30歳、隠居生活 その12 倉庫の次の現場

新しく入った現場は、活気のあった倉庫現場とはかけ離れた空間であった。

サーバーのために真冬の温度に設定してある空間は、どう考えても人が作業をする場所ではない。

新しい現場へと入って3日と経たぬ内、私は既に転職を決意していた。

ただ仕事をするだけであれば、倉庫現場の方が断然良い。

自分の担当案件なら自分の裁量でやれるようになっていたし、既に手足の如く現場を熟知しており、勝手が分かっていたからだ。

人間関係が新しくなることや、業務を全て覚え直しとなるとしても、

中にいて同じ仕事をしてきた倉庫の仲間が倉庫の現場を出たいと言っていたのは、先々の心配があるためだった。

つまり、給与は上がらず、技術は身に付かない。

であれば、倉庫を出て新環境に求められる条件は、そのどちらかか両方があること以外にはありえないのであるが、

ただ会社の都合で異動があったここには、その2つどころか、倉庫現場ではあったはずの全てがなかった。

考えの合う仲間も、頼れるリーダーも、徹底して改善を重ねられた仕事の仕組みも、そして私が作ってきた便利からも、

全て強制的に切り離され、代わりに得たものは何もなかった。

ただ機器のために、真冬のように寒く冷房が入れられたサーバールームが、私の新しい職場だった。

一度、倉庫の現場から私の残していた仕事について問い合わせの電話が来た時の安堵感と言ったらなかった。

今からでもそこに戻りたい気分であった。必要な連絡を終え、電話を切ると、再び現実が待っていた。

面談など、話のできるときには悉く現場環境の辛さを語ったが、どうにもなるものではない。

人によっては耐えられるものもいよう。しかし、私にはとても無理と悟った。

寒さにも、会社都合の現場異動にも、そして現場自体、思うままにならぬ自社の弱さにも辟易していた。

とりあえず、そこで2ヶ月頑張れ、その間に別の現場を見つけてやるという話であったが、

そんなレベルの話ではもうなくなっていた。

2ヶ月が3ヶ月、3ヶ月が4ヶ月と、ずるずると話が伸びていく間、

私は会社には任せて置けぬと、せっせと転職活動に勤しんでいたのである。

今の現場にも、派遣SEという仕事の仕方にも、全く先が見えなくなっていた。

例え努力して続けたところで、仕事と残業が増えるだけのことである。

このまま続けていては、例えうまくいったとしても私の望まぬ方向へと進むことは目に見えていた。

5年後、10年後に同じ仕事をしていたとして、元気に暮らしていけるだろうか。

絶対にNoである。であれば続ける理由はなかった。

唯一幸いであったのは、この現場は殆どが定時で帰れたところである。

元々倉庫現場で残業慣れしていたので、定時帰宅では時間が余るくらいに感じるようになっていた。

残りの時間を転職活動に充てることにした。

私が転職活動を始めた時期は、転職市場に活気がある時期であり、転職サイトに登録すればすぐに連絡が繋がり、

面談を経て、すぐに求人探しという足の早い流れが出来上がっていた。

私などは全く世間に疎かったもので、一つ一つ企業を調べて求人を見るような足の遅い就職活動を想像していたので、

これには全く恐れ入った。話を聞いて歓心し、また実際に転職のレールに乗ってまた歓心したのである。

この時は、まだSEとして稼ぐ他の道もあるのではないかと思い、

転職エージェントとの面談を経て、開発現場の求人に応募などしてみたが、

やはり違うと思い直し、通過が出ていた開発現場の選考は辞退した。SEの道は取らぬ。

ついでに、選考を辞退なんて、僕が困ります。などと言い出したこの転職エージェントは見限った。

転職活動の主体はあくまで私であって、転職エージェントはあくまで便利のための道具役である。

実際してもらったことに対して、人としての感謝はあるが、別にあなたのために就活をしている訳ではない。

専門家であるのにここを勘違いしている者には用無しと思い、以降は連絡を取らず自分で求人を探した。

折に、GWなどで実家に帰省できることがあったので、地元の友人達と温泉など浸かったり、地元のうまい飯屋を巡ったりなどしていた。

その時に、長期休暇では普通に休め、残業なく、仕事は簡単であれば良いなぁとごく自然に思い立った。

その瞬間、ハッと気付き、これを就活の軸とすることにしたのである。

自然に私の真意を見抜き、極意を授けてくれる、誠に岩手の懐の広さを感じた。

ちょうど、登録していたサイトからデータ入力業務でスカウトがあり、選考が進んで転職が決まったのは、

自社から紹介された次の現場の契約書にサインを入れた翌日のことであった。

私は私の事情を全て知る役員の先輩にメールを入れ、退職を届け出た。

メールにはハッキリ書かなかったが、退職するつもりらしいのは伝わっていたらしく、早速本題に入った。

怒ったり、悲しんだり、恫喝されたり、様々な手法で引き留めを受けたが、

これまで大変お世話になったことへのお礼と、自分自身が全くSEで仕事をしていくのに向いている気質ではないので、

退職させて頂きます、と静かに伝えた。

元より事を構えるつもりは全くなかったので、向こうも流水に手を突っ込んだようなもので、私を止めることはできなかったのである。

そもそも、「就業規則では退職時は一ヶ月前に申し出ること」とだけ記載しているのをしっかりと確認していたため、

例え揉めたとしても、これを盾に乗り切る予定であった。退職の基本である。

ちなみに、ここで退職しなければ、私は精神科に行って適応障害の診断を自腹で受けさせられたり、

新しい現場には片道2時間の長距離移動を敷いられたりしていただろうから、どっちにしろ居るのはもう無理と言った限界のタイミングであった。

こうして、入場してから9ヶ月目に現場の外に出たとき、私の最初の会社での生活は幕を閉じたのである。

満身創痍での退職であった。

また、現場について触れると、どこにでもあるただの6人程度のキッティング現場であり、

PCの入出庫と(なんとここでも倉庫作業である!)初期設定などしていた。

真冬の寒さがあることと、全く活気に欠けていること以外は、なんら変哲のない現場であった。

最初の数カ月は、私のドジもありメンバーにも馴染めなかったのであるが、

しばらくすると現場内の面子同士でお互い阿吽の呼吸も取れるようになり、私もようやく輪に入ることができた。

前の現場で覚えた仕事の仕方も発揮でき、むしろ丁寧な仕事の仕方と指導ぶりには良く思って頂けたところもあったようである。

また、この現場を退職するときは、当時の私よりも若い女性社員二人に誘われ、細やかな退所祝を開いて頂いたのが

女っ気のない私の、数少ない女っ気のある話である。

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