「多様性が大事な理由」を言語化してみる
「多様性は大事」というのはよく言われることだし、たぶんその通りなんだと思う。
でも、なぜ・どのように大事なのか? と聞かれると澱みなく答えられる人は少ないのではないだろうか。
今回は「多様性が大事な理由」を自分なりに言語化してみることにする。
多様性が大事な理由。共同体に多種多様な人が共存していると、その組織は粘り強くなって、変化に対応できるようになるから。それが最も単純な説明になる。もう少し具体的に考えてみる。
多様性の効力について考えるとき思い浮かぶのが、「免疫」の話だ。
むかし、どこかの国に2つの部族がいた。片方の部族は健常者だけで成り立っていて、障害のある(知的や身体的にも)子供が生まれると間引きをしていた。
もう片方の部族では、(古くからの言い伝えにしたがって)どんな子どもが生まれても可能な限り生かして育てた。
健常者だけの部族は、障害者を生かす部族をバカにした。「そんな役にも立たない人間を生かしておいて何になる。食料が無駄になるだけじゃないか」と。それでも部族の人たちは健常でない人間も生かし続けた。
あるとき、疫病が村を襲った。深刻な感染病だ。
突然入り込んできた疫病に、人々はなす術がなかった。ワクチンも治療薬もない時代の話だ。男も女も若い人も老人も次々に倒れていく。疫病を体験したことのない部族は、ほとんど死に絶えてしまった。
しかし片方の部族は(非健常者を生かしておいた方)生き残った。
本人たちにも理由はわからなかったけど、障害者だけが病気にならなかったのだ。
非健常者は知的にも身体的にも問題を抱えていたが、感染症への「免疫」を持っていた。だから生き延びることができた。
こうして健常者のみで構成される部族は絶滅し、そうでない部族が生き残った、という話。
この話のポイントを簡潔にいうと「異端者だけが突発的な危機への耐性をもっている」みたいなことだと思う。
そして、お荷物になるような人間を排除しなかった理由は、決してその人間だけが免疫を持っていたから、ではない。あくまで古くからの言い伝えに従っていただけ。だけどこの場合はそのことが命運をわけた。
異端な存在(障害者などマイノリティな人たち)は普段は疎まれる存在だが、突然訪れる脅威に対抗できるのは、彼らの方だった。
マジョリティ(多数派)の強者たちは普段の生活においては強いが、予想外の出来事(疫病とか)には驚くほど弱い。みんなまとめて倒れてしまう。
そんなときに生き残るのは、普段は「何の役にもたたない弱者」である少数派の方なのだ。
だから、共同体に多様性を持たせること、つまり異端者や少数派の存在を受け入れることは、いつか起こる突発的な危機に対する対抗手段を持つことになる。
異端者を排除しないことは、予想外の危機的な事態が起こったときの「保険」になるのだ。ドライな言い方をすれば。
この話を、ローカルかつしょうもない例を持ち出してみると、こんなことも言える。
とある会社で、厄介者とされる男がいた。悪い人間ではないのだけど、空気が読めず皆をイラつかせている。
ところがあるとき社内でもめ事が起こり、会社の空気がギクシャクした。そんなときに普段は厄介者であった男が、意外な活躍をする。
みんなの架け橋的な存在になり、社内は落ち着くことができた。空気が読めないことが逆に功を奏した。
これも「多様性の力」だ。
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