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【FM店主日記Day37】歯医者さんが考えた歯ブラシはだいたいどれも使いにくい

ドラクエの村人は何度話しかけても同じことしか言わない。

しかも大抵の場合は特に意味のない話だったりするのだけれど、彼らは時折貴重な情報をくれたりもするし、一つのことだけを主張し続けるのってそれはそれで結構エラいのではないかと最近思う。

人生は長いようで短い。時間は有限なので、どんなに要領が良い人でもたくさんのことを深く学習することは難しい、というか無理だ。ギターもピアノもドラムもトランペットもバイオリンもシタールも同じだけ練習しようと思うとどれもそんなに練習できなくなるわけだし、いろんな業界の仕事をしようと思うとどの分野の知識もさほど深掘りできなくなる。英語が話せるようになるためにめちゃくちゃ努力をした結果、日本語が残念になってしまう場合もあるし、バイリンガル教育に力を入れた結果、英語も日本語も発音は完璧でネイティブのようなリズムで話ができるようになったけど、言語学習しかしてこなかったので、語るべき内容を持たない、何も体験したことがない空っぽの人間が出来上がってしまうこともある。

しかし、物事の別の視点を得ることは、自分の専門分野を深ぼるためのヒントになることもある。ギターが上手くなりたい、と思ってギターばかり練習するのも一つだけれど、ピアノが弾けるようになればギターではなく「音楽」という領域においてより深く考えることができるようになるかも知れないし、ベースギターが弾けるようになることでバンドを組んだ際にベーシストのことも考えながらギターが弾けるようになるかも知れない。英語を勉強することで日本語に対する理解力が深まったり、「言語」や「コミュニケーション」に関する知見が深まるかも知れない。知識や体験は単純な足し算ではなくて、多くの場合は掛け算的に価値を増していくような気がする。

ピアノが弾ける人が当たり前に知っていることをギタリストは知らなかったりするし、説明してもピンとこなかったりする。逆にギタリストであれば普通に知っていることをピアノしか弾けない人が聞いてびっくりすることもある。そして、両方弾ける人だからできる応用みたいなことも結構ある。自分が知っている常識的な知識も当たり前すぎるテクニックも文脈が変われば聞く人が驚くような画期的なアイデアになったりもする。

当たり前のことが当たり前じゃない状況に自分を置いてみると意外な発見がたくさんあったりするわけだし、同じことばかり言う村人の言葉は彼らにとってはなんでもないことでも、初めてその村を訪れる人にとっては画期的な一言かも知れないし、それで人生が変わる人もいるかも知れない。

だから、周りの人がみんな知ってることを自分も知ってるだけだから自分なんて大したことない、というのはなんか違う気がするし、いちいち謙遜する必要なんてない。周りの人は同じ環境にいるから知ってるだけで、全然違う環境にいる人たちにしてみると全てのことが新鮮に映っているかも知れないし、それを口にすることでその人の人生が変わる可能性だってある。

大切なのはとりあえず言ってみること、そしてとりあえずやってみること。専門家だからと言って正しいことばかり言うわけではないし、歯医者さんが考えた歯ブラシは頭でっかちでどれもこれも使いにくい。

自分がドラクエの村人だったら、勇者に遭遇した時、どんな言葉をかけるだろうか、と時々考えてみる。

フェルマータ店主 KAORU

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