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12月のtourに突入

入稿を済ませた僕はホッと一息付く間もないまま
先日ひたちなかでのパーティーと名古屋鑪ら場の日帰り公演を行った。
2つとも心穏やかな想いでライブが出来た。
それはきっとアルバムが完成したからと思う。
12月に入った朝僕は羽田空港にいた。
ハジさんと飛行機に乗り北海道へと飛び立つ。
何度乗っても怖い。念仏を唱えてるとハジさんに笑われた。
JRを乗り継いで滝川まで行きあいしらいと山形君と遅くまで
公演と打ち上げを堪能した。
次の日事故で特急が動かなくなり
急遽あいしらいの2人に旭川まで送ってもらう。
いつも首の皮1枚男だなとつくづく情けなるが
それでも人の優しさを強く感じられるのだからそういう自分の運命も
愛おしくなる。
今回は本当好きな人にしか会わない旅。
いつもそうだけどより一層そういう旅。
「12月はきっとくたびれてるから癒される日々にしよう」
と思って決めたのだけど
3ヶ月前の僕よグッジョブ。

滝上の景色がすっかり馴染むこの頃
変わりなく、でも大きく変わりつつある営みの素敵な友達の
井上ファミリー。
そこに集まる素敵な仲間達。
僕もハジさんもすっかりやられてるから
1泊じゃ寂しいだけだねとバスの中から見送る笑顔を見てた。

僕らは自分の中にあるいい(と思う)部分を
交換しながら暖め合ってる。
とても大事な事なのでそうやって確かめ合ったりもする。

音楽や舞台に立つと時々それだけでいいと勘違いしてしまうけど
それらはたった一部。
僕は誰かの横にいてもストレスと思われたくないので
音楽以外は形を良く変える。
水のように空気のように時にはそびえ立つ樹木のように。
そうあることがより自分を小さなひとつの命へと知らしめてくれる。

それが僕には心地よくそれが生きていると思える。
皆はどうだか知らないが僕はゆっくり存在を土に溶かしていつか
消えてなくなる人生でいたい。
アルバムを残すのは別に自分の存在提示では無い。

これは生きる上で大切な所作にへと昇華しつつある行為だ。
燃えるもののように。
叫び喚き泣き手を広げることばかりが生きるということではなく
見つめて思ったり忘れたり
そういうのも
僕はとても好きだ。

我次郎が死んで沢山泣いたけど
見えなくなった事にもう執着はせず 過去の思い出も死んだ友達も
僕の今日の足跡ひとつにつながっているのだと思えば

僕は幸せだ。

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