第30回 新庄市鳥越訪問~松田甚次郎を訪ねて
はじめに
今まで松田甚次郎を何度か取り上げていますが、盛岡高等農林時代、羅須地人協会の宮沢賢治を訪問し、その際の指導、一、小作人たれ、ニ、農村劇をやれ を愚直なまでに実践した方です。また、昭和十三年著書『土に叫ぶ』を出版しベストセラーになり、戦前宮沢賢治の名を全国に広めた立役者でもあります。その松田甚次郎の郷里、山形県新庄市鳥越を今回訪問してみました。みちのくの山野草さんのブログの焼き直しではないかと思われる方もおられるでしょうが、令和にアップデートして再度記録として残したいと思います。
お墓を見つける!
最初は、みちのくの山野草さんのブログ見ていたのでお墓は簡単に見つかると思ってました。事前に鳥越八幡の向かい側に如法寺を見つけていたので、そこの墓地かと思い探しましたが見当たりません。お寺に聞こうにも掃除中らしくなかなか出てきてくれません。ようやくお寺の人に聞くと、より新庄市街地から右手少し奥の森の中にあるということでした。さまよって探します。
みちのくの山野草さんのブログはリンクからどうぞ。
写真の赤い屋根のお家で再度確認するも、松田甚次郎さんは知らないけれど、裏手には墓地がありますと言われます。手前の道入って左側にあるということでした。ここまで20分以上かかってます。
拝んで参りました🙏 8月5日訪問で命日8月4日にはお参りできませんでしたが、確かに宮沢賢治との師弟愛を受け取りました。
鳥越八幡神社と土舞台
ここまでくれば先ずは一安心。グーグルマップどおりに、鳥越八幡神社にクルマて1分で移動します。駐車場に停めて、松田甚次郎碑と胸像にお目にかかります。
胸像は若かりし頃の松田甚次郎といったところでしょうか。
神社の左上に階段が見えるので、土舞台だろうと思い登っていくとその通りでした。パネルがありましたが、みちのくの山野草さんのブログが平成21年頃の写真だったのでその頃にはまだなかったものです。以下、パネル文を書き写します。
十分な解説ですね。ここで、#土に叫ぶ に記載されたとおり、宮沢賢治が手直しし松田甚次郎との合作となった『水涸れ』に始まる農民劇が36回演じられることになるのです。
土に叫ぶの碑
最上共働村塾跡です。左手前には、最上共働村塾の門柱らしきものが。正直いって、はじめて鳥越に来て予備知識なく辿りつけるかと言われると大丈夫とは言いがたいです。ここでも手を合わせてきました🙏
終わりに
印象になりますが、新庄市街地に比べると鳥越は若干標高が高く山村と言われればそのようにも思いました。『土に叫ぶ』でも記載されていたように、この鳥越地区を走るメインストリートが旧羽州街道であったことを考えると歴史ある村だったと再認識させられました。そして、何度も松田甚次郎もこの羽州街道を行き来したかと思うと感慨深く、お墓探しで羽州街道を歩いて見たことも良い思い出になりました。
付記 地図
鳥越の地図を付けておきます。グリーンの目印が、左がお墓。右が土に叫ぶの碑になります。大凡の目安ですので参考まで。
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