情報が洗練されていくということ
懐古厨の立場に立って想像してみる。
パソコン通信だったダイヤルアップの時代、インターネット上には、情報が落ちていなかった。
けれど、先駆者たちが、必要な情報を投下していく。
数少ない情報源が、けれど、実用をともなって落ちている。とても、有益な状態だ。
そもそも、あの当時、先駆者になれた人たちの負担していたコストは、現在の比ではない。
今はどうだろうか。
インターネットを使える人が多くなって、個人の発信も可能なツールが用意された。
何が有益で、何が無駄かという尺度も増えた。
有益な情報も多くなったが、デブリも増えた。
この文章も、宇宙ゴミのひとつでしかない。
無料ツールは、発信者を増やすが、増やしすぎた結果、発信に迷いがなくなり、有益率が下がる。
ツールの有償化は、発信者を限定させるが、発信に責任を持つ人が増える可能性もある。
発高読低。
そういう世界観が、いくつか見られるようになってきた。
アプリの中のアルゴリズムで優先度に変化をつけているのも間接的に、発高読低を生み出しているのかもしれない。
そもそもアプリの空気感として、雑感がその主たる魅力であれば、「雑感の質があがる」=「雑感が極まる」だけではあるが。
有償発信者がどこでマネタイズをするか?という問題が発生するのだが、これは今後のマスメディアにも発生するように思う。
出演者側が有償、あるいは無償で出演する。
別のところでマネタイズポイントがあり、広告塔として出演し、番組に参加するのだ。
現時点でも、「番宣」的な立ち位置で出演しているが、局内の横断的出演者の利用なので、ドラマ出演に包括されて契約されていると考えていいだろう。昨今は、映画やインターネット動画サイトなどの「番宣」も資本提携のもと、増えている。
これが、外部へ拡大するのだ。
TVへの出演で、noteの有料記事へ招く。
規模感では笑えるほど、収益効果が悪そうだが、全くの外部への「番宣」と「無償出演」というセットが増える可能性がある。
未知の顧客層へリーチしたいので、YouTubeや他の配信サイト、他のチャンネルへの友情出演など、もうすでに始まっているかもしれない。
情報発信が高コストでなされ、届く先は無料。
届いた先での顧客の行動が、次の収益を産み、間接的に利益を叩き出す。
未知の顧客のファン化だ。
スマートフォンアプリも、無料で提供される背景に、高コスト負担を担う、超過課金勢の存在がある。
桁違いの課金者によって、サービスが維持されているのである。
ライトユーザーは、その恩恵に預かって、「未来の超過課金勢かもしれない層」を擬態してサービスを享受する。
どんなビジネスも、極端に言えば、千利休ですらも、この「一部の超過課金勢」に支えられてサービスを維持するビジネスモデルだったのかもしれない。
近年のチェーン店のビジネスモデルだけが、浅く広く課金勢の低廉価平均化によって、「利用者増加」と「コスト低減」に頼るビジネスモデルなので、特殊だったのかもしれない。
いずれにせよ、高密度の有益な情報を得るには、読者側も覚悟が必要で、その覚悟を「コスト」と呼ぶ。
発信者側も、その覚悟「コスト」を自覚して情報を発信する。
現時点でも充分に、コスト交換が行われているのだから、より一層、無償での情報が(もともと無益なものしかなかったのに)、より無益なものになっていくだろう。
無償は無償とマッチングして、
低水準は低水準とマッチングする。
クレジットカードのように、高水準だけが高水準とだけマッチングしていくのだ。
もう、はじまっているけどね。
平和じゃないか。
いい世界だ。
で、情報が洗練された世界で、どこが儲かるか?
新しい価値を創り出したビジネスゲームメーカーのプラットフォームだけが儲かるんだよ。
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