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【好評御礼特別公開/「第一章」チラ見】『医療現場で働くやとわれ心理士のお仕事入門』|小林 陵

小社新刊『医療現場で働くやとわれ心理士のお仕事入門』を、読売新聞3月31日付け朝刊の書評欄で取り上げていただきました。評者は東畑開人先生。心理士の等身大の仕事ぶりを軽妙に描いた本書を、高くご評価いただきました。その反響で一時入手しづらい状況となりご迷惑をおかけいたしましたが、ようやく市中在庫、回復したようです。どうかふるってお買い求めくださいませ。
さてこの好評を受けて、本書第一章の一部を特別公開いたします。「ついつい著者のことを好きになってしまう」と評されたユーモアあふれる小林節を、少しではありますが味わっていただければと思います。

第一章 心理検査を取ったり、心理療法もしたり

病院の朝は早い

 総合病院には病棟もあるので、病院自体は二四時間ずっと誰かが働いています。でも、真夜中に心理検査をやったり、早朝にデイケアをやったりはしないので、多くの場合、心理士の仕事は日中になります。もっとも病院によって夜勤のお手伝いをしている心理士さんもいらっしゃるのですが。私の病院は八時に正面玄関の自動ドアが開かれます。どういうわけか八時前になると、その正面玄関の入口付近に行列ができるんです。最初に見たときにはまるでパチンコ屋だと驚いたものでした。おそらく来た順で行われる診察や検査などで少しでも早くに診察券を出した方がよいところがあるのでしょう。
 さて、それでは病院の中をご案内しましょう。朝一番に病院の正面玄関の大きなガラスの自動ドアから中に入っていくと、総合受付の方から会計の方から、警備の方から、みんな立って並んで、頭を下げてくれるのです。これは朝一で大きな病院に来たことがある人しか知らないことでしょうが、まるで開店時間にデパートに入ったような感じなのです。ただ、私は職員なので、たまに早めに出勤して、その時間のタイミングに出くわして、立っている事務の方に頭を下げられたりしてしまうと、いやいや、違うんです、ごめんなさい、私も職員なんですと、なんだか申し訳ない気になったりするのですが。
 私自身は普段は八時から出番があるわけではないので、病院の正面玄関が開いた少し後に出勤します。中に入るとまずたくさんの椅子が並んだ大きなフロアが広がっています。上の階まで吹き抜けになっていて、開放感がある中央待合フロアです。ここは総合受付でお会計などをする患者さんたちが座って待っているところになります。この中央待合フロアの奥やその上の階にそれぞれの診療科の診察室があります。
 私の職場は総合病院なので小さなものまで含めると三〇以上の診療科があります。私は精神科の心理室に所属をしています。病院の心理士の多くが私のように精神科か、あるいは心療内科に所属していますが、中には小児科や神経内科、リハビリテーション科などが心理士を雇っている場合もあります。さて、理由ははっきり誰かに聞いたことはないのですが、大きな病院の精神科というのは、たいていが奥まったところにあるんです。これは、以前と比べたら精神疾患に対する偏見が少なくなってきているとは言え、今でも患者さん側からの精神科の待合で待っているところを人に見られたくないという希望があるのでそうなっているのかもしれないですし、あるいはただ精神科がマイナーな科なので奥に追いやられているだけかもしれないですし、よく分からないのですけれども。そのため、その他の眼科やら小児科やら整形外科やら多くの科の前を通り抜けて、精神科の外来に向います。
 精神科のイメージの話で言えば、今でもたまに精神科ってもっと恐いところだと思っていたとおっしゃる患者さんがいらっしゃいます。そんなところ絶対に行きたくないと思っていたけれども、来てみたらわりと普通だったという感想を聞いたりします。実際、ごくたまに自閉症のお子さんが大きな声を出したりすることがあるくらいで、基本的には病院の精神科の待合いは、他の内科などと大きな違いはなく、外科よりは元気がない人が多いかもしれませんが、恐ろしい雰囲気のところではありません。
 精神科ではそこまで朝から並んでいることはないですが、それでも随分早くに来院して外来の待合いで待たれている患者さんもいます。中には顔見知りも患者さんで私よりもずっと早く来院されている方もいらっしゃって、そうした患者さんに挨拶をしたりしながら、ロッカールームで着替えます。
 私は随分気軽な格好で出勤しているので、働き始めた頃には私服姿を患者さんに見られてしまうのが何だか気まずいように感じて、下向き加減でささーっとロッカールームに入ったりしていました。
 当時を思い返してみると、心理士になったばかりの頃は、自分が心理の仕事をしているということにちょっとばかり違和感を持っていたのかもしれません。心理士は大雑把に分けると援助職、つまり誰かを助ける仕事になるわけで、私は別にそんなに悪いことをしてきたわけではないのですが、「こんな自分が誰かを助ける仕事をしているなんて何だか変なの」と感じていたんです。ただ、ひょっとしたら、心理職に限らず、どんな仕事であっても、働き始めた頃は、それまで感じていた普段の自分と、職業人としての自分がかけ離れているような気がすることがあるのかもしれません。そうしたギャップはどうやらずっと働いていると気がつかないくらいに少しずつ埋まっていくもののようでもあります。
 どうしてギャップが埋まっていったのかと考えてみると、私が年をとって元気がなくなってきて若い頃よりもよけいなことをしなくなってきたということと、あとは私の中の援助職のイメージが前ほど聖人のような立派な人というものではなくなって「援助職だって普通の人だから」という感じになって来たことの両方の影響があるかもしれません。もっと言えば、自分は心理だ、援助職なんだと身構えてしまっているよりも、ただ自然体でそこにいられる方が、心理士としてもより機能できるのだということを実感してきたからかもしれません。
 ということで、今では朝気軽な格好で出勤してきたところを、早めに来た知っている患者さんに出くわしたとしても、前みたいにうろたえたりはしません。
 「おっ、今日は朝早いですねぇ」
なんて元気に言いながら、悠々とロッカールームに入っていきます。
 ロッカールームでは白衣に着替えます。学校の心理士や開業している心理士とは違って、病院の心理士は医療従事者の一員なので白衣やスクラブを着ていることが多いんです。最初、医者でもないのに白衣を着るなんて、コスプレしてるみたいで照れるなと思わないこともなかったのですが、白衣っていうのは案外暖かくて着心地もよく、服装のことをあれこれと悩まなくてもよいですし、慣れてくると悪くないものです。医師の先生方の中には特注の腕に名前が刺繍されたデザインのシュッとしてカッコいいものを着こなしていらっしゃる方もいらっしゃいますが、私は病院の支給品を着ています。ちなみに私は下ろしたての真っ白でパリッとした白衣よりも、何度も洗っているうちにどことなくしなしなして色も褪せてきてしまったような白衣が着やすくって好きなのです。
 って、そんなことを言っていたら、先日、たまたまわりと新しい白衣を着ていたとき患者さんから、「小林先生、今日は白衣がシワシワじゃないですね」と言われてしまいました。患者さんはしっかりと観察しているものですね。

電子カルテの読み方

 ロッカールームで襟のついたシャツを着て白衣を羽織って、心理士たちが常駐している心理室の自分の席に座ります。病院で心理士たちが普段どんなところにいるかは、それぞれ違いがあるようです。医師の先生方のいる医局の中に心理士のエリアがあるようなところもあれば、私の病院のように精神科の外来の一角に心理士だけがいる心理室がある場合もあります。私の病院では精神科外来の患者さん用の待合いのすぐ横に心理室があります。そこは心理士たちの机と電子カルテでいっぱいの狭い部屋なのですが、それぞれの心理士は患者さんと会っているとき以外はそこで肩を並べて次の心理検査や心理療法の準備をしたり、心理検査の所見を書いたり、心理療法の記録をつけたりしているのです。
 デイケアに出る日を除いては午前中に心理検査が入っていることが多いので、私はまず検査を取る患者さんの電子カルテをチェックします。そんなの前日にやっておけと思われるかもしれません。もちろん前日にも何の検査を取るのかといったチェックはしているのですが、いかんせん、あまり記憶力がよくないので、前日に細部まで確認しても、実際に取るときに忘れてしまったりするので、私の場合は検査を取る患者さんの病歴は直前に細かくチェックをしています。
 実際のところ、電子カルテになって随分楽になりました。私が新人で働き始めた頃はまだ紙カルテで、中にはとても個性あふれる書体の主治医の先生もいらっしゃって(「あの先生は達筆だから」と言われる)、これは一体なんて書いてあるんだぁと頭を抱えたものでした。電子カルテは書く側の負担を減らしたというよりも、むしろ読む側の負担を大幅に減らしてくれました。
 さて、この病院に初診になってすぐに心理検査がオーダーされた患者さんの場合はすべてのカルテを読めばいいので、特に困ることはありません。紹介先からの紹介状などにも目を通したりします。
 ただもう十年以上通っている方もいらっしゃいます。そうなると、カルテの量も多くなるので、すべてに目を通すことは難しかったりします。他の科にも掛かっていたりするとなおのこと膨大になって、「いったいどうしたらいいんだ、患者さんが来るまでに読み切れるわけがない!」と困ってしまいます。そんな場合は、まずは初診時の記録を丹念に読み、その後はざっと読み飛ばして、もし入院などをしていたらそのときの記録を確認し、長年通っている場合には主治医が代わっていることが多いので、そんなときには申し送りとしてその先生が担当していたときのまとめが書かれているので、その申し送りをじっくりと読みます。最後に、心理検査をオーダーするに至ったここ数カ月の記録は特に丁寧に確認しています。

カルテは何で読む?

 じゃ、「そもそもカルテを何のために読まなきゃいけないの?」「どうせこれから心理検査を取るんだし、そんなことしたら検査の先入観になっちゃうんじゃないの?」なんて思う方もいるかもしれません。いやいや、そんなことはないんです。心理検査は残念ながらまったく情報のないところで検査だけで何でも分かっちゃうような万能のものではないのです。そして、心理検査を取るためには自分が何のために何に注意をしてその検査を取るのかをちゃんと把握しておかなきゃいけないんですね。それによって、行う検査の種目なども変わってくるんです。患者さんや目的に合わせて色々な種類の心理検査を組み合わせることをテストバッテリーを組むと表現したりします。
 また、主治医の先生からの指示にはなかったけれども、実は検査を行う上では配慮が必要なことがあったりすることもあります。たとえば、あんまりちゃんとカルテを読んでないで検査に臨んでいって、「え、この子全然喋らないんだけど、どうしたらいいの?」みたいになっちゃって、何が起きているんだと、いったん心理室に戻って確認したら、場面緘黙があると書いてあって、ちゃんと調べておけばよかったぁなんてこともあったりします。緘黙もそうですし、頻繁にてんかん発作があるとか、車椅子を使っているとか、利き腕が動かないとか、海外で育ってあまり日本語が話せないとか、事前に知っておいた方がよいことがあるわけです。ちゃんと把握してなかったら、その場で大慌てになってしまいます。そのため、後で自分がビックリしないためにカルテを読んでおくことが大切です。
 それにしても、この仕事についてから、私は大袈裟ではなく何千人のカルテを見てきました。何千人の方の病いの記録を見てきたわけです。考えてみると不思議な仕事だなと思ったりします。

◉プロフィール
小林 陵(こばやし りょう)

臨床心理士,公認心理師,日本精神分析学会認定心理療法士。
東京国際大学大学院臨床心理学研究科博士前期課程修了後,横浜市立大学附属病院に勤務し,現在まで心理療法や心理検査,復職支援デイケア,緩和ケア等に従事する。
訳書にS. M. カッツ『精神分析フィールド理論入門』(共訳:岩崎学術出版社 2022),著書に『実践 力動フォーミュレーション入門』(共編著:岩崎学術出版社 2022)など。

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