生涯に1度、殴られて感謝したこと
私は元々平和主義者ではない。保育園の頃から、私は力と才能で地位を勝ち取ってきた。50年以上前のことだから、私が通っていた保育園で英語が話せたのは私一人だったし、生まれつき体格が大きかったから、喧嘩すれば常に勝った。
小学校の時は全校の教師の嫌われ者だった。私は6年生の時ある策を用いて生徒会長選挙で教師推薦候補を破った。クラス担任はその結果が確定するや「私は絶対にあなたを認めない!」と金切り声を上げたが、私はふふんとせせら笑っただけだった。
私立東邦中学校一年の時、教師に成り立てのひよっこが学級副担任になった。彼は私を嫌い抜き(私も彼が嫌いだったのだが)、あるとき私の頬を殴った。私は彼を睨み付け、反対の頬を差し出した。彼は「こっちも殴れって言うことか」と言ってまた私の頬を殴った。私はそれでも彼を睨み付け、また反対の頬を差し出した。教室中が騒然となり、もはやその若造は私を殴れなくなった。そこで私は吐き捨てた。
「ふん、ブランベックめ」
ブランベックというのはフランス語で「白いくちばし」つまり「青二才」という事だ。それ以来彼は私を完全無視することに徹した。
音楽の教師も野蛮だった。ある時私は音楽の授業で、教科書を忘れてしまった。隣の子が見せてくれると言ったが、教師は私を廊下に立たせた。しかししばらくして、私は考えた。ここは私立学校だ。私はこの学校の授業料を払っている。隣の子は教科書を見せてくれると言った。授業料を払っている以上、私には授業を受ける権利がある。
そこで私は教室に入っていき、教師にその旨を告げた。「私は授業料を払っているから、この学校の授業を受ける権利があり、あなたにそれを否定する権限はない」と。
呆然としている音楽教師を尻目に、私は自分の席に着いた。教師は私に教室を出ていけと言ったが、私は彼を睨み付けた。
結局彼も諦めざるを得なかった。
そんな私が一度だけ、教師に素直に殴られたことがある。2年生の時、掃除の時間、誰かがふざけてゴミを廊下の用具置き場に投げ捨てた。幼稚にも私もそれを一緒に真似てしまった。それを見つけた担任が、私を含め実行犯を廊下に並べ、黙って一度ずつビンタした。あのときは、顔から火が出るほど恥ずかしかった。その担任は国語の教師だったが、漢文の授業のとき漢詩を中国語で朗読してくれた人だった。その音の素晴らしさは、今でも記憶にある。私が人から殴られたことを深く感謝しているのは、59年の生涯であのときただ一度である。
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