雨がすごい。先日の熊本の洪水時。ひどくなる前に福岡を出た。
沢山の人達の涙を感じながら、ダメになった田んぼや、畑を今どんな気持ちで眺めておいでなのだろう。。。そう思うと悲しみが溢れてしまう。
培った時間とか、想いとか整理つかない想いを抱えて途方に暮れる。
それでも人は生きていくのだから、空を見上げながら祈りながら過ごすのだろう。
父親を喪った時、一晩中お線香を絶やさないようにしながらも、朝方眠ってしまっていた。目が覚めた時、冷たい父の亡骸があり私は絶望した。
夢ではない・・・現実がそこにあり、どうしていいのかわからない感情に飲み込まれながら、ステレオの上にある升が目に入った。
父と毎年撒く予定の節分の豆が升に入ったままだった。
時が止まる…。人はよくそういうけど、本当にそこから時が止まってしまった。
喪失は人だけではない。ものを喪う事も、喪失だ。
手をかけ、想いをかけた畑や田んぼが無残にも流されて、大事な人を喪ってしまう人々の慟哭を感じるのは辛い。大変でしたねと慰めたいけど、それも
その方々の悲しみには足りないと思う。そう思うと何も言えなくなる。
だから人は祈るのだと思う。
19歳の時に失恋をした。悲しくて悲しくて、空を見上げながら泣いた。
あの時の喪失は、彼を喪失したこと。でもその向こうに、父の死で喪失した私も悲しみの扉が再度開いたから、悲しみが倍加したのだと今ならわかる。
喪失を追体験する。それも大きな悲しみにつながる。トラウマの大きさを
想い知る。今日は祈るしかできない私。
これからそこに立ち向かう方々が、立ち上がれますように。悲しみが少しでも癒えますようにと、祈ります。
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