後書き解説・ペルセポネーへの餞

↓前に書いた短編小説はこちら。

ギリシャ神話を知らないとなかなか読み取れない節がありそうだったので、恥ずかしながら、自分で自分の書いた短編の解説をしていきたいと思います。


このお話のベースは私が最近見た夢の内容になっています。

色々と脚色していますが、舞台は春の公園。あんなにたくさんの花々は咲いておりませんが暖かな陽に包まれていたところは一緒です。

夢に登場したのは彼だけのように書いていましたが、私が見た夢には後2人登場人物がいました。それは見知らぬ小さな男の子と女の子。彼の空いている手の方には男の子、私の手の方には女の子がいて、それぞれ手を繋ぎながら横一列に並んで散歩していました。
アットホーム感満載でまるで家族。カメラとか保険のCMにありそうな雰囲気でした。

不意に小指と小指を繋ぎ合ったり、視線が一瞬合わさったところも夢で見たままを書いています。
目が覚めた時、「小指と小指を繋ぐってなんかエモくない?」と即座に思い、書いたのがこの短編です。
実際に夢を見た日から2週間くらい経っていますので、正直、記憶も薄れてきています。エモい気持ちを糧に書き切った感じです。

この夢を縦軸としたら、このタイトルにある「ペルセポネー」は横軸を表しています。
ペルセポネーはギリシャ神話に登場する女神の一柱で、冥界の神ハデスの奥様です。その女神にまつわる要素やギリシャ神話に関するものを所々に落とし込んでいます。

私、ギリシャ神話が大好きでして。
小さな頃から天体に興味があって、殊に星座に関してはお家の近くにあったプラネタリウムに足繁く通うくらい好きでした。
そんな時、星座の由来が書かれた本に出会って、ギリシャ神話が密接に関わっているのを知り、興味の方向は神話に流れていきました。特に「デメテルとペルセポネー」は神話の中で一番印象に残っているお話です。

豊穣を司る女神デメテルの娘であるペルセポネーはある日ハデスに一目惚れされてしまい冥界へと誘拐されます。
ペルセポネーを救出してほしいとデメテルは神々に訴えますが聞き入れてもらえず、終いには「ハデスの妻となるなら何も問題はない」と突っぱねられます。その怒りからデメテルは大地に実りをもたらす役目を放棄してしまい、地上では草花が枯れて、農作物も実らないため人々が苦しむようになりました。その事態を深刻に捉えた神はハデスにペルセポネーを母親の下に戻すように告げます。
一方、ペルセポネーは冥界では丁重にもてなされていました。ハデスからのアプローチには目もくれず、母のいる天界に戻りたいと日々願っていました。ハデスはそのペルセポネーの様子を見て天界に戻すことを決意しますが、その別れ際にザクロの実を12粒差し出しました。ペルセポネーは丁重にもてなされた恩義もあるので4粒いただいて天界へと帰っていきました。
天界で再会するデメテルとペルセポネー。ですがペルセポネーが冥界でザクロの実を食べたことを知るとデメテルは嘆きました。冥界にある物を食べた者は冥界に住わなければならないという掟があったのです。12粒ある内の4粒のザクロの実を食べたので、ペルセポネーは1年の1/3は冥界に住まないといけなくなり、ハデスの妻として嫁ぐこととなりました。
ペルセポネーが冥界にいる期間、デメテルは地上に実りをもたらすのを止めるようになり、この期間を「冬」と呼ぶようになりました。また、ペルセポネーが天界に戻ってくる時は、デメテルの喜びの感情で草花が芽吹くことから「春」と称されるようになりました。

この短編は逆ペルセポネーのお話と捉えるとわかりやすいかもしれません。
「春」はペルセポネーが天界で過ごす瞬間に迎える季節。この短編では現実の世界と朝を表しています。
「冬」はペルセポネーが冥界で過ごさなければならない期間。ここでは夢の世界と夜を表しています。
「春」を心待ちにしているペルセポネーと「冬」のまま閉じこもっていたい私がいかに対照的なのかがわかると思います。夢に出てきた彼はハデスの役割を担っているので、「冬」は冥界を象徴する言葉でもあるかもしれません。


更に言いますと、強調して出てきた花の名前。
桜、ネモフィラ、水仙。この花は死や冥界に関連した逸話を持つ花々でして、エッセンスとしてわざと名前を出していました。
特に短編の最後の文章はおしゃれニュアンスで乗り切ろうとしましたが、これこそ解説なしではわかり辛いと思いますので、ここでどういう意味があったのか記したいと思います。

桜は「木の下には死体が埋まっている」という俗説から。春を印象づけるのにも合わせて、演出として取り入れました。本当の夢には桜は1ミリも出てきてないです。桜を見上げる可愛い彼は私の妄想です。

ネモフィラはギリシャ神話から引っ張ってきました。愛する人と夫婦になれるなら死んでもいいと誓った男が本当に夫婦になれた瞬間に死んでしまい、その妻が夫に会いたいと冥界まで行くのですが会わせてもらえず、それを不憫に思った神が冥界の門の側で妻を一輪の花に変えたという神話から。ちなみにその妻の名前がネモフィラ。
会いたくても会えない歯痒さをネモフィラに例えていました。

水仙はペルセポネーのお話にも出てくる花です。
実はペルセポネーとハデスが出会うきっかけが、ペルセポネーが綺麗に咲いている水仙の花を摘もうとした時なんです。摘もうとした時に地面が割れて、ハデスが乗った馬車が目の前に現れるという突拍子もない出会いから物語が始まるんです。ギリシャ神話ってほぼほぼ自由奔放で不条理で理不尽な神の話なんですが、この出会いもなかなかインパクト強いですよね。
水仙の花言葉には「私のもとに帰ってきて」と「愛に応えてほしい」という神話由来のものがあります。前者はデメテルで後者はハデス。どちらもペルセポネーへの想いを謳っています。題名の餞がこの水仙のこと。

また別の神話では、ナルシズムの語源になったナルキッソスという美少年が紆余曲折あって水面に映る自分しか愛せなくなってしまい、その死後には水仙の花が咲いていたという由縁から「自己陶酔」や「自己愛」という花言葉もあります。
夢の中に出てきた理想像の彼に恋をするのも、ひとつの自己愛として捉えられるよねっていう自分への皮肉も表していたりします。

ちなみに最後に出てきたザクロ。
これは言わずもがな。夢に浸りたい心情が露わになっています。


以上、本編よりも長い解説でした。
ギリシャ神話は本当に面白い物語なので、興味がありましたら是非読んでみてください。

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