛三昧院の多宝塔の中に師、空海が籠もってしまってもう二時間近くになる。

多宝塔とは、仏教建築の仏塔のひとつ。

裳階(もこし)と呼ばれる本来の屋根の下に、もう一重屋根を重ねる建築様式で、そのため外観は二階建てに見られるが、実際は一階建てである。

おい…お大師は何を考えておられるのだ?

と柿色の衣をまとった見えない空海の直弟子たちが、ざわつき始めている。

空海の実弟、真雅はじめ甥の智泉、実慧じちえ道雄どうゆうは、

「実家は佐伯家、空海の親戚グループ」、

出家前は廃太子、高岳親王であった真如。最澄の元から去って空海の元に走った泰範。摂政藤原良房の隠し子忠延は、

「実はワケありだったグループ」

紀一族出身、真済。東大寺出身の円明、杲燐ごうりん

「エリートコースから空海に弟子入りグループ」

と空海十大弟子が多宝塔の入口を囲むように立っている。

「兄上はあの東寺での事件から、何か想い悩むことが多くなられた…」

と真雅がこぼすと

「すんまへん、気が付いた時には炎に襲われて、何も見てへんのです」

と東寺の怨霊に襲われた泰範が自分の失態を謝した。

「おい、何があってもお大師に付いて行くのが俺たち弟子だろ?不安になってどうするんだよ?」

と弟子たちを叱咤したのは他ならぬ真如であった。

他の弟子たちはぴたりとお喋りを止めてそ、そうだな…と再び多宝塔に視線をやった。

「そのとおりです」

と澄んだ声が真夜中の闇に響いて弟子たちを振り向かせる。

弟子たちが声の主の正体を見とめると、たちまち二列になって合掌し、多宝塔の扉に向かう「彼」に対して進路を開けた。

弟子たちが外で真言を唱えているのを聴いて、空海は長い瞑目から醒めた。

そうやな、真相を隠し続けることは、嘘を吐いているのと同じこと。

と正嗣はじめ戦隊たちに秘密を話す決心をした。

その時。「そうですよ」と背後で声がした。

白衣の上に異文化の民族衣装みたいな上着を羽織り、白黒ストライプの長髪を虚空にたなびかせた男がいる。

いる、というのは立っているのではなく、ほんの数センチ体が浮いているのである。

「彼」は閉じていた目を開けた…その瞳は昆虫のような複眼である。

額の白毫を輝かせている「彼」に、空海はやっと詰まらせていた声を上げて、その名を呼んだ。

「千手観音さま…」

後記
物語の重大な秘密に迫る章。
サッちゃん、芸人さん(オペラ歌手)の顔に蹴りはあかんで。

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