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読んだよ、の巻。「土を食ふ日々―わが精進十二ヵ月―/ 水上勉・著」

忙しないと、畜生の浅ましさ故か多々疎かになりがちである。

身体の変調に有効なのは運動だが(朝のラジオ体操を今年2022年から続けているが、驚くほどの効果があって驚愕している。会う人会う人に勧めている程に)、心の変調はさてどのように対処するか。
人によって様々でありましょうが、自分の場合読書が有効だ、といつからか気づく。

ラジオでこの著者と向田邦子の対談を紹介していたのを聞いた際、とても印象深く、著者の本を読みたくなった。

向田が「我々現代人はコンクリートに囲まれて土の見えない人生を送っている」という嘆き(?)に、水上は「アスファルトなんて高々幾らかの厚さしかない。剥いたらちゃんと土がそこにある」云々と返す…と。概要はこんな感じだったか。詳細をお知りの方は教えて頂きたい。
(追記:読めました。向田邦子全集 <新版> 別巻一 向田邦子全対談集 文藝春秋刊
伝聞の危うさと同時に、その紹介する人自身のフィルターを通して対象を見詰められる、という両面について思った。土を喰ふ日々、の楽屋裏を覗けるような対談。)

幼い頃に禅寺で修行した厳しい(と十二分に察せられる)経験から、典座教訓からの引用などを踏まえて、一年十二ヶ月の旬について徒然と書かれていて面白かった。

話が一瞬横道に滑るが、典座教訓、の読み方だけは以前から知っていた。
これが犯人推理のヒントになるからだが……本のタイトルは忘れたが恐らく京極夏彦だろう。

著者の水上は
「精進料理とは土を喰うもの。」
「旬を喰うこととはつまり土を喰うこと。」
「〜近ごろは(略)誰もが頭で喰い、頭で呑みしているところが見えるのでわざわざ口で喰らえと言ってみたに過ぎない」

と言っている。初版は昭和53年、1978年。

「こんな寒い日は畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、二、三種類考えてみてくれ」という幼い筆者に向けた言葉は奥深く、且つとても小気味良い。禅寺の老子の、その言動よ。

不作の年の痩せた大根をおろしてみたら、その辛味の内包に驚く、という場面が良かった。良し悪しを安易に決めてはならない、と。
土から生まれたものは、やはり何かしらそうなる理由があるのだ。無駄なものなどない。

畢竟、生命は尊い。

一食一食、大事にしたいものである。
ところで、この料理はブランディにもあう、っていう一節が度々出てくるのですが、この時代何かステータスだったのかしらん。

そして今度、この本を原作にジュリーが主演で映画化されるとのこと。
ワーォ。

先日、ライブをさせて頂いた 高円寺のぽれやぁれさん(ライブ後記 https://note.com/iwakazudayo/n/n3da34fb88919)に、こちらの映画のチラシが飾ってあった。伺うと、スタッフの山田さんはこの映画を撮られた中江裕司監督が復活させた沖縄の桜坂劇場で働いていたとのこと。

何とも奇遇な話である。
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と嘯く憑き物落としの新作も早く読みたいものである。日光も舞台になっているらしいので。



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