「可愛い」

数日前、相方が55になった。誕生日も彼はバイトに出かけ、誕生日らしい事は何にもしなかったのだが、色々と思うところはある。



55歳。相方と初めて出会った頃、私はまだ30を過ぎたばかりだった。相方は29歳だった。その頃の私が、もし発展場だのゲイバーだのに行って55歳とか、まして今の私の歳58歳から言い寄られたらどうしたか。問答無用にパッと手を払っただろう。小汚ねえおやじ、あっちへ行け、と言うわけだ。当時の私からしたら、55だの58なんて、汚ねえ親父以外の何物でもなかった。



それが、いつのまにか自分が58になり(8月に59)、相方は55になった。私の書斎に29歳の相方の写真が飾ってあるが、それに比べたら今の相方は確かに歳を取った。しかし今55の相方を「小汚ねえ親父」とは全然思わない。試しにそう思ってみようとしても思えない。私にとっては、相方は昔も今も愛おしい相方だ。私からみて今の相方より客観的にはイケメンのゲイの友人は数名いるが、その人達と相方を取り替えようなどとは、私はつゆほども考えない。余人を持って替えがたい人なのだ。



話は変わるが、最近私は若い人から「可愛い」と言われる事が多くなった。しかし話をよく聞いてみると、その人達が使う「可愛い」の意味は、私が考えるそれとは明らかに違うようだ。私が二十代のイケメンを覧て「可愛いなあ」と思うのと、最近の若い人が私を「可愛い」と表現するのは、全く意味が違う。どうも昔私が若い頃だったら「気持ち悪い」と言っていたような意味で今の人たちは私を「可愛い」と言うらしい。思い返せば、途中に「キモカワイイ」という表現が一時あったように思う。「気持ち悪い」→「キモい」→「キモカワイイ」→「可愛い」と日本語が変化したようだ。まあ言われる側にすれば、意味は同じでも「気持ち悪い」より「可愛い」の方がずっと響きは良いので、構わないのだが。ただ若い人が私を「可愛い」というのを自分が若い頃使っていた「可愛い」と同じ意味だと勘違いしなければ良いだけの事である。



まあ、歳を取った。うん。

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