見出し画像

【独立リーグ】「野球がなんでこんなに楽しいんだろう」 元横浜DeNAベイスターズ・松尾大河 沖縄からの再挑戦

東京ヤクルトスワローズの日本一で終了した2021年プロ野球。華やかな舞台の影で、今年も多くの選手たちが戦力外通告を受けた。

2年前の2019年オフ。将来を嘱望され、NPB入りした一人の若者にも、その現実は降りかかった。

元横浜DeNAベイスターズ・松尾大河。「走攻守揃った将来の正遊撃手候補」として、2016年にドラフト3位指名を受けた高卒3年目がまさかの戦力外通告。上位指名の高卒選手、その育成を3年で諦めてしまうのかと衝撃を受けたニュースだった。

大阪府茨木市出身。熊本の秀岳館高校へ進学すると1年生の時から頭角を表し、3年生の春・夏いずれも甲子園に出場。侍ジャパンU-18代表にも選ばれるなど、華々しい活躍が認められ、横浜DeNAからドラフト3位指名を受けた。入団1年目は2軍で102試合に出場。そのまま英才教育をしていくものと思われたが、2年目、3年目と年々出場機会が減少。そして3年目のオフ、1度も一軍に上がらないまま、チームを去ることとなった。

画像1

期待に胸を膨らませて飛び込んだNPBでの3年間は、彼にとってどんな時間だったのか。

「横浜時代は誰に何を聞いていいのか、何をしたらいいのかがわからなかった。その中で試合でも結果が出なかったので、どうしていいかもわからなかった。正解もわからない中で、聞くことができない自分がいた。それで戦力外になってしまったので、後悔しかなかったです」

悩み、迷い、苦闘を続けた3年間。正しい道筋が見つからないまま、突きつけられた厳しい現実に、一時は野球から離れることも考えた。当時若干21歳、自暴自棄になるのも無理はないだろう。

しかし、周囲の声に背中を押され、その年のトライアウトを受験。NPBからの声はかからなかったが、再度NPBを目指す場所として沖縄から新たにスタートする独立球団・琉球ブルーオーシャンズへの入団を決めた。

「1年中、暖かいところで野球ができるのがいいと思い、決めました」

2020年1月末。沖縄本島南部にある東風平野球場でスタートした春季キャップでは、チームメートとなった元中日ドラゴンズ・亀澤恭平兼任コーチらの指導を仰ぎながら、精力的に汗を流した。2月末に沖縄で行われた巨人3軍とのオープニングゲームでは、記念すべき先制タイムリーを放つなど、NPB復帰へ向け、上々の滑り出しを見せていた。

画像2

しかし、全世界を襲った新型コロナウィルスの猛威は日に日に拡大。その影響をまともに受けた新球団は、沖縄県内の感染状況も相まって大幅な活動自粛を余儀なくされた。

「難しかったですね。(全体では)ほぼ活動できなかったので。ただ4人までなら集まっても良いということだったので、沖縄にいる同級生や友人と、少年野球で使っているグラウンドが空いている時に貸してもらって、自主練はやっていました」

シーズンの半分以上で活動ができず、各球団のスカウトにほとんど見てもらうことができなかった2020年。この年のトライアウト挑戦は断念せざるをえなかった。

「1年目が終わった段階では、受けようと思わなかったですね。ちゃんと準備ができたという感覚を持てなかったので、ここで急いで受けても多分満足できないでしょうし、絶対に後悔すると思ったので、だったら次の年にしっかり勝負しようと」

勝負をかけると決めた2021年。シーズンイン直前の3月末に、プライベートでも大きな決断を下した。自らのインスタグラムで結婚を発表したのだ。

「結婚したことで、奥さんの人生にも責任を持つことになったと思っています。その分、もっと野球で頑張らないといけないと強く思いましたし、そこを背負うことで、もっと野球に集中できるようになるのかなと思っています。食事もいつも作ってもらっているので、本当に助かっています。」

人生の伴侶を得たことで、今までなかった責任感が芽生えたという大河。琉球入団時に感じた少年のようなあどけない表情が、いつの間にかたくましい青年の顔つきへと変わっていた。

琉球2シーズン目の今年は、県外での対外試合が多く組まれた。アピールする機会が増える中、自身の打撃成績は思うように伸びなかった。打席の中で明らかに力みがあり、振り遅れて逆方向へのファールが目立っていた。

「最初、NPBに戻るためには、長打が必要だと考えていました。(対外試合)最初の5試合は20打席ノーヒット。長打を意識する中で力みにつながり、タイミングがあっていなかったんです。なので、一気にやめました」

そこで、ボールへのコンタクト率を重視し、しっかりボールを仕留めるタイミングの取り方を心がけた。意識を変えたことでヒットが増え、自然と強い打球がライナーで外野へ飛ぶようになった。球団が公式戦と位置付けた九州アジアリーグやNPB2軍戦など、全37試合の成績は、打率.300(130打数39安打)6二塁打、1本塁打、出塁率.400。打撃面でアピールできる数字を残した。

⚾︎

画像3

NPB時代から課題と言われていた守備。琉球1年目は、送球エラーも多かったが、今年はスローイングが安定。必然的にエラーも減少した。

「ある意味、考え過ぎていた部分もあったかなと。そこであまり考えずに『キャッチボールの延長で』という意識でやっていました。シーズン後半から(送球が)うまくいくようになりましたね」

元々、肩や肘だけで無理やり投げてしまうところがあったという大河。体の使い方を変えるため、亀澤や李杜軒コーチのアドバイスがきっかけで、キャッチボールで遠投を増やしたという。

常に試合が控えていたNPB時代は、限られた時間内にノックや打撃練習などを行わなければならず、キャッチボールにじっくり時間を使うことはできなかった。しかし、琉球では試合が少なかったことも幸いし、遠投でスローイングを見つめ直すことができた。

「遠くに投げるためには、その分、体を大きく使わないと投げられないですし、いい回転のボールにはならない。(遠投で)そこを意識して投げて行けば、塁間の距離でも綺麗な回転で投げられるんじゃないかって思ったのでやっています。今のところはいい形でできているんじゃなかと思っています」

琉球では全試合、遊撃での出場だったが、9月に派遣されたBCリーグ・茨城アストロプラネッツでは、三塁でスタメン出場。DeNA時代に遡っても、三塁出場は1年目の1試合のみ。しかも、初めて守る球場も多い中、安定した捕球とスローイングで、しっかりチームに貢献していた。

打撃や守備での技術向上に加え、メンタル面でも大きな変化があった。それを最初に気づかせてくれたのが、元チームメートの先輩だった。

「(春季)キャンプインまで、桑原さん自主トレに1年ぶりに参加させてもらったんです。守備面、打撃面でもよくなったと言ってもらえたんですが、『明るくなったね』とも言われました。向こうのイメージからは明るく見えなかったってことなんでしょうね。『笑顔が増えて良くなったね』って」

画像4

沖縄の夏はとにかく暑い。そんな炎天下の練習でも今年の大河は、とにかく笑顔を欠かさなかった。試合でも、投手が苦しい場面では積極的に声をかけに行く。練習後にはNPBの経験がないチームメートとも打撃論を交わす。茨城に派遣された時には、ジョニー・セリス監督(来季より福岡北九州フェニックスヘッドコーチ)に自ら指導を仰いだ。積極的に行動することで気がつけば、苦悩の連続だった野球とがむしゃらに向き合い、全力で楽しむ自分がそこにいた。

「最近、めちゃくちゃ考えるんですよ。なんで野球がこんなに楽しいんだろうって。打てなくても『なぜ打てないんだ』とか、考えるのが楽しい。それを1打席ごとにやっているので、本当に面白いです」

画像5

再び輝く場所へーーー。12月8日、2年ぶりのNPB12球団合同トライアウトに挑む。

「結果を残すことはもちろん大事ですが、みんなが集まる場所なので、楽しくできたらと。今までやってきたことを、その場で見せることができたらと思っています。頑張ります!」

今年で23歳、沖縄での2年は必ずしも順調とは言えなかった。しかし、多くの出会いから気づきを得ることができ、昔を知る先輩も実感するほど、心身共に大きな成長を遂げた。

沖縄から目指す再挑戦。道筋が見えず、後悔を残して去ることとなった舞台に、迷いから抜け出し、楽しみながら目一杯躍動する"新しい松尾大河"を是非、多くのファンに堪能してほしいと切に願うばかりだ。

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?