見出し画像

学校教員は「死」について触れたがらない。これでは自殺予防教育なんてできるはずがない。

ここに掲げるのは,ある精神医学雑誌からの依頼で書いた「自殺予防についての教師教育」という論文の一部である。そこでは一応学術論文らしき体裁をとってあるが,そこで書いたことは要は,「死」や「自殺」に向きあおうとしない学校教員に対するわたしの苛立ち(と呪詛!)である。

21世紀ももうじき四分の一が過ぎようというのに,少なからぬ学校教員がいまだに「死について話すと自殺を促すことになる」,という誤った考えをいまだに持ち続けているのである。これはもう,戦中の敵性語禁止(「英語を使うと鬼畜米英の精神に毒されてしまう」)と発想をほぼ同じくする妄論(むしろ迷信か)である。

ここでは,筆者自身が体験したり見聞したりしたこと(報道や文部科学省が公式に発表したものも含まれる)をアネクドート(エピソードまたは小咄)として示した。「どんだけ昔の話をもちだしとんねん!?」というお叱りが来る前に断っておくが,以下のアネクドートはすべて,文部科学省が2014年に「子供に伝えたい自殺予防(学校における自殺予防教育の手引)」(アネクドート#1)を発表して以降に実際に起こったことである。

アネクドート#1 文部科学省の自殺防止教育への姿勢

 文部科学省は,2009年に「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」というマニュアル及びリーフレット[1]を作成した。その中では,自殺の危険が高まった子どもに対しては,
「言葉に出して心配していることを伝える」こと,「死にたいという気持ちについて、率直に尋ねる」ことが推奨されている。2014年には「子供に伝えたい自殺予防(学校における自殺予防教育導入の手引)」[2]が出された。そこでは,自殺予防教育の授業を行う前にアンケートを実施して,「死にたいと思った」「友だちに死にたいと言われた」経験の有無を尋ねておくことが推奨されている。
 この「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」と「子供に伝えたい自殺予防(学校における自殺予防教育導入の手引)」は,精神保健や精神医学の専門家からみても穏当な内容のものになっている。

アネクドート#2 鎌倉市図書館のツイート

 次に掲げる鎌倉市立図書館による2015年5月26日のツイート[3]は各種マスメディアに取りあげられ,全国的によく知られるものとなった。全文引用する.
「もうすぐ二学期.学校が始まるのが死ぬほどつらい子は,学校を休んで図書館へいらっしゃい.マンガもライトノベルもあるよ.一日いても誰も何も言わないよ.9月から字校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら,逃げ場所に図書館も思い出してね.」
 このツィートは現在(本稿執筆時点)もTwitter上で閲覧できる。そしてこれまでに10万回近くもリツイートされていることからも,このメッセージが広く共感をもって迎えられたことかわかる.
 ところが,報道[4, 5]によると,このツィートは同図書館を設置運宮する鍬倉市教育委員会のなかで,「死ぬほどつらい」「死んじゃおうと思ったら」という文言が問題にされた。死を連想させる言葉によって自殺を考える者が出るのではないか,という危惧からのことであったという。

アネクドート#3 学校での質問紙調査

 ある研究者(教員養成大学の心理系教員)が,公立中学で生徒の精神健康についての質問紙調査を企画した。事前に市の教育委員会の同意を得ていたが,実施直前になってその中学校の教頭から,希死念慮の有無を問う質問項目の削除を要請された。「自殺や死について質問することで,生徒の潜在的な自殺願望をあおってしまうことになりかねないから」というのがその理由である。
 その研究者は,1.自殺についてオープンに取り上げることは自殺をあおるどころか抑止効果があることがこれまでに確かめられていること,2.文部科学省も希死念慮の有無を生徒にアンケートで問うことの有効性を認めていること,3.今回の調査はすでに教育委員会の同意を得ていること,4.すでに標準化されている質問紙の一部を改変してしまうと,調査結果の意義が損なわれること,等について根拠となる文書を示して説明したが,教頭は折れず,結局希死念慮を問う項目は削除して調査は実施された。

アネクドート#4 人形浄瑠璃の鑑賞教育

 「総合的な学習の時間」についての研究会で,中学校教員が人形浄瑠璃の鑑賞教育の実践経験についての発表を行った。発表の中で,鑑賞対象とする演目の選定について,「自殺や心中を扱った演目は除外する」ことが主張されていた。その理由はやはり,「生徒の自殺願望をあおってしまいかねないから」であった。一方で,残虐な殺戮シーンのある演目はいくつか取り上げられていた(たとえば「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」や「女殺油地獄」)。

アネクドート#5 “いのちの教育”

 「いのちの教育」(生命を大切にする教育,等とも呼ばれる)の研究会で,「死の準備教育」の小学校への導入についての発表があった。身近な人物の死を経験した児童の作文等を提示して,児童に死をなるべく身近に感じさせようとする授業の実践報告であり,人の死を扱うことについて繊細な配慮がなされていた(と,筆者は感じた)。
 その発表に対して,市教育委員会の主任指導主事は,「いのちの教育の目的は,あくまで生きることの素晴らしさを児童生徒に理解させることにある。その点で今の発表は,死が授業のテーマとなってしまっており,いのちの大切さということに十分に接続されていない」とコメントを述べた。

アネクドート#6 特別の教科「道徳」

 従来義務教育課程における道徳教育は,各教科の教育内容に関連付けられて教科横断的に,あるいは教科外活動(領域)として総合的な学習の時間や特別活動の中で行われていたが,2015(平成27)年3月告示の学習指導要領の一部改正により,学校教育全体の中での道徳教育の「要」として,「特別の教科 道徳」が設けられた。「道徳」は移行措置の期間を経て,小学校では2018(平成30)年度から,中学校でも2019(平成31)年度から完全実施されている。
 中学校の学習指導要領[6]では,道徳教育の目的は「よりよく生きる」(ための基盤となる道徳性を養う)ことにあるとされている。そしてその目的を達成するために22の内容項日(「徳目」と呼び替えてもよかろう)が設定されているが,その1つに「生命の尊さ」がある。同指導要領の解説9)で「生命の尊さ」の項をみてみると,「生命はかけがえのない大切なものであって,決して軽々しく扱われてはならない」とか「人間の生命の有限性だけでなく連続性を考えることができるように」「人間の生命のみならず身近な動捕物をはじめ生きとし生けるものの生命の尊さに気づかせ」る,ということが強調されている。
 その一方で,「死」という語は同指導要領解説[7]のなかでは,「身近な人の死に接したり」という件で一度だけ登場する.指導要領[6]のなかでは一度も登場しない。両者を通じて,「自殺」という語は一度も登場しない。今日の道徳科教育は,ほとんど「自殺」にふれることなく「生命の尊さ」を教えているのである。

おわりに

 蛇足ながら付言しておくが,わたしはすべての学校教員がこうだと断言したいわけではない。若い世代の教師たちには,より率直に「死」や「自殺」に向き合うことのできる人が増えている。その意味では,将来は明るいというべきなのかもしれない。とはいえ,年配教師たちが”訳知り顔”に若手教師を誤誘導することがまったくないとも言い切れない。心配は尽きない。
 正直わたしは,現在45歳以上の学校教員(の8割)には完全に失望している。


[引用文献]
[1] 文部科学省:教師が知っておきたい子どもの自殺予防.2009(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/046/gaiyou/1259186.htm)(cited 2021-07-01)
[2] 文部科学省:子供に伝えたい自殺予防(学校における自殺予防教育導入の手引).2014 (https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/063_5/gaiyou/1351873.htm)(cited 2021-07-01)
[3] 鎌倉市図書館: 2015 (https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040)(cited 2021-07-01)
[4] 泊田理央:「自殺を考えるほど悩んだら,学校休んでいらっしやい」ツイードした鎌倉市図書館が,今伝えたいこと(https://www.huffingtonpost.jp/2017/05/31/kamakura-library_n_16899476.html)(cited 2021-07-01)
[5] 女性セブン:鎌倉の図書館命のツイート後に緊急会議し図書館の役割再考.女性セブン,2015年10月15日号
[6] 文部科学省:中学校学習指導要領(平成29年告示). 2017(https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1384661_5_4.pdf)(cited 2021-07-01)
[7] 文部科学省:中学校学習指導要領(平成29年告示)解説特別の教科道徳編.2017(中学校学習指導要領(平成29年告示)解説特別の教科道徳編)(https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387018_011.pdf)(cited 2021-07-01)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?