迎賓館1280

いわきりなおとの国宝漫遊記 第6回「迎賓館赤坂離宮」の巻

“明治生まれ”初の国宝
 迎賓館赤坂離宮  東京都港区

漫画家のいわきりなおとさんが、国宝迎賓館赤坂離宮(東京都港区)を紹介します。
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 日本外交の舞台である迎賓館赤坂離宮は、1909年に、皇太子時代の大正天皇が住むための東宮御所として造られました。
 設計総指揮を任されたのは、お雇い外国人であった英国の建築家ジョサイア・コンドルの弟子の一人、片山東熊。片山はヨーロッパの宮殿建築をモデルにして、日本初の本格的な西欧様式の宮殿を設計しました。
 建築、内装、装飾に関わる職人も当時の超一流の人材をそろえ、総事業費は510万円。現代の貨幣価値で500億円から1000億円と言われています。
 10年の歳月をかけて、幅125メートル、奥行き89メートル、高さ23・2メートルの立派な建物が完成したものの、明治天皇から「ぜいたくすぎる」と言われ、片山はショックで寝込んでしまったといいます。結局、皇太子は住むことがなく、大正に入ると御所ではなく離宮と呼ばれるようになりました。
 戦後は国会図書館や、東京オリンピック組織委員会事務所などとして利用された時期もありましたが、大改修されて、74年に迎賓館として生まれ変わりました。今ではすっかり日本の顔で、2009年には明治以降の文化財として初の国宝に指定されました。
 国賓のおもてなしに支障のない時期には、内部を一般公開しています。重さ約1トンの豪華なシャンデリアなどの調度品や、天井画や七宝焼といった美術品をじっくり鑑賞できます。
 本来の邸宅としてあまり出番はありませんでしたが、国賓をもてなし、サミットなどの国際会議を行うには最高の舞台だと思います。

(談 いわきりなおと/記事編集 共同通信 近藤誠) 
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