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9/16 叫びとしてのダブルダッチ

イズム。←なんでこれを書いたのかは謎だ。イズムを己に感じたのかもしれない。知らんけど。イズムだな。世の中なんでもイズム。

サーバーのことを鯖って呼ぶノリ、昔からあるよな。僕はなぜか鯖を”さけ”だと思っていて、鯖落ちを”さけおち”だと思っていた。サーバーがさけになった理由とかは一切分からなかったけど、まあそういうもんだなって己を納得させていました。

インターネットてやたら省略して書きたがるよね。アカウントを”垢”とかね。他にも絶対色々あるけど思いつかないな。まああれですね、文字を入力するうえで楽だからなんだろうな。という当たり前かつ面白くない結論に達してしまった。トホホ。


今日はずっとやる気の出ない1日だったな。とほほのほ。ここ数日でダブルダッチのあれこれについて議論を交わした、まあ交わしたというより各々が勝手にボールを投げ合ってたって感じだと思う。それを経て思ったんだけど、やっぱりみんなダブルダッチに望むことってそれぞれ全然違うんだなということ。それと純粋に作品を作りたいって欲求がある人もそんなにいないんだなってこと。なんというか、ダブルダッチを取り巻く環境に興味がある人が多いというか。違うな、作品を作る上での過程とか環境への興味が一番で、作品そのものへの欲求は低いというかなんというか。

僕は、まあ承認欲求がないといえば全く嘘になるが、承認欲求を満たすことよりも、叫びとしてショーを作っている節がある。そういう人っているんだろうか。どうだろうか。

ダブルダッチのショーって、もう何万個も見てきてる。正直僕以上に見ている人は片手で数えられるくらいしかいないって断言出来るくらい見ているんだけど、その上で本当に主張したいことがあって、それをダブルダッチのショーというフィルターを通して叫んでいる人は全然いない気がするな。

ダブルダッチって、縄跳びなんで、ギリギリの隙間でロープが通り抜ける快楽みたいなのがみんな好きなんだと思う。もちろん僕も好きだが。でも根本にある欲求はそこじゃないって話。

そこに関する孤独感みたいなのはある。かなり。結局みんなスポーツが好きじゃん!って何回も思った。カルチャーだとかライフスタイルだとか言いなながら、体育じゃんって。得点を稼ぐのが好きなんじゃなんって。そういうのじゃなくて、本当に世の中に対する意見とか、自身のシンプルな欲求とか、興味の探求とか、そういうことをダブルダッチを通じて表現したい人って少ないんだなと。


いや、待て。本当に僕は作品を作ることが好きなのか?

ごめん、嘘だわ。めっちゃ好き。自己問答したけどめっちゃ好き。純粋にそれが一番好きだわ。作品を作り上げるのが好きだ。自分と、友達と思い受け取った全てをダブルダッチという膜で濾して、形を作っていく。それが好き。

なんというか、僕はダブルダッチがかなり上手いんですよ。藪から棒にすみません。これに関しては客観的に見て事実なんでね、すみません。で、周りにもめちゃくちゃ上手い人たちが集まってくる。そういう人たちって要領が良い人が多い気がする。必死にならずともある程度結果を残せる人たち。見ていて感心するけれど、どこから本心を隠して上手く立ち回っている姿を見ると少し寂しい。もっと剥き出しで自己主張をして欲しい。時には誰かを傷つけてしまうかもしれないような、誰もが腹の底に隠し持っているであろうフェチズムをおおっぴらげにして欲しい。

逆に僕は要領が最悪だ。ここまで来れたのは、恵まれた環境のおかげが90%、残りが生まれ持った自己主張だな。本当に育った環境が良かったおかげで偶然サバイブしているけど、そうじゃない形でダブルダッチに出会っていたらもっと腐っていたかもしれない。いや、腐っていただろうな、確実に。

ただまあ自己主張がなかった訳ではないと思う。中学生の頃からシーンの中だけでブイブイ言わせている輩があまり好きではなかった。ダサいと本気で思っていた。まあこれは、自分に自身が無かったからとも言えるな。自分に自信がない=自分の属するダブルダッチのシーンに自信がない的な。当時最悪だと思ってた人たちをプレイを見ると、捨てたもんじゃないなと思うことがある。学びも多かったりする。

ただまあ根本ではシャバ僧だと思うな。だいたい先人たちのコピーだったし。


まあこんなことをずっと思って思って思い続けていたら、やっと最近ちゃんと形に出来るようになってきたって話だ。だから僕のダブルダッチの根本にあるのは恨み。内輪のノリじゃない、全てのことをフラットにした時に、本当に良いと思われる作品を作りたい、そしてそういう作品が溢れかえったシーンになって欲しいという叫びだ。


結局ダブルダッチを通じて認められたい、褒められたいって欲求、あまりないかもしれない。今まで色々な人に褒めて頂いているので本当に申し訳ないのだが、僕は褒められるのが苦手だ。もちろん嬉しいんだけど、どこか嘘だと思ってしまう節がある。なんだろうな、どこか煮え切らないというか。何かを褒められる段階まで完遂すれば、僕の中ではもう完結しているというか。ダブルダッチのショーで言えばノーミスで演技を終えた時点で全ては終わっているというか、その後に掛けられる声にはあまり魅力を感じない。そら、本気で良いもの作って出し切ったらんだから、良いに決まっているでしょうが!って思ってしまう。いや、そんなに強い気持ちでは思ってなくて、もちろん褒められたら嬉しいんだけどね。でも根本ではそう思ってしまう。この人は僕を褒めることで、自分の感覚が正しいことを確認しているだけではないかと思ってしまう。

逆にいうと世間的に評価されなかった作品を評価してもらえるのは本当に嬉しい。この前金子さんが、僕の今年のコンテストのショーを褒めてくれたのは嬉しかったな。勝つべきだと言ってくれた。まあ僕的には全然満足いっていないからこそ、嬉しいというのはある。

だいぶグチャグチャしてきた。僕のダブルダッチに対する根源的な欲求です。ここ数日色々書いてきたけど、これが一番の本音だな。正直ダブルダッチがどうやったら普及するかとか、どうやったら盛り上がるかとか、そういうことにはそこまで興味がない。いや、興味がないってのは強く言いすぎた。でも、あくまで趣味程度で好きってくらいだな。休日にランニングしたり、映画見たり、凝った料理を作ったり、単純に楽しいからするだけの行為。無くなったら人生の彩度は少し落ちるけど、命に別状はないくらいのもの。

それよりも、自分の中にある欲望を形にするという行為は趣味では収まらない。人生の重大事項の一つと言える。これが無ければ生きる意味を失う。割と本気で命を絶ってしまうかもしれない、それくらい大切なものだ。


とまあこんな感じですね。


ここにきて新たな論客が……

おい。こうたろう。
特に言うことねーわ。
Out Hedge楽しみです。
今回は負けません。
俺は4回しか出てないけど、1回も表彰されなかったことないから、今年は振り切って優勝だけ狙いにいくショーを作るわ。

なるほど。楽しみです。本来はここで「負けません。負けるわけがありません。」って言い切るべきなんだけど、そこに関しては僕の中で迷いがある。もちろん優勝はしたい。嬉しいし。去年嬉しかったし。でも優勝を目指した時に出来るものが本当に僕にとって美しいのかっていう疑問。勝ち負けよりも純粋に作品の美しさだけを求めたい。

いや、でもそれは詭弁だな。この夏色々悔しい思いをしたので、そうならないためにもどちらも満たせるような、傲慢で強欲で麗しい願いを達成出来るようにしたい。なので僕も負けないです。それに負ける理由がないです。少なくとも僕以上に良いものを作りたいと思っているダブルダッチプレイヤーは居ないと思うので。

@インセイン組のみんな
僕らの人生にを彩る最高傑作を作り上げようぜ。

おい。きっしー。
Out Hedgeでナンバーを出さないか?
出るなら枠は作ってやるよ

これは見たい。是非やってくれ。むしろ君みたいな人間が作るから意味があるんだと思う。


はい、おわり!

最後に何回も言いますが、ゴブさん!早くメールください!

こうして記事を載せることであなたに通知が行くので意味もなく載せます。

アドレスは info@iwanessinsane.com ですからね。メル友になりましょうよ、早く。あなたが根負けするまで僕は誘い続けますからね!!!しつこさの勝負なら絶対に負けないので早めに観念してメールするのが吉ですよ!



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