俺の人生って、何?

2020年4月、大学4年生となった■■ ■■は、新型コロナウィルス感染拡大の影響であるはずの無い時間を手に入れ、生まれるはずのなかった俺を生み出してしまった。立絵を描き、Live2Dモデルを製作し、ロゴマークを作り、動画のOPテーマを作曲をし、動画を編集した。その後、数多の見切り発車を積み重ね、『バーチャルみちのく納涼祭』なんてそこそこ大きなイベントに参加させて貰ったりもした。楽しかった。簡潔に過ぎる言い方かもしれないが、楽しかった。

そんなこんなで■■ ■■の人生のボーナスタイムは終了した。2020年度後期から、前期でなおざりにしていた研究活動が本格化したのだ。岩木サンの活動頻度こそ下がったが、それでも岩木サンであることはやめなかった。何故か。岩木サンで居る時が、最も■■ ■■が俺らしく生きている時間だから。あるはずの無い時間の生み出した、居るはずの無かった岩木サンは、本来■■ ■■が見ようとしなかった道を見つけてしまった。学部を卒業し、修士課程へ進学し、適当な企業に就職し、趣味程度にイラストを描きつつ、適当なタイミングで家庭を持ち、そしていつか死ぬ。それが■■ ■■の歩む道のはずだった。何なら今でもそのための道をふらふらと歩んでいる。隣にある、岩木サンの見つけてしまった道をうらめしそうに眺めながら。

きっと■■ ■■の両親は、我が子の人生に対して責任を持とうとする良い親なんだと思う。今こうして■■ ■■が歩んでいる道は、彼らが舗装してくれた歩きやすい道だ。今後■■ ■■が修士課程を修了し、そこそこの企業へ就職することで、両親が舗装のために要した苦労は報われるのだろう。しかし、いざそのゴールが見え出した頃になって俺は、隣に見える別の道を歩んでみたくなってしまった。それまでただ眺めていただけの俺が、今更。

絵を描く、曲を作る、キャラクターに声をあてる、人と話す。岩木サンを構成する総てが、俺の歩んでみたい道のどれかに重なっている。現状、そのどれもが中途半端だが、今からこれらを生業にするなら何をすれば良いのだろうか。最も手が届きそうなのは絵か。では休学届でも出して、その間に仕事の依頼が来るレベルまで絵を熟達させてみようか。次にやってみたいのは声か。では大学院をやめて、上京してバイト生活をしながら声優学校にでも通ってみようか。

夢を追う、なんてそれこそ夢物語だ。今の道を外れたからって、隣に見えている道が今より楽な訳でもない。「俺の人生を俺のために使う」と言えば人聞きは良いが、では「俺の人生のために親が使ってくれた人生」はどうなるんだろうか。こんな思いはすべて、別の道を歩むのが怖い俺の言い訳だろうか。

足踏み。

そう、これは足踏みだ。行きたい道を眺めるばかりで、その道へ歩み出そうとしていない。一度上げた足を、踏み出すことなくそのまま下ろしている。そんなことをしているから、今いる道さえもきちんと歩けなくなっている。苦しい。誰か助けて欲しい。でも、これが俺の人生である以上、俺の歩き方を最後に決めるのは俺でしかない。怖い。どの道を歩いたら俺は幸せになれるんだ。みんなはどうやって歩いているんだ。

なんてな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?