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カタカムナ文献とイヤシロチ

 <=(前) 地場調整(イヤシロチ化)とは


何故今、イヤシロチなのか――楢崎皐月の話


 「イヤシロチ」という言葉、皆様ご存知でしょうか?何となくわかるような不思議な言葉の響きですが、是非その意味や意義など、正確に知って頂きたく思います。

 それにはまず、「楢崎皐月(ならさきこうげつ)」と言う物理学者、電気技術者のことを知らなくてはなりません。楢崎皐月は、昭和初期から終戦後にかけて活躍し、「天才」とも言われた程の科学者でした。

 ここでは、楢崎皐月と、彼にまつわるカタカムナ文字の発見について、簡単に解説します。

 さて楢崎は明治32(1899)年、山口県は萩に生まれ、北海道の札幌で育ちました。独学、努力型の天才で、電気工学の他に製鉄学、冶金学等を独学で納めました。他にも農学や医学、物理学、化学など多岐にわたって研究しています。

楢崎皐月氏(1899-1974)

 大正6(1917)年に上京し、日本電子工業の電気の専門学校に学び、それから2年後日本石油と契約し、自らの研究所を開設しました。20代で国産の特殊絶縁油を開発、昭和18年には福島県に亜炭から人造石油を造るプラント工場を設立しました。しかしこれが実用化になる前に陸軍の要請により、満州吉林省の陸軍製鉄試験場の所長として赴任、そこで貧鉄鉱から良質の鉄を作る研究等に尽力したのです。その地において、道教の導師である慮有三(ラウーサン)老人と知り合い、日本には、カミツ文字という上古代(前期縄文時代より前、現在より1万年以上の昔)の古い文字があることを教わりました。

 終戦後帰国すると、敗戦の後遺症とも言える深刻な食糧不足が起こり、食糧自給に対する備えをしようと千葉県に農業技術学校が設立されましたが、楢崎皐月の化成会グループは、そこで農業新技術の研究開発に携わることになります。

…さて楢崎皐月は思い起します。

 満州に赴任していた当時、幾つかの場所で小規模の溶鉱炉を使い、実験的に鉄を製造してみたところ、材料や技術は全く同じ条件であるのに、場所によって鉄の出来上がりに著しい差が見られたこと、しかもある場所の製品はいつも優秀だが、他の場所の製品はいつも不揃いで不良品が多かったことなどです。

 そこで気が付いたことは、いつも優良品ができる場所の周囲は樹木が繁茂しており、いつも不良品の出る場所の周辺は、不毛の荒れ地であることでした。

「土地の良い悪いは電気的に測定できるのではないか?」

そう閃いた楢崎は、日本全国12,000箇所で「大地電流の測定(平均面積1アール)」を任意抽出して実地調査したのです。

 その結果、土地の電位については、以下の三種類があることが分かりました。

 ○土地全体が還元電圧を示す優勢生育地帯

○土地のほとんどの部分が酸化電圧を示す劣勢生育地帯

○酸化電圧、還元電圧の混在する普通生育地帯

※詳細については楢崎皐月の著書「正電三法」に述べられています。
また、本ブログでもある程度詳細に扱い、以下の記事をアップしていますので、興味のある方は参照してください。


 楢崎皐月、カタカムナ文献に出会う!

 そんな楢崎皐月が厳寒の兵庫県金鳥山でデータを取っていた時(昭和23年12月)のこと、カタカムナ神社の者だと名乗る平十字ひらとうじと言う老人に遭遇します。その老人は、「わが家に代々伝わる宝物だ!」と言って、巻物になった〝カタカムナ文献〟を見せてくれました。

 それを見た途端、楢崎は満州で出会った慮有三老師の語っていた〝カミツ文字〟なのではないかと直観し、約3ヶ月を要して全図象を書き写し、それがその後の生涯をかけての解読作業の元をなすものとなったのでした。

 ただ、平十字という人物は、その後全く消息を絶ってしまって、探し出すことはできませんでした。しかも平十字が主張するカタカムナ神社についてそのような名前の神社は見当たりませんでした。ただ、金鳥山の麓にある保久良ほくら神社がその謎の神社なのではないかという説もあり、今では、この神社はカタカムナの聖地として知られるようになりましたが、本当のところは未だ謎に包まれたままです。

カタカムナ文字

 楢崎皐月はこのカタカムナ文献に示された図象文字を必死に解読するに従い、上古代人たちは、物質の存在する現象世界と、目に見えず、計器で測ることもできない潜象世界を直感で感じていたことを知り、文字通り驚愕してしまいました。

 解読の結果、そこに書かれた内容は、高度な科学哲理であり、今の私たちには考え及ばないような超高度な知性・文明を感じさせます。それは今の社会のパラダイムを変えてしまう程に画期的である、と言ってもよい、と楢崎は感じたのです。

 楢崎は、カタカムナ人達の観じた物理(モノノコトワリ)を直感物理と名付けました。またカタカムナ文献では、世の中の原理は、宇宙大のものから極微のものに至るまで、相似の形で現れることが記述してあることを知り、これを相似象と呼びました。

 上のカタカムナ図象をご覧ください。一見丸や線だけの幾何学的とも思えるこの文字(図象文字)こそが、上古代のカタカムナ人(上古代人)が発明して使用され、今日まで密かに残されてきたものです。
 さて、カタカムナ文献の解読作業が進むにつれ、カタカムナ人たちは、今日の私たちが学校教育によって原始的だと教えられてきた縄文人たちから推測されるようなイメージとはまるで違っていたことがわかってきました。彼らは自然の中で生き、かつ思考力も持ち合わせていたが故に、現代人の及びも付かないような第六感的な鋭い直感力がありました。しかも、宇宙の森羅万象の根元をを見抜く力を持っていて、自然との調和を保って、長寿で健康的な生活をしていたであろうと、楢崎皐月は推定しています。

イヤシロチとケガレチ

 実はイヤシロチと言う言葉もこのカタカムナからきています。

 それによりますと
イヤシロチとは、氣が盛んに発生する土地(マイナスイオンが豊富で生命体に活性力を与える場所)と言う意味、
ケガレチは、氣が枯れる土地(生命体から電気を奪う場所)と言う意味
になります。

 楢崎が土地の調査を行った12,000箇所のうち、
劣勢生育地帯(ケガレチ)は30%、
標準生育地帯が55%ですが、
優勢生育地帯(イヤシロチ)が15%
と非常に少ないことがわかりました(昭和23年)。
但しケガレチ化の進行した現在では、イヤシロチと呼べる土地は、全国土の5%にも満たないものと思われます。

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