私が唯一愛した男

今年最大の胸躍るニュースがあった。

沖縄アクターズスクールの復活だ。


ちょっと冷静には語れないが、
まず時代は30年近く前に遡る。

私の小学生時代は出るCD出るCD100万枚以上売れる音楽業界バブル時代であった。

当時は週末の夜に親にTSUTAYAに連れて行ってもらうことが楽しみで、CDをレンタルしてはカラフルなカセットテープに録音することが趣味。

一生懸命再生ボタンと録音ボタンの同時押しに励んでいた。
多分コツは同時押しの瞬間に息を止めることだったと思う。


中学生になる頃にはMDという四角の中に丸が入った物体が覇権をとり、カセットテープはお役御免となる…。


レンタルが主流だったが特に好きなアーティストのCDは購入するのが私の周りの定番で、初めて買ったCDはT.M.RevolutionのHOT LIMITだ。

2番目に買ったのは団子三兄弟。

3番目がPUFFYの何かと記憶している。


そんな錚々たる3組を差し置いて私が夢中になったのは安室ちゃんやSPEED、DA PUMP、Folderなどの沖縄アクターズスクール出身のアーティスト達。

山田優なども所属していたB.B.WEVESというスクール生で結成されたグループも好きで写真集を買うほどだった。


中でもFolderが格別に大好きで、その中でも三浦大知(当時大地)を見た時の衝撃たるや。
一つ年下で、こんなに歌が上手くてスターな子っているの!?とまさに雷に打たれた気分を人生で初めて経験した。

当時大知が小学生3年生なので私は4年生だったはず。

その後周りのジャニーズブームに流されたり、あいのりブームがきたりと迷走をしたりもしたがあの衝撃は消えることなく生涯大知推しを誓ったのは小学6年生の頃であった。

さわやか3組の主題歌を歌う大知の歌声を聞いて、これ以上の人は現れないと確信した。


その誓いとして「三浦」の印鑑を購入し、毎日持ち歩くというピュアな時代が私にもあった。


その後活動休止に入り、代わりにFolder5を追いかけたりパリピになったりしてるうちに変声期を終えた大知はソロで再デビューする。

和製マイケルジャクソンと呼ばれた神童三浦大知は、大切に大切に守られていた。
「変声期は無理に喉を使わせない」という理由で中学生時代を「普通の学生」としてバレーボール部に所属し学生生活を送っていたのだ。
泣ける。


再デビューは今は亡き「ボーダフォンのCM」であった。
ボーダフォン知ってる?

「携帯の映像が、変わるよ」
のアレである。
アレが三浦大知。


「待ってた」なんて一言では表せない、「ありがとう」だね。
この世に生まれてきてくれて、喉を守ってくれて、そして戻ってきてくれて、ありがとう。


その後、思うようには売れなかったのだと察するが彼のスタイルを確立させながら必死にもがき足掻いて今の彼があるのだろうと。
我思う成。



私は早くに子育てに入った為、派手なファン活動はできなかった。
日々YouTubeで三浦大知を見て生きる活力を得る。
そんな毎日。


一時期Twitterでファンの方との交流に励んでいた時期があったのだが、三浦大知のファン界隈は独特で、暖かい人が多かった。

運営からの公式発表が遅くても「あらあらまぁまぁ…」という空気だし、ファンクラブから送られてくる「この使い道はなんなの!?」という斜め上の発想なグッズもみんなで祭に仕立て上げ、大知に関するニュースはみんなで大喜びする。

そんなとても心地良い空気感なのは三浦大知そのものの人間性も関係してると思う。



その後仮面ライダーの主題歌、ツアーチケットの完売、ドラゴンボールの主題歌、天皇皇后両陛下の前での歌唱、念願の紅白出場などなど、たくさんの喜びを貰った。


そして避けては通れない。

推しの結婚問題。

例に漏れず大知も結婚した。

三浦の印鑑を買うくらいの女なので、自分でもその時がくるまでどんな感情になるのか想像もつかなかった。


いざ大知の結婚を知った時には、不思議なことに心の底から喜びの感情が湧いた。
「本当におめでとう、本当に良かった」と心の底から思えたのである。


そして知った。

我が子以外に無償の愛を感じられる相手がいるのだと。
これを愛と言わず何というのだろうか。

一周回って三浦大知の奥様にもお礼を言いたくなるほどだ。
機会さえあれば「日頃三浦大知を支えてくださりありがとうございます」と伝えたいが、奥様からしたら恐怖以外の何者でもないのでグッと我慢することにする。


だがあの暖かい三浦大知ファン界隈は揺れた。

あんなに暖かい人達が結婚肯定派と反対派でTLが少々荒れてしまった。

それを機にTwitterでのファン活動からは離れてしまった。


そして今や朝ドラの主題歌を歌うほどになった。
無音ダンスも世に浸透した。
もうリリースイベントで会話したり、握手したりはできない場所までいってしまった。


彼は私のことを知らないけど、私は彼を誇りに思ってるのだ。

今この瞬間も2000字余りの彼への愛を綴り、彼が活動を続ける限り静かに応援し続ける。




そして昔大好きだった沖縄アクターズスクールが復活する。

今後の楽しみが増えた。

衰退する日本の音楽業界に嵐を起こしてほしい。
また夜もヒッパレとかうたばんみたいな音楽番組を見たい。




得意の余談に入るが、沖縄アクターズスクールが大好きだった当時小学生の私は憧れる気持ちが強すぎて自分もアーティストになりたいと言い出す。

当時札幌にあったアクターズスタジオの門を叩き入学するが、信じられないほど音感とリズム感が無いことを入学後1年かけて気付き早々に諦めるのであった。

誰か教えてやれよ…。



それでは、ここまで読んでくれた奇特なあなたへ。
私の1番好きなFIRE!FIRE!を貼っておきます。

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