見出し画像

素直にみること

最近、注意していることがある。
注意すると言うか、心掛けるというか。

目の前の出来事を、素直に見ること。

推測や憶測を入れない。で物事を見る、対峙するということを心がけている。
出来事は目の前にある事実までを気に留めるようにして、その裏に予測できることや、カラクリなんかを憶測で想定しないようにしている。
特に、仕事の場面で。

そうすると、ストレスなく、仕事を学ぶことができる。

基本的には、というか、大学生の頃の「社会人とは的なムーブ」の流行にあって、「物事の本質を捉える」とか「裏を読む」とか「一手先を取る」とかいう思考ムーブに毒されていたように思う。

一生懸命にそれを獲得することが善いことで、一生懸命に他より先に、それら特有のムーブに近付くことが「成長」であるように感じられた。

けれども、それはそれで、新進気鋭の本書き様たちが、商売の一環としてやっていたことで、さも、ありがたいもののように喧伝してたものが、正しいかのように受け取られたために起こった、ただの勘違いムーブだったのでは無いか?と。
一旦仮説に置いて動いてみている。

例えば、お城の石垣から水が染み出している。
予測や憶測を入れると、
・お城の石垣の合間に湧水が噴き出していて、今にも石垣が崩れるかもしれない
・降った雨の通り道が一層裏に新しくできてしまっていて、崩れる危険性がある
みたいなことを、憶測することができる訳だけれど、考えてみたところで、事実は
・石垣のその場所から水が染み出していること
だけである。

何が原因かわからないし、その水の本質になんて触れることが無くても、次にやることは、「調査」という具体的な手段を伴った行為を急ぐべきなのだから、石垣の前で、あーだこーだ言うだけ、無駄である。
みたいな気分を手に入れた。

物事は至ってシンプルで、事象の有無。変化の有無。だけである。

そして、厄介なことに、1点だけ重要なのである。
自分へ影響の有無。
それだけ。

この場合の「自分」の範囲を、
アルバイトなら、自分の勤務時間内に影響があることかどうか?
平社員なら、自分の担当する業務に影響があるか?
管理職なら、自分の部門に影響があるか?
社長なら、自分の会社の存続に影響があるか?
みたいな、視点の階層によってその範囲の大きさが変わることはあるけれど、「自分ごと」として考える範囲は、しかるべき人が、しかるべきタイミングで、そこに置かれるのだから、素直に自分のこととして観られるようになっている日常のことなのだ。
(時々不十分なひとが居る愚痴は聞くが、それはそれで、人事担当者が未熟なだけかもしれない)

さて、素直に見ることをしていると、次の行動が早目に見えてくる。
推測もやめて憶測もやめると、
・改善すること
・自分ができること
・誰かに頼むこと(担当外のこと)
に思い至る。

自分の範囲にあることなら、さっさとやれば良いし、誰かの許可がいることなら、頼れば良い。
・トイレの後は、
・いつまでも自分の健康状態を眺めて「昨日は飲み過ぎたなぁ。3件目のアレがよくなかったかなぁ」なんてぶつぶつ言ってないで、
・さっさと流す。
で善いのである。

意識が高そうな言葉は、きっと、平安時代くらいからある有効な商売ジャンルだし、永久に不滅な文化だと思う。
けれど、案外、必要なことは、目の前の出来事を、素直に見て、見えていることだけを、素直に捉えることなのかもしれない。

自分はありがたいことに、本来は、素直な性格だったようだ。
だから、なんだか、幼い頃の自分の肩の力を抜いた思考を取り戻し始めている。
幼稚園児の時のような、視線と受容を取り戻し始めている気がする。
時々、後天的にインストールされた不要なソフトウェアが空回りすることもあるけれど、その思考実験中は、案外、無駄で暇な時の産物だったりする。

商売というのは、稼ぐために、工夫することが必要。
逆に言えば、工夫しなければ売れないものは、やはり、その程度ということ。
人を説得する言葉が、どんどん提供されると言うことは、それだけ、着飾る必要があるということ。
ビジネスの構成や、情報のルートが変わって来たおかげで、以前よりも劣悪な情報が増えてきた。
個人が発信をしやすい代わりに、劣悪な工夫も発信しやすくなっているのだから。

そういう意味で、目の前の出来事を、素直に、自分ごとかどうか見極めることができれば、余計なものに惑わされないのかもしれない。



これを読んだ、今、「そうかもしれない」と思うことも、惑わされている証拠かもしれない。
そう、日本語も、充分危険なのだからね(笑)

この記事が参加している募集

仕事のコツ

with 日本経済新聞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?