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生命と電磁波 物質の機構 反物質     万象万物を表現するカムヒビキ (3)    【直観物理と相似象 その 15】


7 電磁波の物理を伝える

  アマカムナ アマカムヒビキ ピェ イヨォ パッ
   イサネ ハハワケ アマハヤミ
   ヒカリ ハタヒコ マクカラミ
   ヤクサ イカツチ アメ フキホ

 このカムヒビキの現代語要旨(楢崎皐月による)

 「宇宙空間における二種の向力(ムカヒ)に、親和する番力(ツガヒ)の間を、無限高速粒子であるアマハヤミが通過することによって、局所的に、向力番力が離間される。そこで夥しい量の光粒子が発生し、光粒子の相互衝突が発生する。それにより、環境空間には、衝突エネルギーの吸収や放出という、共鳴輻射が励発される。すなわち、磁氣や光や、幅広い範囲にわたる、電氣のエネルギーの伝搬運動が誘発され、粒子性と波動性エネルギーの親和した、電磁波や輻射波として現われるのである。」

 <ピェ イヨォ パッ>とは、虚空における高速粒子の運動と、光粒子の発生し衝突する有様を、表したヒビキです。たとえようもない大きな力と力のぶつかり合う、虚空の様相を感受したヒビキです。

 <イサネ ハハワケ アマハヤミ>とは、「生命発現の根(小宇宙の中心に向かう向力と、大宇宙の遠心に向かう向力との、二つの求心力(ムカヒ)に、番力(ツカヒ)が親和しているところ(イサネ))の、その間を、無限高速のアマハヤミが通過することによって、局所的に離間させる」と言う意味です。イサネとは、生命発現の根、ハハワケとは、親和しツガっているものを分ける、と言う意味です。

 物質の発生、すなわち、生命の誕生は、蛋白質やカルシウム等の構成要素が総て揃っていても、それだけで生じるわけではなく、発生にはきっかけが必要であり、その根(イサネ)には、人智のはかり知れない、大きな、向力番力の間を、アマハヤミが通過する、というようなチャンスがあるのだ、ということを直観したのです。

 <ヒカリ ハタヒコ>とは、イサネハハワケに基づく、番力向力の離間によって、夥しい量の光粒子が発生することを意味しています。その大量の光粒子は相互に衝突して、環境空間に、衝突エネルギーの吸収や放出の、共鳴輻射を励起することになります。ヒカリは、光の振動を持つ光粒子のことであり、ハタヒコのハタとは、光粒子の分離独立、ヒコは、次々に続いて現われる、という意味です。

 ●向力、番力、アマハヤミの、イサネハハワケによって、夥しい量の発生した光粒子は、衝突エネルギーを受け、光の振動を示しているのですが、カタカムナ人はこれをヒカリと呼び、その光粒子が、環境の空間に、共鳴、吸収、放出を起させて、伝搬して行く現象を<ハタヒコ>と呼んでいます。科学用語でいえば、ヒカリは電磁波に、ハタヒコは輻射波に当たります。また、太陽のような恒星の放射する電磁波を<カカホ>、その輻射エネルギーを<カカヒコ>と呼ぶことがあります。ヒカリもカカホも、アマの微粒子の集合であり、エネルギーを貰って放出され、可視光線領域の電磁振動をしている光量子なのです。そのエネルギーは、次々と減衰して、恒常状態に復するまで、環境に吸収・放出の共鳴輻射を繰り返して、伝わって行きます。そして、エネルギーを失えば、光の粒子マリは、元のアマに戻り、始元量の状態に戻るのだ、という直観です。現代科学では普通、電磁波と輻射波を区別せず、また、光量子の消失・発生とかと称するのみで、それが、どこに行き、何になるか? また、どこから、何から発生するのか? という過渡はわかっていません。しかし、上古代人は、輻射波は、電磁波が物質系に入って、吸収放出される場合で、まだ物質にならない始元状態(マ)のところは、超光速で伝わると、直観していました。

 <マク カラミ>は、「光粒子の共鳴輻射によって発生する、磁氣や力
の素量」の意味を表します。カラミのヒビキには、チカラの発生源は、カラ(空)のカラ(殻)から、すなわち、「カムから持続して来るカ」の思念があります。

 <ヤクサ イカツチ>は、広範囲に渡る、電氣エネルギーの伝搬を意味します。ヤクサは、八方に(ヤ)自由に(ク)分れていく(サ)という意味で、イカツチは電氣エネルギーの意味です。

 <アメ フキホ>は、「アメによって構成される、二種類の結合した氣(フキホ)」という意味で、二種類の氣とは、粒子とエネルギーのことです。ホは、正反親和の意。フキホとは、電子と波動エネルギーの調和した状態を現し、現代の電磁波に当たります。(次項「8 電磁波が、物質や生命質をつくる」のフキヲ参照)

電磁波と輻射波

 現代科学の智識によれば、電磁波とは、空間における電界磁界が、互いに直角の向きに振動しながら進む、横波の、電氣磁氣振動です。また、電磁波の発生は、原子構造における電子の持つエネルギー準位に基づき、励起された電子のエネルギー準位が低位の順位に移動する時、過剰エネルギーが放出される現象である、とされています。

電磁波(光)の進行と、電場・磁場の強度の推移

 そして、電磁氣振動の周波数、あるいは波長の区分に従って、電磁波の種類を決めているのです、波長の短い方から挙げれば、宇宙線、ガンマー(γ)線、X線、紫外線、可視光線、赤外線、マイクロ波・超短波・短波・中波・長波・超長波の電波、交流電氣、直流電氣の順になっています。

電磁波の周波数スペクトル

 あるいは、光電管に関する実験では、光がある種の金属に当たると電子になり、そのエネルギーは光から来ていて、しかも、磁氣を伴うことがわかっています。
 しかし、そのどちらの場合も、それは現象の説明に過ぎません。そもそも、光や宇宙線等の電磁波はどこから来るのか? その元の発生機構については全く不明のままで、電磁波、輻射波の区別もないままに扱われています。光や電氣の本質のみならず、地球上に存在する水や空気や、もろもろの元素の発生源についても、納得できるだけの哲学がなく、ただ、地球中心の循環を憶測するに過ぎません。

 直観物理においては、電磁波の発生を、ヒビキを以てサトり、ヒカリ(光量子)、ヒカリ(電磁波)、ハタヒコ(輻射波)、イカツ(電氣現象)等と、言い分けて表現しています。電磁波とは、イカツがエネルギーを貰って振動している状態であり、そのエネルギーが輻射を起こす物質に受け継がれ、吸収放出されて伝われば、輻射波となるのです。
 宇宙空間にはいろいろな物質が存在します。したがって、輻射を生じる物質によって、例えば、地球の圏内、真空中、電磁氣や力の分布の濃淡、等によって、伝わる速度は、必ずしも現在の計算のような一律の光速度(秒速30万キロメートル)とは限らないという見解になります。
 電磁波の、波動性粒子性の重畳理論に関しても、彼らは、アメフキホと平易に言っています。二つの氣は、イザナミ(波動エネルギー)とイザナギ(粒子)、またはソコ(膨張)とソギ(収縮)の本来性であり、フキホという表現によって、そのトコタチ(重合互換性)を端的に示しています。

8 電磁波が、物質や生命質をつくる

アマカムナ アマカムヒビキ ヒッ ツォ ツォ
 カカホ イカツチ ハヤアキツ
 サヌキ アワナギ オキミツゴ
 アハジ オホコト ホノサワケ
 イワクス ツラナミ アメフキヲ
 アメクニ ミクマリ クヒザモチ
 サヅチ サギリ トヨ クミス


 このカムヒビキの現代語要旨(楢崎皐月による)。

「ここでは、宇宙の虚空に存在する電磁波動のエネルギーが、物質や生命質を構成する、いろいろな要素を、合成・分解したりする現象を、反復している。輻射波動と言われるものは、この電磁波が、輻射を起こす物質に吸収放出される現象である。すなわち、物質や生命質を構成する要素量を造るのは、輻射波動であり、そのもとは、光を発する電氣の振動であり、それは、正反性の極限重畳波動、すなわち、粒子性と波動性とを同時に現すような、波長の短い電氣振動である。そのような高振動数の電氣振動は、正反性の集積位相を持つ電気素量(イカツミ)を荷った、陰電子(サヌキ)と正孔(アワ)の、共役によって成り立つ電氣振動が、生命質と物質の最下限粒子(モコロ)を形成する複合的基礎量、すなわち電氣、磁氣、力の位相を集積した、オキミツゴを生産する。また、その電氣振動は、アメの始元量と、現象(クニ)としての要素量が、混和融合した、中性の微粒子(ミクマリ)を生産する。そして、サヌキ(陰電子)とアワ(正孔)の共役によって成り立つこの電氣振動は、更に、これらの要素量(ミツゴ)をいろいろに組み合わせて、さまざまな生命質や物質に共通する「原子」を生産してゆく。」  

 <ヒッ ツォ ツォ>とは、電磁波の発生する時の、すさまじい衝撃音を写したヒビキです。たとえば、溶岩の融ける噴火口の底や、熱湯を湧出する温泉の底から、高熱の蒸気が噴き出すような、強烈な音響を映しています。また、この場合、噴出した蒸気から、いろいろな物質が、大地、大氣、水中に析出するように、電磁波動が、いろいろの物質や生命質の要素を、生成する、ということを暗示したヒビキです。

 <カカホ イカツチ>とは、「光振動を示す電氣」のような意味であり、太陽光線のように、光カガヤク、可視光線領域の輻射波を放出する電磁波を、特に、カカホと言います。カカとは響く意。ホは、稲の穂のように、正・反親和している形。イカツチはイカツの持続、すなわち、電磁波に当たります。

 <ハヤ アキツ>とは、「正反の極限的(ヤ)な重畳の現象(アキツ)」という意味です。すなわち光量子の如き、粒子性と波動性の正反を重畳している、輻射現象を意味しています。

 <サヌキ アワナギ>とは、正反性の集積位相の電氣の素量を荷った、陰電子(サヌキ)と、正孔(アワ)を示す言葉です。ナギは粒子の意。

 <オキ ミツゴ>とは、「集積位相の電気素量(イカツミ)が、磁氣(マクミ)と力(カラミ)の位相を示す素量と組み合って、「生命質」と「物質」の最下位粒子(モコロ)の基礎量(ミツゴ)をつくる」という意味を表しています。オキとは、「立方体の物質として発生する」意、ミツゴは、モコロを構成する「複合的基礎量」で、イカツミ、マクミ、カラミの三素量が組み合っています。

 <アハジ オホコト ホノサワケ>とは、「以上のような要素量(イカツミ マクミ カラミ)や、基礎量(モコロ)を、合成したり(アハヂ)分離分解する現象(ホノサワケ)を、電磁波動が反復している(オホコト)」という意味の歌詞です。

 <イワクス ツラナミ アメフキヲ>とは、「始元量アメのフキヲが、自由に振動しながら(クス)、連結している波動(ツラナミ)」という意味であり、イワとは、イ(イカツの粒子)が和(ワ)している意、すなわち、イワクスもツラナミも、フキ((粒子とエネルギーの)二つの氣)を形容しています。ヲは、その粒子とエネルギーのフキが、それぞれ正反性を持ち「四相」になることを意味しています。(ヲは、声音符に明らかなように、「四」を意味します。

 ● 粒子の正反とは、サヌキ・アワのことであり、エネルギーの正反とは、エネルギーのままの状態と、エネルギーが粒子に転じた状態の2つの状態のことです。(ここでは、前項「7 電磁波の物理を伝える」にもあったフキの親和した状態である、アメフキホが四相を持つことを表明し、アメフキヲとなっています。さらに、以下に述べる項目10では、オオトヂカハルという表現があり、その四相の互換転換の相を示しています。)イカツの正反であるサヌキ・アワの発現も、もともとはこのフキの「やりとり」によるものであり(オホトヂカハル)、その素量のカタヨリ方で、サヌキとアワの違いが表われ出す、という直観です。
 要するに、フキは、現代科学の「電氣磁氣」tなって顕現する以前の、過渡的な状態を表わし、電磁振動において、粒子性の面と、波動性の面を持つ現象のもとのコトワリ(物理)を示しているヒビキなのです。

 <アメ クニ ミクマリ クヒザモチ>とは、「始元量アメ(潜象)とクニ(現象)の要素量(現象に現われるカタチを構成する物質)とが、混和融合している微粒子(ミクマリ)は、それ自身は中性で、正反性を自由に転換する性質がある(クヒザモチ)」という意味です。このような中性のものがなければ、電氣の正反、力の正反だけになってしまい、自由なヤリとりができないと観じたのです。

 <サヅチ サギリ トヨ クミヌ>とは、目に見えないいろいろな素量の組み合わせ(トヨクミヌ)によって、現象の固相(サヅチ)や、氣相(サギリ)等の物質が生成される、という意味を表します。

 ● 私達の見ているすべての物質は、それぞれの形象(カタチ)にまとまって存在していますが、究極的には、細胞や原子と言った、微細構造の単位粒子によって構成されています。しかし、カタカムナ人にとっては、それらはまだ究極の微細構造粒子ではなく、彼らはさらに、それらの細胞や原子が、どのようにして、どこから生産されるか、という、原子以下の問題についても示しています。モコロは原子以前の状態であり、更に、それを構成するミツゴや、中性の微粒子の存在をも観じています。
 それらの微粒子の始まりは、すべてマリであり、マリのチカラ(位置エネルギーに当たる)を持つ粒子ですが、それが正反の電氣性を現すのは、粒子内外のアマのチカラの「カタヨリ」によって、密度差ができ、その度に、右マワリ、左マワリの旋転が変化するためなのです。これが、アメのフキヲ(粒子とエネルギーの四相)の「やりとり」(オホトヂカワル)の意味です。このようにして生じた電氣性の素量は、イカツミと呼ばれ、磁氣やいろんな力に変わり得るものです。<ミツゴ>は、これらの電気素量(イカツミ)磁氣素量(マクミ)力素量(カラミ)の位相を集積した、複合的基礎量であって、三要素の組み合わされ方により、種々の生命質系、物質系のモコロが構成される、というのが、カタカムナ人の直観です。
 また、そのような構成要素の究明、および、そのような力を起させる、電氣振動のエネルギー源を追及して、宇宙生氣(ウマシイキ)、すなわち、イノチとココロの関りを直観し、現象背後のアマ始元量と、それを生むカムの存在を突き止めたのが、直観物理のサトリでした。
 現代人も、太陽の輻射エネルギーが地上の生物に大きな影響を与えていることは、哲学的には認めていますが、直観物理のようなスッキリとした物理によって、生命の根源を、向力、番力、アマハヤミ等のスケールで捉えて、電磁場の輻射エネルギーが、生命質や物質の生産に関わるというような、哲科学は持っていません。

 カタカムナ人の直観と、現代科学の認識とでは、電氣や電磁波に関する、根底の物理が全く異なっています。現代科学とは異なる観点から出発した直観物理には、地球上の生物や物質に対して、太陽の放出する輻射エネルギーが、その生産に支配的な寄与をするという直観がありますが、少なくとも、これを否定する根拠はどこにもありません。
 光が電氣を生むことや、電氣と磁氣との互換性は、現代科学でも認めています。また、光電管において、光波がある種の金属に当たると電子に変わり、磁氣を伴うという、光電効果の現象においては、そのエネルギーは光から来るものです。また、電氣現象は、光からも熱からも起こり、必ずしも物質の原子とは限らず、いろんなモノから生産されるということがわかってきています。

 要するに電氣とは、光から出たものであり、アマを始元として、マリから変遷した、アマの力であり、同種は反発、異種は引合い、粒子性、波動性がある……。という直観物理の観点は単純ですが、本質本性を捉えているものであり、結果の現象の本末は正しく導かれています。

 現在のように、文化が、文学、哲学、理学、工学、経済、政治、芸術、生活等、さまざまなものに分化する、はるか以前の上古代に、日本の地に住み、現代人よりもはるかに鋭い直観力によって、天然自然の物理を把握して、独自の世界を展開していた、遠い祖先、カタカムナ人の高度な文化が、このように既に存在していたのです。

9 物質の機構を示す

アマカムナ アマカムヒビキ
 サドツクシ
 アメノヒトツネ アメフタヤ
 アメノサデヨリ ワクムスビ
 イワツチイワス オメタグヒ
 イカツカタワケ サヌキアワ
 ホグシオシコロ オホタマル
 ヤクサイカツチ メグルマリ


このカムヒビキの現代語要旨(楢崎皐月による)

 「自由に個々の性質に分かれている様々な物質は、いずれもアマの微分のアメから生成されたものであり、極限的には、正の物質と、負の物質の二つの性質に分かれている。その正反性の物質は、それぞれ、始元量アマの密度差によって、いろいろと性質の異なる枠を形成している。 しかも、その形成する枠は、例外なく、雌雄配偶のカタチをもつ、微細な枠の集積したものである。すなわち、物質は、大別して、正と反の性質に分類されるが、電氣的には、陰性電氣を帯びたサヌキと、陽性電気を帯びたアワの、微細構造で成り立っており、いずれも始元量アマから分化した存在である。 そして、正反の電氣性を荷う微細な素量の雌雄の対が消失することによって、始元量アマに還元売るという循環系である。」

 <サド ツクシ>とは、「自由に(ク)微分(サ)統合(ト)された、個々(ツ)の物質」という意味を表すヒビキです。すなわちすべての「モノ」を指しています。

 <アマノヒトツネ>とは、「始元量アメを同根(ヒトツネ)として、個々物質は成り立つ」という意味を表します。

 <アメ フタヤ>とは、「始元量アメから生成する個々物質は、極限的には、正(アカ)と反(アヤ)の二つの性質に分かれる」という意味です。

 <アメノ サデヨリ ワク ムスビ>とは、「個々物質(サドツクシ)は、始元量アメの密度差(サデヨリ)で、性質の異なる枠を形成している(ワクムスビ)」という意味を表わします。

 <イワツチ イワス オメ タグヒ>とは、「その形成する枠は、例外なく、雌雄配偶(オメタグヒ)のカタチを以て、多数の個々の微細枠(イワツ)が集積して(チ)いる」という意味を表します。つまり、一つ一つのアメは、アマの微分であり、まだ電氣性も磁氣性もないが、それがワクを結んで密度差をもつと、電氣性を帯び、雌雄(正・反)の配偶で行動します。イワとはイの和する意味で、イは微細な粒子、スはスル、すなわち行動することです。

 <イカツ カタワケ サヌキ アワ>とは、「電氣性を帯びた粒子は、サヌキ(陰電子)とアワ(正孔)とに、カタワケ(型分け)される」という意味です。

 <ホグシ オシコロ オホタマル>とは、「大きく正反性に分かれている物質(オホタマル)が、更に分解された(ホグシ)立体的粒子(オシコロ)となって」という意味を表しています。

 <ヤクサ イカツチ>とは、「いろいろな種類(ヤクサ)のイカツチ(イカツの持続、科学では荷電素粒子に当たる)」という意味です。

 <メグル マリ>とは、循環運動をしている微粒子という「運動」の意味と、始元量アマから分化した物質が、再びアマ始元量へ還る「還元」の意味とがかけられています。

 ● カムヒビキによれば、陰性電氣を帯びた素量子一般がサヌキ、陽性電氣を帯びた素量子一般がアワと呼ばれていて、言い換えれば、サヌキアワの素粒子は、さらにその下に掘り下げられたいくつかの素量子で成り立ち、その素量子にもまた、サヌキアワの配偶構造が存続するというサトリが基底を成しています。ここでの素粒子とは、素量子がいくつか集まったものであり、素粒子には大小があります。つまり、科学で扱われる陰電子とか正孔はそれが最小の単位ではなく、さらにその下に、サヌキアワの配偶構造をもつ構成要素量が存在する、という予見が示されていることになります。
 したがって、直観物理では、「正」の物質の中にも「反」の要素が位相として存在し、「反物質」も「反」の要素量のみで成り立つわけではなく、すべて、正反性の電氣の「密度差」によって構成され、その正反の雌雄性が、配偶している間は生存を保ち、その対の一方の「反」のアワが消失すれば、やがて、そのカタワレの、「正」のサヌキも、消失してアマに還元するのです。これが、生命を保ちつつ、新陳代謝する現象の原理なのです。

10 反物質の存在を示す

 現代科学において、「反粒子」の発見は比較的新しい出来事です。それまでは、正の電子のみに注目が置かれていたのですが、実験的に、電子の正反の存在と、対発生、対消滅の現象も見られることがわかり、素粒子の存在に関する、根本的な考察の見直しを、余儀なくされました。しかし、反の素粒子により構成される、反物質については、理論上存在しても、寿命が短すぎて、未だに発見が成されていないとされています。
 これに対して、科学技術開発のまだ無かった上古代において、既に、反粒子の存在は認められていました。また、物質の構成についての直観物理の考え方は、現代科学のそれとは異なり、反素粒子のみで構成される反物質などあり得ない、という立場をとっています。その反面、物質中に反粒子が取り込まれて存在するという意味での「反物質」の存在が認められ、以下のような、カムヒビキが明示されていたという、驚愕的な事実があるのです。

アマカムナ アマカムヒビキ ハッ フッ カッ
  アカ アヤ カシキ オホトマベ
  オホトヂカワル アキツヨミ
  ツラナギ ツラナミ クラウネヒ

このカムヒビキの現代語要旨(楢崎皐月による)

 「宇宙においては、正反性の粒子が、別々のカタチで現れるが、常に正反性粒子は、対発生であること。また、正反性の粒子は、時間的に別々に消えるが、常に正反の対で消滅するものであること。また、宇宙においては、巨量の正粒子と反粒子とが相互転換し、巨量のエネルギーを放出していること。また、エネルギーと粒子とは、相互転換を行うこと。そして、宇宙の虚空においては、 巨大なスケールで、正反粒子の生成、消滅、並びに崩壊が行われていること。」

 <ハッ フッ カッ>は、正反粒子の消滅音、そして、正反粒子の交換音を表したヒビキです。これは、宇宙における正反粒子の対発生、対消滅、並びに、正反粒子の相互転換等の現象を、カタカムナ人が直観でサトったことを表しています。

 <アカ アヤ カシキ>は、「正反の粒子が、別々の現象(カ)を示して(シ)現れる(キ)」の意味です。

 <オホトマベ>は、「別々のカタチの正反粒子が、常に、正反調和し(オホ)対に伴って(トマベ)発生し、消滅する」という意味を表しています。

 対消滅には、時間的な遅れがあり、反の粒子は早く消滅します。反の粒子が完全に消えると、まもなく、ペアになっていた正の粒子も消えて行きます。すなわち、正反粒子が、ペアに伴っている時は、その部分の生存が持続している、という直観です。

 <オホトヂ カワル>とは、「正反性の粒子(サヌキとアワ)の交換、並びに、粒子とエネルギーの相互転換が、持続している」という意味です。

 ここの処が、7項のアメフキホ、8項のアメフキヲ というヒビキで示していた、四相の説明の延長になります。フキホ・フキヲは、正反の粒子のサヌキ・アワの電氣性の発生の過程を示すヒビキです。電子(イカツ)の正反である、サヌキとアワの違いは、旋転の違い(回転方向が逆)ということであって、それは、構成される要素(イカツミ マクミ カラミ)の量の組み合わせ方によって定まる、という直観です。そして電磁波動が、周囲の環境に次々に吸収され、放出されて、波及する輻射の現象も、この粒子と波動エネルギーの交換による、というこの直観は、光の粒子性と波動性の重畳状態をも明らかにしています。輻射の現象は、電子の振動エネルギーが減衰し、恒常状態に戻るまで、次々と交換しつつ、吸収、放出を繰り返し、水が高きから低きに流れるようにして、伝わっていくスガタである、ということになります。
 したがって、太陽の放射する電磁振動は、それが伝わっている間は輻射エネルギーがあることになり、エネルギーが失われれば、個々のマリの状態にバラバラになり、アマの本来性に戻るということです。ということは、太陽の勢力圏を離れた恒星空間では、宇宙の様々な恒星から放出されたマリの密度の濃淡が存在する、ということになります。それらのマリは、宇宙の条件によって、例えば、地球圏内では、再び電磁波や、空気や、各種の元素を造りだすということになります。このことは「ハコクニ」とか「ワクムスヒ」、また「モロカゲサチ」と呼ばれています。
 このように、私達の身体を構成する生命質の材料も含め、あらゆる物質は、すべて、結局は、炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N) 等の元素の原子に帰し、それは「電磁場」の変遷したものであり、要するに、アマハヤミの過程や、アマタのアサヒ(恒星)の輻射や、アサヒを生むアマヒのチカラ等の「モロモロのサチ」のおカゲで、発現する、と観じたのでした。

 <アキツ ヨミ>とは、「個々に現われる現象(アキツ)が死する(崩壊する)、すなわち、現象が亡くなる」ことです。

 <ツラナギ ツラナミ クラ ウネヒ>とは、宇宙における大量の正反粒子の対発生、対消滅、並びに、正反粒子の崩壊転換が行われている様子を表現しています。

 ● 地球上に存在するすべてのものは、いつか崩壊して行きます。科学でも、元素の崩壊の事実は知られています。私達の肉体も、刻々に新陳代謝し、古い細胞は壊れて、新しいものに換わり、身体中の細胞は、神経系の一部を除いて、半年くらいですべて入れ替わると言われています。しかし、崩壊の過程や、崩壊後はどこに行くのか? は、わかっていません。この物理についての、カタカムナ人のサトリは、私達に大きな示唆をもたらすものです。

 現代科学において、「反粒子」の発見は比較的新しい出来事です。それまでは、正の電子のみに注目を置いていたのですが、結晶には、電子の正反がなければ、結合力が得られず、原子の構造も、正反がなければならぬ、単に電子の正反のスピンの違いだけでは、説明が出来なくなっていました。以来、それまで、安定であると考えられていた、正の電子、陽子、中性子(すなわち、正の素粒子)に対して、反素粒子が関与して生じる、対発生、対消滅の現象も見られることがわかり、素粒子の存在に関する、根本的な考察の見直しを、余儀なくされました。
 ただし、反の素粒子(反の電子、反の中性子、反の陽子等)は、確認されていますが、反物質は発見されていません。それは、地球上での反素粒子の寿命が、反電子で10⁻⁷ 秒、反陽子で10⁻⁸秒、反原子で4×10⁻⁹ 秒と極めて短く、反原子で構成される反物質の寿命はさらに短いので、存在しないのとほぼ変わりはないためだとしています。
 現代科学の見解と、直観物理のそれとを比較すると、科学で正反電子、正反の中性子陽子としているのは、それぞれイカツの正反(すなわちサヌキとアワ)、ウキフヌの正反に当たります。しかし、正反の物質の構成は全く異なり、科学で、正、反の物質の構成原子はそれぞれすべて正原子、すべて反原子であるから、反物質は地上では存在し得ぬのだ、としています。
 これに対して、直観物理では、一貫して、正(アカ)の物質中にも、反(アヤ)の要素を附随させている、としています。したがって、「正」の粒子も、「反」の粒子も存在しますが、「正」の要素だけで成り立つ正物質や、「反」の要素だけで成り立つ反物質などあり得ないという見解をとっていて、地上では極めて寿命の短い「反」粒子を、物質中に閉じ込める技術を開発し、「反物質の鉄」というべきものを作り出していたのでした。
 これは、カタカムナ人の持つ電氣の概念が、科学の定義と根本的に異なっていたからでした。そして、驚愕すべきことに、今日でこそ認識され始めた「反物質の存在」が、上古代のカムヒビキにおいて、既に開示されていたのです。

 


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