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電波戦隊スイハンジャー#156 龍神様と私3


第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律

龍神様と私3

「ええ、小一時間ほど葉子ちゃんと話してみたいと思いますんで」

と聡介が電話でミュラー夫人、上條孝子に許可を取ると早速キッチンの調理台にグラスを2つ用意し、

姉が作り置きしていたレモンシロップを炭酸水で割ったレモネードを作って氷を3個入れて、

縁側に腰掛けているというよりうずくまっているセーラー服姿の榎本葉子に「これ飲んでみて」と手渡した。

葉子がそれを一口飲むと、すっきりした酸味とこくのある甘味が口の中に広がってむせび泣いてひりついた喉に染みていく。

「おいしい…!」と思わず葉子が呟くと、聡介は「だろー?」と自慢げに言った。

「うちの姉貴の手作りなんだ。国産レモンのスライスと氷砂糖を交互に瓶に詰めて漬け込むんだが、コツは氷砂糖の2割を蜂蜜にすること、レモンの皮を完全に削り取って苦味が出ないようにすること…かな?」

と作った時レモンの皮削ぎを手伝わされた聡介が、

あの後数日間は指先にレモンの匂いが染みついてたな、とふと思い出した…。

「国産レモンってデパ地下かオーガニックのお店にしか売ってないやろ?んな贅沢な」

ちっちっち、と人差し指を左右に振って聡介は

「県産レモンだから近所の八百屋で割安で売られている。流通経路はいろいろあんだよ、お嬢ちゃん」

と自分も葉子の隣に腰掛けてから、レモネードを一口飲んで「やっぱりうまい」とため息をついた。

「なあおっちゃん」と葉子は目線をグラスから聡介の横顔に向けて、

「おっちゃんは、なんで人前で弾かなくなったん?自分の音楽を封じ込めてしまうなんて」となぜか責めるような口調で聞いた。

あれ?なんでうちは野上のおっちゃんにキツい事言ってるんや?とざわつく自分の心を不思議に思いながら。

聡介はうーん…と少しは秋めいてきた空を見上げてから、

「俺は、3歳の頃からじいちゃんに合気道はじめ色んな武術を。叔母さんにはバイオリンとピアノを仕込まれてきた。

高校二年まで俺は九州地区のコンクール荒らしで、いくつかの音大から推薦入学の話が出ていた。

でも俺は、祥次郎の息子と呼ばれるのが無性に嫌になってきたんだ」

「なんでや?」

「周囲の音楽家たちが俺に期待するのは、祥次郎の音の再現だから。

ミュラーじじいでさえ、祥子叔母さんだってそうだ。俺が演奏で求められていたのは俺ではなく祥次郎のDNAなんだ」

「ああ…音楽業界って、そういうの使って『売り』にするとこ確かにある」

いくら才能があっても、売らなきゃ売れないのが現実なんや。

と祖父ミュラーが食後のお酒の時にこぼしていた事がある。

祖父ミュラーが若い頃、売れるためにライバルを何人も蹴落としまくり、

野上祥次郎の演奏が上手すぎるために、何人ものバイオリン奏者がスランプに陥った。

音楽の世界にはそういう暗い側面があることも葉子は知っていた。

「進路の選択が迫ってくるにつれ、俺は人前で弾くのが苦痛になった。そんでとうとう叔母さんに本音をぶちまけた。

本当は医学部に進学したい。芸術家には、死んでもなりたくないんだ!ってね。叔母さんは怒りで真っ青になって震えてたよ。

もの凄い口喧嘩上等で俺も構えていたら、じいちゃんが『演奏家はたくさんいるけど、医者は人手不足だ。いいんじゃのか?』って言ってくれたんだ。

俺は本当に有難かったよ。

でも、祥子。とじいちゃんが叔母さんに向けて言った言葉がね…」

思いだして苦笑いする聡介に、葉子は「何て言ったの?」と聡介の顔を覗き込んで聞いた。

「聡介は聡介であって、お前が亡くした兄祥次郎の代わりでも、お前が手放した息子、ミシェルの代わりでもない。

お前がそう思って聡介を育ててきたのなら、それは甥に対する冒涜だ。

愛して別れたものに、代わりは居ないのだ。ってね…叔母さんそれから一週間、俺と口を聞いてくれなかった。

じいちゃんに本心を衝かれて自分を恥じたのだろう、と思ってる。

8日めの朝飯の時に、叔母さん『もう聡介の好きにしていいから』って。それから俺は受験勉強に集中し、医学部に入ってこうして外科医やってる。

バイオリンは下手にならない程度に稽古を続けている。

前より叔母さんとは仲良く暮らしている気がするよ」

愛して別れたものに、代わりはいない…って二年前にお母ちゃん亡くしたうちには刺さる言葉やな。

葉子は、みぞおちのあたりがずしり、と重くなるような気がした。

「おっちゃんは、いまだに人様に演奏聞かせるのが嫌なん?」

「20代の頃はそうだったけど、いまは心境の変化かな?

こないだ職場の医師仲間から野上先生、音楽療法の一環で病院で室内楽やりませんか?ってお誘いが来て、思わずいいですねーと返事してしまった。

実は子供の頃から楽器やってた医師やナースって結構いるんだよな。

中学で吹奏楽デビューした薬剤師さんとか集めたら、ちょっとしたオーケストラが出来ると分かった次第だ。

文化の日に室内楽やる予定になって、俺含めバイオリン弾ける4人の職員が週一で練習してる」

「すっごい心境の変化やな。おっちゃん、お母さんと仲直りしたからか?」

あ、この子は人の心が読めるのだ。という事に聡介は今更気づいた。

「本当のところ、母親が出て行ったのはスランプの治療のためだと分かったし、母さんは母さんなりに苦しんで来たからな。

だからこそ、芸術家(アーティスト)は俺には務まらない、って思ったんだ。

知識と技術を磨き、患者さんを治す医師という職人(アルチザン)でいたい。と」

「なんか…不法侵入した上に八つ当たりしてごめん」

と葉子はうなだれ気味に頭を下げた。おっちゃんはおっちゃんで、深い事情があったにも関わらず、おっちゃんの演奏に感動して、すごく嫉妬して、なんか蓋してた色んな感情が抑えきれずに、

ピアノの上で泣いてしゃくり上げて、ケチだのなんだのおっちゃんを罵倒した。

「いいんだ、本選前でナーバスになってんだろ?カツヌマ・キネン・ホールで弾くなんて俺でも足がブルっちまう」

大したもんだ、と言って聡介はぽんぽん、と葉子の頭を撫でた。

「あのブルーの兄ちゃんの会社が建てたホールなんやろ?勝沼家はどんだけお金持ちなんや」

「さぁー、勝沼は勝沼で本当はお金持ちぶるのが嫌いな奴だからな。海外のライバル企業買収しまくるくらい金持ちなのは事実なんだろう」

「ハリウッド俳優CMに使うくらい、な。異邦人ジェームスさんのCMは好きやけど」

落ち着いたか?と聞いて落ち着いた、とレモネードを飲み干した葉子の顔つきは、すっかり和んでいた。

腕時計を見て「あ、もう五時前だから帰る!」と慌てて学生鞄を掴むと葉子は庭先でテレポートして消えてしまった。

空のグラスを片付けて流しで洗っている内に聡介は、

本当は、母親が家を出て行った日に、母さんは僕より音楽を取ったんだ…

と深く傷ついた記憶を思い出した。

ああ、結局は俺から母親を取り上げた音楽ってー奴に、子供っぽい反感を抱えたままだったのかもしれない。

グラスを棚に片付けてリビングのソファに寝そべると、テーブルの上のiphoneに勝沼悟からメールが入っているのに気づいた。

明日の夜九時戦隊集合求む。かなり、重要な内容なり。

勝沼悟

空海さんの隠し事が、とうとう明かされる時がやって来たな。

真実は、向こうから正体を現す。

気遣いや優しさなどという偽りの天蓋はある日いきなり引き裂かれ、日常はたやすく破壊されるのだ。

後記
聡介が「芸術家なんて…」と思っていた原因に気づくエピソード。










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