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小学生の頃から気になっているエンドロールのピリオド
映画のエンドロールって最後まで観ますか?
子供のころは、映画=特別なイベントでした。
僕の家は、「映画はテレビかレンタルDVDで観ればよい」宗教だったので、映画館に運ぶこと自体が特別でした。
売店でポップコーンセットを買ってもらい、前売り購入特典のグッズを片手に、半券に書かれた自分の席に座って予告を観る。
大きなスクリーン映し出されるストーリーに心躍らせながら
あっという間に2時間過ごしていました。
その特別な時間を締めくくるエンドロールを最後まで観ることが「映画を観た」ことでした。
いつから映画がそれほど特別なものではなくなってしまいましたが、今もエンドロールは最後まで観ます。
いつか読んだ本でエンドロールに関するいい話を、ますますエンドロール好きになりました。「トイストーリーのエンドロールには、映画製作にかかわったすべての人、その家族の名前が刻まれた」
エンドロールには、映画製作にかかわったすべての人、企業、ロケ場所が書かれています。
そのため、映画製作に携わる人にとって、エンドロールは自分の履歴書みたいなものといいう話を来たことがあります。
スクリーン上を移動するその一行、一行に各々の努力、苦労、感動が詰まっている気がします。
僕には、映画製作に携わる知り合いがいないため、エンドロールに自分の名前を見つけた時に、心情は想像するだけでしかなく、直接その声を聞くことはできませんが、感慨深いものがあるのではないでしょうか。
よく「All For One」といいますが、映画はいろいろな人の仕事の成果物を集めたパッケージだと思っています。
役割によってその映画の携わる「時間」は変わってくるでしょう。
僕がこの人生でエンドロールに名前を刻むことがあるかは分かりません。だけど、これから出会う、もしくはすでに出会っている人の名前が、エンドロールに出てきたら感動ものでしょう。
そしてこれまでも映画の数以上に、エンドロールでの「この」感動が生まれてきたに違いありません。
本題に入りましょう。
映画館が特別だったの頃から、エンドロールの最後のおわり方が気になっていました。
何が気になっていたかというと、「監督の名前が静止するか」です。
意見は分かれると思いますが、僕は「静止してほしい派」です。
ここまで読んでくださった方は違和感を覚えるでしょう。
前置きで語ったエンドロールの良さに「All For One」とは逆の考え方だからです。
つまり監督の名前だけ、「トクベツ扱い」で静止するのは、All For Oneに外れる気もしますね。
先ほど、「役割によって映画に携わる時間は変わってくる」と書きました。
監督はもちろん、一番長い時間携わっているはずですから、「トクベツ扱い」でいいのではないかと思います。
僕が伝えたいのは「トクベツ扱い」の是非ではなくて、映画の句点についてです。
僕にとって「監督名の静止」は映画の句点になっています。
最後まで流れるエンドロールが心地よい人もいると思いますが、僕はピリオドが打ちたいです。
別にそれが監督名でなくてもいいのですが、最後までエンドロールが流れていき、映画館の灯りが点灯するのは僕の中では「粋」ではないなあ。
あくまで個人の感想です!
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