LGBT法案について

自民党のLGBT法案が、党内保守派の反対で潰れたそうです。反対派の中には、LGBTは道徳的に問題があるとか、種の保存に背くと言った意見があったと報道されました。そこで、一人のゲイとして、また医師として発言します。

まず私は56歳のゲイですが、56年の人生で5人のゲイの友人、知人を自殺で失いました。56年生きる内に5人を自殺で失うというのは、マジョリティの方々ではそうそう起きないのではないでしょうか。しかしLGBTQにとってはこれはそれほど珍しいことではありません。我々が受けている社会的重圧は、マジョリティの方々が想像するよりはるかに厳しいのです。

私には20年以上人生を共にするパートナーがいます。しかし私が大腸癌で手術を受けた時、病院にパートナーを私のキーパーソンとして認めさせるのに非常に苦労しました。今ではお互いが双方の任意後見人になることでどうにかその問題はクリアできていますが。

また私は生命保険に二つ入っていますが、パートナーを保険金の受取人として認めさせるのに10数年かかりました。ソニー生命は比較的早く理解を示してくれましたが、第一生命はわざわざ東京の本社部長が我々の仙台の家まで来て、20年以上同居している実態を確認して初めて受取人変更を認めました。誰から誰に変更したかというと、私自身からパートナーに変更したのです。それまで第一生命では、私の死亡時保険金の受取人を私自身にしろと言って聞かなかったのです。死んだ私が、私の保険金をどうやって受け取れというのでしょう。

また私とパートナーはマンションで同居していますが、ローンを組む際共同名義は銀行に拒否されたため、私一人の名義になっています。私が死んだらパートナーはただの同居人で、なんの権利もなく追い出されてしまいます。これは公正証書遺言を作成し、マンションを含め遺産相続人をパートナーにすることでなんとか解決しました。

私は仙台に住んでいますが、2年ほど仕事の都合で東京に出たことがあります。その時パートナーと同居の条件で部屋を借りるのに大変苦労しました。

以前私は震災で甚大な被害を被った石巻市雄勝地区で一人診療所長を務めたことがあります。別にゲイだと名乗ったわけではありませんが、就職の際石巻市役所の人事課に同居家族及び緊急時の連絡先としてパートナーを指定しました。そうしたらその情報はあっという間に市役所から雄勝の診療所に伝わり、主任看護師はあからさまな嫌悪感を隠そうともしませんでした。雄勝中でおかまの医者がきたと騒がれました。

私の少し前までの世代では多くのゲイが親族や職場の圧力を受けて異性との結婚を余儀なくされましたが、当然ながら大抵は破綻しました。結婚しないと社会人として一人前とみなされない風潮が強かったのです。

私の友人が亡くなった時、長年連れ添った彼のパートナーは葬式会場の会衆の一人として、隅にぽつんと座っていました。当然火葬場に行って骨を拾うこともできません。あれは本当に哀れだった。

その他法整備がなされていないため立ちはだかる困難は、数え切れないほどです。LGBTQ差別って、「ホモってキモい」みたいなあからさまなものだけじゃ無くて、こういうふうに社会の隅々に色々な形で現れるんです。だから少なくとも法律で「性的指向による差別は禁止」ぐらいしてもらわないと、なじょもかじょもなりません。

次に医師としてご説明します。かつては、同性愛は精神疾患とみなされ、電気ショックが主な治療法でした。当然それはなんの効果もなく、ただ本人に苦痛を与えただけでした。

その後、性的指向の多様性はショウジョウバエから人間に至るまで自然界に普通に見られる現象であることが次々明らかになり、生物はオスとメスしかいないとか、性交はオスとメスの間だけで行われるという説は生物学でも医学でも完全に否定され、生物は基本的に性的指向に関して多様性を持つのだという見解が広く主流になりました。今ではWHO をはじめとして世界の先進国の医学、生物学では全てそうなっています。多分皆さんの多くが偏見をお持ちであろう中国の医学界でもこれは常識です。

もちろん、厳格なイスラム諸国や非常に旧弊な一部のキリスト教社会で同性愛を犯罪としている国はありますが、それは宗教の話で科学に基づくものではありません。

ところで今性的指向と言う用語を用いましたが、これは性的嗜好とは全く違います。嗜好と言うのは好き好みという意味です。生物に広く存在する性的指向の多様性というのは好き好きではなく生まれつき決まっているものです。肌の色や髪の色と同じです。これを変えろとか、個人の趣味だと決めつけるのは科学的にナンセンスです。

なぜ生物界に広く性的指向の多様性が存在するのか明確な説明はありませんが、一般に進化の過程で生き残る種は必ずなんらかの多様性を持っています。あまりにも特定の環境に適応しすぎると、環境が変わった時適応できないからです。つまり時に激変する地球環境の中で種が生き残るためには、一見無駄で合目的でない多様性を持つ方が有利なのです。性的指向の多様性が広く自然界に見られるのも、おそらくそうした多様性の一種であろうと考えられています。あまりにも合理的すぎると、生命は生き残れないのです。

生命の多様性は、その一つ一つに説明が付けられるわけではありません。例えば何故赤犬も白犬も黒犬もいるのか、とか、何故人の髪の毛は金髪も赤毛も黒毛もあるのか、と言われたってそれは説明出来ません。血液型は何故全部A型じゃ無いのか、も答えられません。生物はロボットじゃ無いので、そんなに細かく合理的には出来ていないのです。ただ全体として、あれこれ多様性を持っていた方が、結局は種の保存に有利だと言うだけです。性的指向もそうした多様性の一つなのです。

以上の説明でお分かりいただけたかと思いますが、LGBTQなどの性的指向の多様性は、生命がそれこそ種の保存のために獲得した、一種の安全弁の一つです。ですから種の保存に背くという主張は生物学的に誤りです。生命は様々な、一見合理的でない多様性を持つ方が種として生き残れるのです。またこうした多様性が生命現象である以上、道徳云々は馬鹿げています。それは髪が茶色いのは道徳的に認められないと言い出すのが馬鹿げているのと同じです。

自然界で種の保存を望むなら、むしろ多様性を許容すべきなのです。

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