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9/29 人の目/遊びのDJ/死生観について

こんにちは。日記を書こう。カキズム。記念パピコ。なんちって。

めちゃくちゃ面白い。世界一面白い人かも。昨日好きなお笑い芸人について書いたけど、この人も入ってくるな。動いているだけで笑えるからすごいと思う。なんというか、ノンバーバルな原始的な笑い。最後に叫んで音割れしてるのすら面白い。素晴らしいわ。

YouTubeからは消えてしまったのだが、ABCテレビの番組でザコシのナイトルーティンを撮っていたんだけど、死ぬほど面白かった。公式で全話YouTubeにアップしてくれていたんだけどね、残念だ。本当に腹が捩れるほど笑ったから、また見たい。

このせーやま、縄上手いな。上手すぎるとも言う。こういう、アクロバットの人をロープで通すって過去に何回もやられてるんだけど、これは随一だな。ロープの正確さが桁違いだ。本当に素晴らしい。

BOXERさんのアカウント、乗っ取られたらしい。恐ろしいよな。どういう手立てで乗っ取られたのかは分からないが、恐ろしい。僕は一二段階認証をオンにしているので、割りかし安全気味ではあるが、それでも恐ろしいな。気をつけたいな。


と言うわけでね、今日も頂いたお題について書こうと思う。本当はお題を消化しようって書こうとしたんだけど、人様からお題を貰っている立場で、”消化”ってのは些か行儀が悪い気がしたので、”頂いたお題について書く”とさせてもらった。本当はこんなこと書かずに、頂いたお題を〜だけで済ませば良いんだけど、それだと行儀が良すぎる感じがしてね。なのでどちらも書きました。行儀の悪さと行儀の良さをどちらもアピールするというね、いいとこ取りとも取れるし、ペテン師だとも取れるようなムーブ。

なんかこれ書いててやっぱり僕と言う人間はだいぶ他人の目が気にするということを再確認した。ぶっちゃけさ、お題の表現なんてどっちでもいいじゃんね。どんな書き方しても嫌な思いをする人はいるし。それをわざわざ考えのプロセスを載せて、”どちらの見方に対しても考慮してますよ〜”感出すのはヤバいな。書きながらゾッとした。いや、嘘。ゾッとしたってのは大嘘。そう書いたら良い感じにまとめられる気がしただけ。全然ゾッとしてない。平常心も平常心。

まあでもあれだな、僕はメタ視点みたいなのが好きなんだと思う。なんかさ、これ書くと本当に嫌な奴だから詳細は書かないけど、ざっくり言えば人と話している時に、”今自分、他人と上手く会話という行為してるな〜”って思いながら会話してるって感じかな。第三者の視点から見てるなんて言うと大袈裟だけど、でも時々自分の行為が自分のものじゃなくて、会話のテンプレートに乗っとってるだけって時は多い。まあ全てが全てじゃないし、全然本心から話せてる場面も多くて、これに関してめちゃくちゃ悩んでるとかそんなことはないんだけど。

だいぶ本筋からずれた。お題に入ろう。あ、でもその前に書きたいことあるわ。最近DJがめちゃくちゃ楽しいんだけど、たまにコントローラーを出すのもめんどい時とかによくやるのが、Serato(DJのソフト)を立ち上げてパソコンだけで曲を繋いでいく遊び。DJのソフトってのはショートカットがめちゃくちゃ設定されていて、キーボード叩くたけでも色々出来たりする。まあエフェクトかけたりは出来ないし、音量調節も面倒なんだけどね。でも雑にタイミング良く流してロングミックスっぽくしてるだけで面白いんだよね。

お手軽な遊びだ。ついでに誰にも聴かせるわけじゃないのでミスっても何も問題ないのも良い。途中で止めてキュー打ったり出来るし。


で、なんだっけ、お題か。

難しいテーマだ。そもそも死生観ってなんだ? 何となくしか理解していないから調べる。

死生観(しせいかん)とは、死と生に対する見方をいう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なるほど。死と生に対する見方のことなのか、死生観って。大体合ってたけど、ちゃんと知るのは大事だな。改めてだが難しいテーマだな。

ちゃんと考えたことはなかったが、こうしてしっかり定義を知ってから考えると、僕の死生観はかなりぼんやりしたものかも知れない。死んだらどこにいくのか、生きる意味とは、そういうのって結論が出るまで考えたことはないかも。どうなんだろうな、ちゃんと考えてみるか。結論が出るまでに時間はかかると思うが、考えてみます。結論が出たらまた書くね。

死生観とは違うが、理想の死に方はある。死に方というより、死に時といった方が正しいかな。僕は、2101年までは生きていたい。この目で22世紀を見届けてから死にたい。生まれが西暦1994年、20世紀の終わり。現在は21世紀、つまり2101年まで生きることが出来れば、三世紀を見届けた人間になれるってことだ。僕らが小学生だった2000年台初頭と比べても、技術の進歩は凄まじい。記憶は定かではないが、まだまだ写ルンですは現役だった。テレビはクソデカかったし、携帯を持っていない人もいたと思う。それがもう気がつけばね、小さい箱で何でも済むようになっちゃったからね。これがあと80年くらい経ったらどんな世界になってるかってね、気にならない訳が無いじゃないのね。それをこの目で見届けたい。その時代の若者たちが、歴史として認識する事実を、自分の記憶として持っている状態になりたい。そのためにも2101年までは生き抜きたい。ちなみに2101年には少なくとも僕は106歳になっているようだ。

106歳の動画を調べていたらこんな人が。こらすげえな。こんなしっかりピアノを弾けるって羨ましいな。僕が106歳の時、縄を跳ぶことは出来るだろうか。DJは出来るだろうか。文字を書けるだろうか。どれか一つでも出来る状態で22世紀を迎えたい。

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