「まわりを巻き込む」を別の言い方で

最近ではあまり見かけなくなったけど、一時期ネットなどで「まわりを巻き込め」みたいな言説がやたらと目に付いたことを覚えている。

だれが言い出したのかはしらない。当時の人気インフルエンサーたちが広めたのだと思う。

しかしぼくは、この「他人を巻き込め」というメッセージが好きではなかった。今でも同じだ。

単純に自分ができていない(まわりを巻き込めてない)から嫌だった、というネガティブな理由もなくはない。だけどそれ以上に、言葉に込められたニュアンスが肌に合わなかったことが大きいと思っている。

流行りモノは嫌、多数派とは違うことがしたい、天邪鬼といえばそれまでかもしれない。でも、安易に仲間を求めるつもりはないけどぼくと同じような人はけっこうな割合でいるような気もする。

ひとつ明確にしておきたいのは、主張されている説自体には反対してないということ。

ひとりだけでやっていても、大したことはできない。それは世の中の真理だと思う。だから「まわりの人を巻き込む」のは確かに重要なことではある。

ただ、その「言い方」が好きじゃなかった。「まわりを巻き込め」と言われると、なにやら自分が荒れ狂う竜巻みたいにならないと物事は成し得ないよ!と言われているようで、その電通的なオラオラ感には大いに異を唱えたい。

言っていることは同様でも、別の言い方ができるはずだ。ぼくとしては以下のような表現の方が好感が持てる。

  • 意思の力を効率的に使うために、複数人で活動する

  • 社会的な欲求を利用して目標達成への勢いをつける


むしろわかりにくくなったじゃないか、という声が聞こえてきたけど、自分としてはこういう「乱暴じゃない言い方」のほうがしっくりくる。実践するのにもこっちのほうが抵抗がない。

「他人を巻き込め」はとても自分本位なイメージがあるけど、「自分のなかの社会的な欲求を上手に使う」だとスポーツ的な感じになる気がする。

言っていることは同じだ。「他人を巻き込む」は周囲の人にフォーカスしている表現だけど、「自分だけのことにしないで強制力を発生させる=続けるのが容易になる」という意味なら、

別の表現で「社会的な欲求を絡ませることで自分の意思力を効率的に使える」などと言ってもいいはずだ。

見え方は捉えようによって変わる。



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