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追悼−乾吉佑先生

 10年以上前になるが、首のヘルニアによって耐え難い痛みがあり、臨床はもちろん日常生活にも支障をきたした。痛みに耐えかね、乾先生のスーパービジョンの際にそれを伝えると、「実は」と先生自身の痛みとの苦闘の歴史を話していただいた。先生は病のため、関節の間の神経が圧迫され、身体の節々に常に強烈な痛みが走っていることを話してくれた。どのような姿勢が痛くないのか、どのような歩き方がよいのか、こちらをかばうとあちらが痛くなり、と痛みと共存せざるを得ず、さまざまな工夫をしてきたとのことだった。先生が杖を持っていることは知っていたが、具体的な闘病について聞いたのはそれが初めてで、それ以来先生とお会いする時は、身体の痛みについての情報交換が常となった。私はヘルニアの数ヶ月で音を上げたわけだが、先生は何十年にわたって痛みとともに生きてきたのだった。
 私が何よりも驚いたことは、先生がその上であの笑顔で接してくれていたことだ。神経の圧迫による痛み(まるで何かをすりつぶすような鈍痛だ)は、とても笑える痛みではない。その痛みがあるにも関わらず、先生が底ぬけの笑顔であることが私には理解できず、「先生はよく笑えますね。僕はとても無理です。」と言うとそれに対して「コツを掴むんだよ。痛みとの共存のコツ。」とまた笑顔で返された。
 その「痛みとの共存のコツ」について、私はその後ますます実感することになる。臨床心理士の国家資格問題、あるいは医療の中で心理士の専門性をどのように発揮するかという戦いのなかで、さまざま痛い目に合い、煮え湯を飲まされるような思いもした。私はすぐにへこたれてしまうのだが、乾先生はいつもそれ自体を楽しんでおられた。悔しさや憤り、疲労感は感じておられたが、それを味わった上で、次の対策を練られていた。痛みを楽しんでおられたわけだ。つまり、先生の笑顔は、痛みへの防衛ではなく、痛みから発生していることがわかってきた。タフであきらめない。痛みを分析し、そこにやりがいや楽しみを見い出す。身体だけではなく、こころの痛みについてもそれは同様であり、その姿勢が先生の臨床を形づくり、一貫してその姿勢が人生においても保たれていた。だからこそ、人が引き受けない困難な仕事や役割を引き受けてきたのだ。
 その表れの一つとして、先生は「終活」を万全に進めていて、自分の逝去の後に皆に宛てた挨拶文の公開が綿密に段取りされていた。
 亡くなった数日後にご家族から公開された挨拶の一文が下記である。

私の人生を一言で申し上げれば、「楽しかったなー」です。もちろん苦労もあり、耐え難い時代も人並みに持ちました。しかし、いつの時にも何らかの皆さまのお力添えをいただき、辛さやいらだちはそれなりに折り合いをつけ乗り越えることができたからです。

 先生の「楽しかったなー」は弔いの悲しみを吹き飛ばし、思わず微笑んでしまう。先生が人生を明るく、楽しんだことが伝わってくる。きっと、死も楽しんでおられるだろう。そんな爽やかな思いが湧いて、私が笑顔になり、先生のにっこりした笑顔が脳裏に浮かぶ。とても先生らしいお別れの言葉だ。
 そんな乾先生の強さは、私の中に少しでも浸透しただろうか?辛いことがあったとき、それを客観視して「面白くなってきたな」と思える瞬間、少しだけ先生が私の中に感じられる。
 そんな生き方を間近で体感したことを私の糧として生きていきたい。乾先生、本当にありがとうございました。

(岩倉拓)
開業精神療法研究会ニュースレターに投稿したものです。


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