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気ままに一首評_002

窓越しに窓が見えてる わりと繊細な人なのかもしれないね
佐クマサトシ「標準時」

部屋の窓に注目するのではなく、その先にある窓に注目してしまう。
そんな私は割と繊細な人なのかもしれないね。
と主体が主体への気づきを綴った歌として詠んだ。

単純に外の窓に注目しているのではなく、”窓越し”の窓に注目しているのがポイントだろう。
主体は、内側の窓を認識した上で外の窓を見ている。
本当は内側の窓なんか意識しなくても良いはずなのに、無意識の中で
ぼんやりとその存在を認識してしまって、外の窓に注目しきれずにいる。

繊細な人は、他の大勢が素通りしてしまうことにいちいち引っ掛かってしまうので苦労する。
この歌では”内側の窓”がその”引っ掛かり”になって、外の窓への注目を遠ざけてしまう。
この感覚が、まさに繊細だと言える。

上の句では、まだ自分の繊細さに気づいていないが、
下の句で、※内側の窓のガラスを”割る”ように、割と自分は繊細な人なのかもしれないと気が付くことで、喉のつまりが少し取れたような、気持ちの上向きを感じる。

※繊細さは失わなくても良い感覚だと思うので、内側の窓を割る=繊細さを取り払うと言う解釈は、考えすぎかもしれません。
短歌中では、あえて”わりと”とひらがなにしているのも気になります。
個人的には、単純に”割と繊細な人”と言う意味のほかに、”窓”を”割る”ともかけている気がします。
この辺について皆さんはどのように解釈しますか?

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