令和の時代の始まりに、Awesome City Clubを聴いていた

平成と令和を跨いだ5月の大型連休に、Awesome City Clubを聴き始めた。
きっかけは、埼玉のビバラロックのチケットを取ったこと。元々、アジカン目当てで行くことを決めたフェスだった。人生の中で音楽を一番聞いていた高校時代からアジカンが好きで、初めて生で聴く機会を掴んだことに感激していた。
さらに幸福なことに、ビバラロックは新たにのめり込めるアーティストを沢山知る良い機会になった。その中の一組が、Awesome City Clubだった。

平成の終わりに、会社を辞めた。
急にできた時間の余白を埋めるように、音楽を聴いた。ここ数年、繰り返し聴くようなアーティストはしばらく出会えていなかった。音楽自体は聴いていたのだけど、高校や大学のときに好きになった音楽を聴き続けるという感じで。
日々の仕事に追われる中、歳だけをあっという間に重ね、私の中の音楽を受け止めるアンテナは、かなり弱っていたのだと思う。長く追いかけ続けるアーティストがいるのはもちろん幸せなことだけど、新しく素晴らしいものに出会ってもそれに気づけないのは哀しいことだ。
ハローワークに通う日々の合間に出会った音楽は、私の長く停滞していたものを流し去る新鮮な水のように、心地良く、素直に浸透してきた。

5月4日土曜日、ビバラロック2日目。
新緑の揺れるさいたまスーパーアリーナは、高揚感と熱気に満ち溢れていた。
待ち合わせの友人は寝坊した。
「勿体ないねえ」と哀れみつつ、一人で赤い公園とKing Gnuのステージを満喫する。
やっと到着した友人と遅めの昼食を取り、準備万端でAwesomeの野外ステージへ向かった。

人だかりの向こうに、小さく見えるグループの5人。
姿は「アウトサイダー」のPVぐらいでしか見たことがなかったので、第一印象は「思ったより、今時の若者っぽい」という年増らしい感想を抱いた。
あのPVはまさに、架空の街“Awesome City”の名前の通り、実在を疑ってしまうぐらいの幻想的な世界観だったから。

黄色の風船を片手につけ、リズムに揺られて踊って歌うPORIN氏の、なんとかわいらしいこと。
でも、歌声は力強い。
曇り始めた3時の空は雨が心配だったけれど、彼女の声は青空に伸びる飛行機雲のように、真っ直ぐで、やわらかだった。
atagi氏とPORIN氏の掛け合いで生まれる音色はカラフルで、どこまでもどこまでも彼らの世界に連れていかれる。
「クリエイティブオールナイト」のときだけは、学生時代に文章やら映像やらを作っていた、徹夜明けの朝を思い出して、ちくりと胸が痛んだ。
好きなものが、いっぱいあったよなぁと思う。
それを仕事にしようと思うだけの度胸も覚悟も、私にはなかったけれど。
安定した生活を取って、そこでも挫けて、無職の自由な心で彼らの音楽を浴びた。

それから結構いろいろあって、今はいちおう無職ではないのだけれど、幸い音楽を聴く時間は失っていない。
令和の新しいアーテイスト達と、たくさん出会うことができた。
Awesome City Clubは、ドライブ中に聴くのがいちばんのお気に入りだ。
土曜日の夜、北へ向かう長い国道の、40分の道程。彼らの音楽だけに満たされる小さな空間。何もない夜の海の景色は、聴覚を邪魔しない。
初夏に通い始めた絵画教室で2時間、高校生に交じって絵を描いたら、また音楽を聴きながら家へ帰る。
こんな贅沢な時間はきっと人生で最後だろう。夢を見ているみたいだ、と毎週思う。
これから色々と、忙しくなる予定だ。いつまでもマイペースに生きていたいのだけど、理由あって今は忙しくなりたいと思っている。
そんな嵐の前の令和元年に、Awesome City Clubを聴いていた。
いつかまた音楽を忘れるくらい大事なものが他にできても、プレイリストを開けばこの時代の自分を、思い出せるだろうか。

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