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思ってること、いってること、やってること、が違う時

きのう3月8日は国際女性デーで、バンガロールではレストランがそれを記念してサンデー・ブランチ(ブッフェ)していたり、セールをしていたり、すっかり商業ベースにのっている日ということを実感しながら、ふと今朝思い出した過去の自分の話。

時は20年以上遡り、大学3年生でのテニスサークルでの出来事。

私が所属していたテニスサークルでは女性が対外試合のたびにお弁当を作ってくることになっていた。なぜ女性だけ?自分で自分の食べるものぐらい持ってくればいいじゃん?と今なら思うしきっとそういうだろう。

しかし当時はなぜ女性だけ?という疑問よりも、自分が料理が得意じゃないから、嫌だった。でも仕方ないので適当になにか持っていっていた。家になにも具材がなく、いかを焼いて持っていって「誰が食べるのこれ?」と言われたのを鮮明に覚えている。

という話は前置きで、なにが言いたいかというと、私は女性なのに、女性が活躍しようとした芽を摘んでいたかもしれないと振り返って思ったのです。

当時、毎日の練習のメニューを考えるヘッドも全員男性だった。自分たちがサークル活動を卒業するかしないのかの頃、下の世代の人から女性もヘッドができるんじゃないかと言うような相談を受けた。
その時の私の反応。
何かネガティブなことを言った気がする。
なんでかわからないけれど、それを応援するような事は一切言えなかった気がする。

そうして私のひとつ下の学年が執行部になったとき、男性キャプテンが試合で自分もお弁当を作り出し、そしてその代と次の代ぐらいから、女性の練習ヘッドもやるようになった(たしか)。

あの時のことをもう一度思い出すと。そうなったらいいと思っていないわけではなかったと思う。なのに、なにかが邪魔していた。自分が出来なかったことをしたの代がやるのが気に食わなかったから?かもしれない。わからない。

「女性がもっと活躍できたらいい」って大学生の頃から思っていたと思う。
関心あるし、支持していると思っていた。でも。いざとなったら、実際の言動は違ったのである。

何が言いたいかというと
「自分がそう思っていると思っていること」、「いってること」や「やってること」が合ってないことって、あると思う。

本当にそう思ってないからだ、という説もあるけれど。本当はどうなのかわからならい。全部じゃないけど一部はそう、とか、人の考えって意外と複雑なんだと思う。

なので、合ってなかったら「言ってることとやっていること違うやん」とそっと気づかせてあげるのが良いのではないかと思う。とくに女性の活躍についてね。本人気付いてないし、わかってない可能性が大なのではないかと思うから。

そしてこの日本の女性をとりまく20年の変化はものすごくでかいし、人も変わる。

だから過去のなんらかの言動をした人が、必ずしもいまもそうかというと、変わっているかもしれない(変わっていないかもしれない)。

大学時代授業を聞いて、「大学生がベビーシッターするビジネスをしたら、女性も活躍できるのでは」と言った私を否定した先生はいま女子大の学長で男女共同参画のなんとかだし、大学院時代に「私は仕事もしたいし家庭も持ちたい」と言ったら「主婦か仕事か、いつか選ばなくてはならなくなるよ」って言った人は、いまそんなこといったら大問題になりそうな重要ポジションについている。

そう考えると、いま当たり前と思っていることも、20年後はそうじゃないかもしれないなぁ。

このテーマは書きたいことがたくさんあるので、また書きたいと思います。

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