【葬送のフリーレン】斎藤圭一郎監督について
TVアニメ『葬送のフリーレン』では、斎藤圭一郎さんが監督を務めることがわかっています。
アニメの監督としては、『ACCA13区監察課 Regards』(OVA)、『ぼっち・ざ・ろっく!』に続いて、今作は3作目になります。(公開順。本当の時系列は不明。)
『ぼっち・ざ・ろっく!』に関しては、斎藤監督の制作への取り組み方が、以下のガイドブックに記載してあります。
本記事では、上記のガイドブックを参照しながら、自分なりに斎藤監督の大切にしているところを整理し、それが『葬送のフリーレン』にどのように落とし込まれうるか、について考察したいと思います。
ガイドブックで気になった箇所
キャラクターの描き方
斎藤監督の基本的な考えとしては、視聴者が主人公に没入することで何を感じるか、ということを意識して、キャラクターを形作っていくイメージを持っていそうです。
この作品での没入方法としては、キャラクターへの共感と、数多くのモノローグを使っているようです。
時間の描き方
基本的には4コママンガからのアニメ化で、描いていない時間を理屈のある描写で補完していたようです。
部分的には、原作のような時間飛ばしを採用し、緩急を付けていたと思われます。
その時間飛ばしにより、コメディ色が強くなったとのことです。
アニメ化の自由度
ストーリーとキャラクターさえ外さなければ、自由度高く各担当に任せていたようです。
『葬送のフリーレン』への落とし込み
キャラクターの描き方
後藤ひとりに対しては、共感性を意識してキャラクター作りをしていましたが、フリーレンに対しても同様のアプローチかは疑問があります。
理由としては、フリーレンが人間と異なる種族のエルフであり、視聴者が直感的に共感できない部分があるから、またはフリーレンのモノローグはほとんど無く、心理描写が中々見えないキャラクターなので、没入できるキャラクターとは言えないからです。
個人的には、フリーレンの描き方として、基本的には共感できないキャラクターとして見せるが、たまに見せる人間らしさを強調し、そのギャップでキャラクターとしての愛着を持たせる感じになるのかなと思います。
ギャップ、大事。
時間の描き方
アニメ『葬送のフリーレン』はおそらく、原作ではほとんど描かれていない時間を、制作陣が膨らませて描くことになると予想されます。
斎藤監督も『ぼっち・ざ・ろっく』での経験があるので、上手くやってくれそうな気がします。
ただ『葬送のフリーレン』の描かれていない時間が、『ぼっち・ざ・ろっく!』と比較して段違いに長く(50年など)、そこの描かれ方がどうなるかは気になるところです。
案外エルフの視点で考えると、時間飛ばしのような描き方でも合理的かもしれません。
アニメ化の自由度
『ぼっち・ざ・ろっく』では、個人的な印象では、かなり攻めた表現を使って自由に描いていたと感じています。
『葬送のフリーレン』は基本ヒューマンドラマ、時々コメディのストーリーなので、それを崩さない程度の自由度となると、『ぼっち・ざ・ろっく!』ほど自由には描けないかなと思っています。
ただそれでも、世界観を崩さない程度には、色々なアイディアを突っ込んでやってほしいですね。
特に以下にあるような、セリフなしの時間経過を表すコマは、『葬送のフリーレン』の特徴でもあるので、ここらへんで自由度高く演出してくれれば、アニメが面白くなりそうかなと思っています。
まとめ
本記事では、「ぼっち・ざ・ろっく!」TVアニメ公式ガイドブックを参考に、斎藤圭一郎監督の作品への取り組み方を整理し、『葬送のフリーレン』でどのように落とし込まれるかを、自分なりに考察しました。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
参考
斎藤圭一郎監督について、ネットの反応集動画がありましたので、ご視聴オススメします。
こっちの動画のほうが、本記事みたいに理屈っぽくなくて面白いです(笑)
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