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2021年はどんな1年にしよう?

同じことを繰り返し行い、違う結果を期待することを「狂気」と呼ぶ。

維持したい現状もないですし、もっとギターも暮らしも欲張っていきたい2021年。

こんにちは、いわしです・ω・

「同じことを繰り返し行い、違う結果を期待する」

これって結構やりがちじゃないですか?

冷静に、客観視していれば、アイツ同じことやってんなぁ〜なんて見られても、ついつい焦っていたり、視野が狭窄していると「同じこと」を繰り返していたりします。

一番思い浮かびやすいのが、出かける前に「探しもの」をしているとき。

いつもここに置いてる、ここに置いた気がする。

焦っていると一度見たのに、何回も同じところを探してしまう(笑)

「一年の計は元旦にあり」

というのも、流れていく日々に忙殺されない、色んなお店・会社がストップして1日がゆったりと流れていく「元旦」にこそ、落ち着いて同じことを繰り返さないように1年の目標を立てるのに適しているんじゃないかなって思います。

まあ、これ書いてるの1月2日なんですが。

2021年はどんな年にしよう?

これを書くのは、少し勇気がいることなんだけど、私はギターソロが苦手で。

指動かないし、焦るし、とにかく苦手意識をこじらせまくった結果、カッティングに逃げ込んでいました。

師匠のトモ藤田さんに出会うまでは、ろくにカッティングも弾けなかったので、それだけでもホントにギターを弾くのが楽しいな〜って思えるようになったのはデカイです。

でもでもでもでも。

やっぱりソロが弾きたい。

去年も「苦手から逃げない1年にする」と決めたけど、ソロには向き合えなかった。

なので今年は、ギターソロのある曲をカバーしていきたいなと思います。

思い切りぶつからないとわからない

一番かっこ悪いのって、やりもしないのに、100%努力した感もないのに、「判断すること」じゃないですか?

世の中そういう「こじらせマン」がたくさん育っているから、人のことをとやかく言って攻撃する。

「自分は能力高いから、これも頑張ればできるはず」

みたいなことを思いながら、一生やらない。

「やればできる」の成れの果てですね(笑)

私が「やればできる」を最高にこじらせた記憶があるのが、就活のとき。

それまで「テストの成績だけ」は良かった私は、周りからも「やればできるよ」と言われ続け、でも就活に挑戦できませんでした。

「やればできる」と言われても、「やる」ことができない=挑戦できないから、現実は「できない」。

「自分はできるかもしれない」っていう可能性を自分の中で温めても、結局現実は「やってできない」も「やればできる(やってないのでできない)」も同じこと。

こんな当たり前なことにも、そのときは気づかないものですよね……

話を今年の目標に戻すと、ソロもちょっとやって諦め、ちょっとやって諦め……な感じでまだぶつかりきれてない感じがあるので、今年はギターソロと真っ向勝負。

自分には、ホントギターの才能ないな〜って思うけど、トモさんと出会って、まともにカッティングが弾けるようになって、案外私にも、私を満足させるだけ弾けるルートはあるんじゃないかと思えるようになったし。

まだまだ「才能の限界」が見えるほどには、試しきれていない「ルート」があると思うので、今年はがんばろう。

「才能」を考える。

「才能」っていう言葉の意味をよく考えます。

パソコンのスペックみたいな感じで、やっぱり人それぞれ個体値が違いますよね。

ほんの少しやっただけで、できるもの。全くダメなもの。

そういうのが、まず個体値としての「才能」を感じる部分ですよね。

もっとカンタンなところでは、手の大きさ、身長、指の柔軟性などなど。

誤解を与えそうだから先に書くけど、「才能」によって「ギターをやるかやらないか」のような0か100かみたいな選択は決めるべきじゃないと思っています。

自分の「才能」を見極めて、「ルート」を決めていく。

それが大事なんじゃないかと思うのです。

例えば、ジミヘンは〜とか、ポール・マッカートニーは〜、とか、めちゃんこすごいビッグネーム出して、音楽理論知らなかった、1日に8時間は毎日弾いていたらしい、とか。

同じ才能を持っていないのに「ルート(手段)」を真似しても、同じ結果は得られないって話ですよね。

ちょろっと話が逸れてしまった。

「才能があれば努力は要らないのか」

「才能」というものに固執しすぎて「才能=努力の要らないもの」だと思っていた時期があります。

これが100%否定できたら世の中シンプルなのかもしれないけど、才能があれば、才能がない人が頑張らなきゃいけないところをショートカットできる部分もある。

同じ時間かけても、同じ結果を得られない。

でも、どんな才能がある人でもその人の才能(能力)の中でしか演奏できない。

極端な話、1フレットから22フレットまで届く人はいないけど、もし指が22本あって、1フレットから22フレットまで届いたら、その人にしか出来ないことができる。

才能の外側は、宇宙の外側みたいなもので未知数。

でも、今住んでいる場所だけに留まっていたら、同じ景色しか見られない。

同じことを繰り返し行い、違う結果を期待することを「狂気」と呼ぶ。

試行錯誤して、2021年ギターソロをお届けしてまいります!

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