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2024/04/21(日)身分証なしだと自分じゃないの

顔写真付き身分証を持っていなかったら、何者でもなくなってしまうのめちゃくちゃにこわい。わたしはわたしです。保険証もあります。自分が写っている写真も持っています。生年月日も、出身地もなんでも、言えます。

規則なので。と言われたら仕方がない。規則。当たり前だけど、その人は何も悪くない。そう言われたらそうするしかない。会社の決まりだ。そう思うと、自分ってますますなんなんだろう。役所とか、自動車免許の組織?とかに発行されたカードでしか証明ができない。わたしはわたしなのに。

今とてもさみしい。でも、誰かにそばにいてほしいわけでもない。誰かといることで余計に寂しさを感じることが少なくない。自分の欠乏は自分にしか埋められない。

すごくなければ、しっかりとしていなければここに存在してはいけない気がする。特に、人といるには自分の価値がないといけない気がする。実際にはそんなことはないのだろうけど。

生きる、というのは生きている状態が続いていくことだ。死ぬその瞬間まで、生きるが毎日続いていく。それは、はるかにしんどいことの方が多い気がする。ただそこに存在しているだけでは生命を維持できない。働いたり、家事をしなくてはいけない。

そのことがすごくめんどくさい。めんどくさいことをしてまで生きるを維持したいのか。そんなはずはないのになあ

生まれたら生きるしかない。死んだらダメだといわれる。しになよ、とは言えないか。

考えすぎとはよく言われるし、多数と比較した時、明らかにそうなのだろう。そして、考えるといっても同じところばかりで結論としてはネガティブに持って行っているだけだ。考えるという仮面をかぶって、問題解決を放棄しているだけなのだ。

でも、そういうループに陥って、そのあと現実逃避をすることでしか生きてこられなかったのだと思う。そんな自分も丸っと認めて、そして改善の余地がある部分に関しては改善を試みていくしかないのだろう。

最近、やはり自分はやってもいない段階で諦めてウジウジしていることが多いなと思った。失敗してもしなない。というかしんでもいいはずなのに。

怖さを一旦置いておいて、踏み出すことをしていかないと苦しみからも抜け出せないんだ。

話しているとどうしても噛み合わない人がいる。考える深度が違うんだろうなーと思う人がいる。でも、そういう人とは別に分かり合えなくていいんだ。自分には相手が分からないし、相手も自分が分からない。それでいい、というかそうとしかならない。

今も明日もしんどいけれど、結局しねずに生きている。

まさか!そんな!いやいや!えっ?!