「ゆずが怖くて聴けなかった日々」(2022.12.14)
あんなに楽しくて、元気や勇気をもらって、何度も何度も背を押してくれ、慰められ、愛してやまなかった楽曲たちが、聴けなくなった。
急に底なし沼に落ちてしまったような感覚で、聴けば聴くほど身体の自由を奪っていくかのようにドロドロと絡みつく感覚があった。
いつからかは覚えていない。「SEES」に参戦していた頃は、まだ辛うじて聴けていたけれど。でもちょっとずつ心の中に煮凝りのようなものが溜まっていて、恐らく決定打は「SEES」・「PEOPLE」のライブ盤を聴いてしまったこと。「圧」が強くて、わたしは思わず耳を塞いだ。そしてそこからゆずをまったく聴かなくなって。どの曲を聴いてもアタマが回らなくて、なんのイメージも抱かなくなってしまっていた。
あの「圧」の正体は一体なんだったんだろう?
今もはっきりと言葉で形容するのは難しいけれど、要因はいくつか心当たりがある。
「YUZU TOWN」の残影について。
なんだか苦しくてたまらなかった。「YUZU TOWN」は、「2人だけの街」というか、箱庭を見ていたような感覚がある。でもきっとライブになると、そこから解放されるなにかがあったはずのアルバム。その中からの「花咲ク街」。この曲は完全に分断されて、本来の文脈とは切り離されているように思えてならない。わたしの妄想かもしれないけれど、なんだかそんなふうに思えてしまって、このご時世だからの「花咲ク街」を素直に受けとれなかった。
「ポスト栄光の架橋」だった「虹」の伸び。
ロックな「虹」。最高だった。けれどその伸び方(=成長度合い)にやられたのだろうか。ものすごい「エールの圧」に殴られたような衝撃があって、立ち尽くした。このライブでの「虹」は、「栄光の架橋」を越えた、と思った。
「栄光の架橋」は、一人称ないし、二人称視点で描かれているエールソングだと思う。対する「虹」は、二人称視点。近すぎるゆずとわたし、という距離に戸惑った。耳元で、全力で応援してくれているんだけれど、そのエールがドギツくて。
「栄光の架橋」も「虹」も最強のエールソングだと思うし、どっちも大好きだ。でもメンタルが弱り過ぎている時に聴いちゃったもんだから、心臓麻痺を起こしたのかもしれない。
「Always with you」をきちんと受けとれなかったこと。
表面上のメッセージしか受けとれなかった。今なら、「表面上のメッセージ」だけでもしっかりとした、すごくすごくポテンシャルの高い曲だということがわかる。がっしりとした骨子を持っているからこそ、表層だけでも味がわかった気になってしまう。
わたしを押し潰していた「圧」は、3ヶ月ぐらいかけて、ゆっくりと溶けていった。きっかけは、ふと聴いてみようと思った「Always with you」。これをこのタイミングでで聴いて、やっと理解が追いついた。
ライブで聴いた時、「Always with you」のほんとうの凄さを、感じられていなかった。ただ、組曲になっているという枠組みの凄さを受け止めたにすぎなかった。だから感想も出てこなくて、考えも、言葉も紡げなかった。この曲はすごい。何回も何回も聴き直して、ようやっとたどり着いた。
その強さと、あまりにも優しすぎる文脈が、胸を刺した。
「僕ら」は「ゆず」から「(ゆずを含めた)わたしたち」になり、より包括的意味合いに。
「君」も「2人」の文脈から「わたしたち」の文脈へと広がった。
その文脈で聴くと、「「僕ら」も変わり続ける with you」と始まるアタマ、そして繋がるラストの締めくくりが秀逸すぎて震える。文脈を変えながら、パズルのピースがぴたっとはまっていくようで。
変わり続ける流れの中で、それでも「 with you」。変わらずに、そばに居るよ、という、なんだろう、「愛」かな。そんなことを感じたりした。
はじめて聴いた時、表層の言葉だけしか受けとれなかった自分に薄々気づいていて、でもそこに込められたメッセージが分からなくて、傷ついた。
でもこうやってひとつひとつ考えを掘り起こしていくと、不思議と視界がクリアになってきたりもしている。
とりとめもなく書いてきたけれど、あの時から感じていた「圧」は、もうない。
ここまでで約2000字。短いけれど、久しぶりにちゃんとゆずと向き合えたように思う。
もしよかったら、コメントなんかも頂けるとありがたいです。そこからまた見えてくる景色もあると思うから。
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