スピリチュアルしか存在しなかった時代

久しぶりに小説を読んでいる。『ギケイキ』という変わったタイトルの小説。作者は町田康さん。これがとても面白い。

ギケイは義経の音読みなのか、これは源義経の物語だ。義経にはいろんな別名があって、牛若丸がいちばん知られている別名だろう。

いわゆる歴史小説というジャンルになるのだろうけど、とてもそう読めないほど風変わりな小説になっている。少なくとも今読んでいるぼくは歴史モノを読んでいるという感覚はあまりない。じゃあどんなつもりで読んでいるのかと訊かれても困るけど。

話し手は義経本人なのだけど、なぜか「超現代風」にしゃべっている。はは、とかマジすか、とか平気でしゃべる。時間のかかる道のりを例えるのに「東上線で池袋まで出て渋谷から田園都市線で〜」みたいな話をする。

これだけ書くと時代劇の陳腐な現代風アレンジみたいに聞こえるかもしれないけど、そこはさすがプロの作家というか、不思議と違和感はない。すごいと思う。

さっきネットでこの本を調べてみたら2016年の出版らしい。「超絶文体で現代に蘇った古典文学」みたいな紹介文があったけど、まあそういう感じだと思う。面白い。

語り口や文体の面白さは実際に読む以上には伝えられない。だから自分の感想を思ったまま書く。

おそらくこの『ギケイキ』という歴史小説(古典の現代風アレンジ)は、文体こそ超絶に変えてあるものの、そこに書かれている内容や物語はかなり忠実に史実的に書かれているのだと思う。おそらくかなりの下調べや歴史的な検証がなされた上で、この書き方をしているのだと思われる。でないとこの説得力はでない(読めばわかります)。

文体が「超現代風」のわりには(だからこそなのか)当時の時代背景や義経の置かれた境遇がすんなりと理解できる。そしてこれは他の古典的な作品にも共通することだけど、平安時代とかそのくらいの日本では「霊」というものが今より一般的だったという印象がある。霊、霊魂、幽霊など。

昔の人たちにとって「霊」というのは「感覚的なものの総称」だったのではないか、そんなことを思った。言語で言い表せないものは皆「霊的な存在の仕業」みたいな共通認識があったのではないか。

たとえば、今だと「寝る時に冷やしてしまったから、ちょっとお腹が痛い」とか「無理な運動をしすぎて、腱鞘炎になった」みたいに、現代は科学的な説明をする。

それが昔は科学とかないから「悪い霊が取り憑いているから腹が痛くなる」「腕の痛みを取り除くには祈るべし」みたいな捉え方をしていたのではないか。

小説にそんなことは書かれていない。けどこの時代の物語(源氏物語もそうだ)を読むと、そんな風に感じる。昔の人たちの感じ方は霊ありきで捉えていたのだろうなと。

変な言い方かもしれないけど、当時のそういう世界との向き合い方(すべてが霊の仕業)にも、それなりの「妥当性」があるように思う。

もっと言うと、今の化学的なアプローチよりも「なんだか分からないけど霊の仕業だ」みたいな考え方の方がうまくいくことも結構あるような気がする。

いわゆる「スピリチュアル」に、ぼくはぜんぜん疎い人間だけど、こういう取り入れ方もしてみると面白そうだなと思った。

ともあれ、古典の解釈としても読み物としても面白い本です。おすすめ。




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