30歳、隠居生活 その20 退職届を出してから
就業規則通り、退職届から1ヶ月での退職で話はまとまった。有給もあったので残りは3週間程度。
仕事の整理をするように言われたが、既に普段から整理整頓は必要以上にやり切っているためやることもあまりない。
所長には、え、本当にこれだけ、と何度も驚かれたが、普段のルーチン作業などほぼ皆無であり、
各集計表は誰でも簡単に更新できるようにし、週次の集計は週に1回、月次の集計は月に1回の作業で済むようにしていたので、
これらの作業も簡単に各部門に無理なく溶けていったので、所長に説明する部分は殆どなかった。
そこまで圧縮するのは分かっている人間にしかできないが、圧縮したあとならば一番下っ端の作業員でも5分で終わるレベルの作業である。
ここに仕事の整理整頓の妙味がある。
システム周りでは、困ったときには私の名前ではなく新任の名前が呼ばれるようになっていた。
元々日常の業務は、私が資料作成の傍らでやれる程度しかなく、よく人を見て対応をしてくれる人であったため、
こちらも心配要らなかった。しかし、入って2ヶ月で前任者である私が退職するのはやはり不安な様子が見て取れたので、
いる間は積極的に声掛けなどして、年内にあるライセンスの更新やPCの入替えの話などまでしていた。
経理の作業についても、前年と同じ作業が出ていたが、下らぬ見た目の修正を除けば、骨はしっかりしており、
結局最初に作った集計表だけで用が足りることが分かっていたため、特段のことがなければ修正不要であった。
こちらも心配無用の体であった。
また、私が退職届を出して間もなく、先輩も辞職を告げた。
元々先輩の方が先に出る話であったし、
私の次に新しい人間を雇ってまた教えてというのも今となっては無理であろう。至極当然の結果に思えた。
私の退職は先輩には寝耳に水のことで、大変迷惑をかけたと思ったが、割に元気であった。
もう一度イラストレーターにチャレンジしてみる。元気は君からもらった。
と言われると、私も照れ臭いやら嬉しい気分になってくる。
思えば、最初に退職するとまで嫌になっていた事務所に残って、私の面倒を見、
そこからも、会議などでは常に2人体制で表の修正や報告に当たっていた。
指示する所長の側は簡単であるが、それを受けて会議中に動的に表を修正するのは楽ではない。
ほぼ1日中の会議のときなどは、こちらは2人いる強みを活かし、交代しながら困難に当たっていたのである。
倉庫時代のリーダーは私にとって一番のリーダーであったとしたら、この先輩は私にとって一番の先輩であった。
大したことのない日常の会話や、冗談じみた関数表のネタをA4表に書いて見せたりなど、
仕事だけではつまらぬ就業時間を一緒に楽しんでくれたいい先輩であった。
そうこうする間に、最後の出社日が来た。
思いがけず、各所から退職祝いなど両手に抱えきれないほど頂き驚いていた。
実は、絵のうまい所員からの似顔絵だけは、他に退職者がもらったのを見て私も欲しいとこっそりリクエストなど
していたのであるが、それにつけてもこんなに各所から贈り物など頂けると思っていなかったのだ。
余りにたくさんあったので、一々中を確認せず、家に帰ってから気付いたのであるが、
スマートウォッチも送られていた。退職祝いに贈るものだろうか?いや嬉しいのだが。
恐縮しながら頂きものなどしていたが、
私の方でも、手動のミル挽きと、珈琲豆など持っていき、職場を珈琲の香りにまみれさせながら
お昼にコーヒーメーカーで入れた珈琲など皆に馳走して回っていた。いい天気の青空であった。
~Fin~
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