わたしの履歴書風_岩崎190620

わたしの履歴書  「知らない世界へ、みんなと行きたい」 2019年版

自分の半生を勝手に語るコラム『わたしの履歴書』
読めばきっと、もしかしたら、たぶん、あなたに役立つ何かが得られるはずです。

プロフィール
岩崎 裕司(いわさき ゆうじ)
生年月日:1992年2月12日
職種:システムセールス
趣味:フェスで音楽とお酒を浴びること



人と同じことをするのがなんとなく苦手

機械全般(PCとかオートバイクとか)が好きな電気機器メーカー会社員の父と、スポーツ一筋で生きてきた母の間で、男3人兄弟の長男として生まれました。と言う割には、理系の大学にも進まず、高校は帰宅部という親と同じ道は辿らないぞと言わんばかりの人生を過ごしました。

「人と同じことをするのがなんとなく苦手なんだな」というのは、少年期から薄々気づいていました。宿題は提出できない、小4で吹奏楽クラブに入るが練習に身が入らないなど。

少年期(小学4年生ぐらいまで)で一番楽しかったのは、市営団地から少し離れた森の中で秘密基地を同じ団地に弟たちと弟たちの友達と作ることでした。(年下男子から好かれる性格はここで醸成されている気がする)お金も工具も頭も及ばないのですが夢だけは膨らみ、当時は「なんでもできる気」がしていました。少ない小遣いで駄菓子を買って、落ちてる少年ジャンプを拾って、学区外に自転車乗り回して、よく母親に怒られてましたが仲間と自由を感じる瞬間が今でも記憶に残っています。

そんな「人と同じことをするのが苦手」な私は、大学を卒業しても就職せず、大学時代知り合った2人の社会人と秋葉原にて地下アイドル事業を立ち上げ、稼ぐことを選びます。

カッコいいじゃんで飛び込んだ先のカッコ悪い結果

理由は、大卒で起業ってカッコいいじゃんということと、就職試験に通った数少ない会社で自分が働いているイメージが湧かなかったこと。私以外の2人は副業的に当事業をやっていましたが、私は暇なので色んな雑務をやりました。メール、打ち合わせのセッティング、アイドル記事の執筆、デザイナーにロゴやWEBデザイン、エンジニアにアプリ開発の発注、イベントスペース確保、等々。

大学生の頃、100人規模の飲み会を仕切ったり、なんとなく自分は要領良くこなせるという自信があったのですが、基本的な社会人マナーも知らず粗相をする、メールも打てない、打ち合わせの場所すら確保がままならない、全てにおいて圧倒的にできなかったという挫折感を味わいました。

なにをやっても、ずっと足を引っ張っているなと負い目を感じながらも、とにかく自分にできることを失敗しながらもひたすら続けていた日々でした。

その後、地下アイドル事業は競合に大手参入や色んな事情が絡み、事業を畳むことになります。もちろん稼ぎもなくなり、かつ私一人で稼ぐ力もないので、フェードアウトすることになります。

失敗の数だけ強くなってる実感

フェードアウトする直前ぐらいに、ある会社から記事執筆のオファーが来ます。当時、地下アイドル記事を当時500本近く書いていたので、この功績があったのか、知り合いヅテに発注をもらいました。

これが私が初めて自分の力で稼いだという経験です。

取材込みで1本2万円の記事を4本分。大きな金額ではありませんが、当時は嬉しくて、今までやってきたことは無駄じゃなかったんだと救われた想いになりました。その後、その会社から契約社員のオファーも来たのですが、正社員ではないのかと、生意気にお断りをすることになります。

「人と同じことをするのが苦手」の副作用として「人より失敗の数は多い」のかなと思います。一方で、失敗の数だけ圧倒的に学ぶので、ちゃんと強くなっていっているんだなあと感じ、記事執筆の仕事は、ようやく社会人になれたかもと強く思う出来事だったと思います。

地元に帰って、見つけた”自分らしく”働ける場所

当時24歳の春に、逃げてくるように地元に帰ってきて、仕事を探し現職に至ります。(この間に非常にカッコ悪いエピソードがあるのですが割愛します)

地元で働くイメージも全く湧かなかったのですが、私の知らない間に地元にベンチャー企業がいくつかあることを知り、働いている姿も自由な感じがあったのでそういうところに惹かれ応募し、入社しました。

入社すると、イメージ通りというかイメージ以上というか、小さい企業は基本なんでもするんだなと、地下アイドル事業のときにやっていた諸々の経験が生きて、難なく仕事に馴染めました。

地下アイドル事業時代と違うところは、仲間がいることです。地下アイドル事業の頃は基本的に一人での作業で孤独を感じながら、正解はなんなのか怯えながら行動していた日々だったのですが、同僚や先輩と一緒に仕事をする感覚は新鮮で単純に嬉しかったのを覚えています。

入社して2ヶ月目ぐらいで一人で取材のための出張へ行くなど、任されることも多く、色んな経験を積ませてもらったなと思います。人によっては辛いのかもしれませんが、人と同じことをするのが苦手な私には嬉しい仕事でした。


「新規の業務を開拓し、人に伝えるまでを設計すること」「決定するスピードが速い中で意図を汲んで意見を提示できること」が得意なタイプなので、新しい取り組みをどんどんするベンチャー企業の体質は性に合っているなあと感じています。

なんでもとりあえずやってみよう!というDIYマインドは、現職で醸成されている気がしています。どんどん新しいことを経験することで、できることも視野も自信も広がり、結果初めての失敗を経験することも増えどんどん強くなっている感覚は気持ちいいですが、いつまで経っても「まだ通用しないな」と思うことはあり、日々成長だなと言い聞かせて過ごしています。


あと現職にいると、地元って、当たり前にあるものじゃないなって気づくことが多いです。 取引先は日本全国の農家や商店、食品工場などですが、廃業する業者さんも少なくありません。

もちろん私の住んでいる地元も例外ではありません。お店が閉店したり、シャッターが閉まってたり、廃屋の状態を見ると、今の活気は当たり前ではなく、人の営みの循環(経済)の中で成り立つのだと肌身をもって感じています。なので、自分がいいなと思っているお店や取り組みには身銭を切ったり、東京にいる友達を地元に呼び寄せ一緒に楽しんでもらうことで、好きな土地や取り組みや暮らしが続いていく、そういうことを意識し始めて、日々の消費行動をするようになったかなと、それも1つの成長かなと感じています。

「知らない世界へ、みんなと行きたい」

なんとなく、こう遡って分析すると、「普通ではいたくない」欲求が強いんだなと感じます。
「普通ではいたくない」理由は、きっと「知らない世界へ皆と行きたい」からだと思います。

知らない世界へ皆と行けたら、きっと楽しいだろうなと直感で思っています。その原体験は、森の奥につくった秘密基地であり、そこから想像を広げた夢の世界かなと思っています。

「知らない世界」とは、行ったことのない土地、未知の体験、違う文化圏のお祭り、読んだことのない本、新譜の音楽、逆に聞いたことのないクラシック音楽・・・

「知らない世界へ皆と行く」それは自分の世界を広げて、出会ったことのない友人と出会い、一緒にいる人との関係性を深める、人生を楽しくする行為なんだと考えています。

「知らない世界へ皆と行く」手段として、自分から飛び込んでいくファーストペンギン力、開拓して整備する力、ノリの良さ、人を巻き込んでいく力、、、など、果敢にチャレンジしているベンチャー企業であれば自ずと養える力だと思っているので、私も理想の状態に近づけるように頑張っています!

「これから自分でチャレンジして行きたい」という方は、ステップアップするためにも、果敢にチャレンジしているベンチャー企業を探して会いに行ってみてください。無謀でも勇気があれば、着実に成長できる環境がベンチャー企業にはあると思います。体感的に田舎のベンチャーだからできないということはないです。自分を直感を信じて、ガンガンやっていきましょう!(失敗したら、潔く謝って、やり直せばいい。人生だもの。)


描ききれなかったトピックスは、こちら。(随時更新)


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