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「精神科医の診断書、意見書、鑑定書―何を書くか、どこまで書くか、どう書くか―」(「精神科治療学」第39巻4号,2024年4月)  特集にあたって

診断書の作成は医師の基本的な業務の一つである。医師は患者から診断書交付の請求があった場合には、これを必ず記載・発行する義務がある(医師法第十九条二項)。

精神科医も他科の医師と同様かそれ以上に,診断書や意見書の発行を求められることが多い。診断書に記載する内容は医学的に正当なものであらねばならないことはもちろんであるが,精神疾患には客観的な検査値や病理形態学に基づいて診断されるものはほとんどないために,どうしても患者自身による主観的な症状報告や医師による間主観的な症状把握に頼らざるを得ない部分が多い。また,精神科では,自立支援医療(精神通院医療)や精神障害者福祉手帳に係る診断書,精神保健福祉法関連の診断書等,行政機関に提出する診断書が非常に多い。近年は,労災や裁判に関連して精神科医の見解を文書で求められるということも多くなってきている。

このように様々な場面と目的において,精神科医が診断書や意見書,それに鑑定書の執筆を求められることがますます増えている。

ところで,一見このように“種々雑多”にみえる各種の診断書であるが,やはりそこには,精神科医が踏まえなければならない共通の原則があるように思われる。本特集では,そういった共通原理のようなものを(密かに)求めつつも,本誌のいつものように,精神科医療の現場での具体的な場面に即した形で設定したテーマについて,各分野のエキスパートに執筆を依頼した。その結果,本号に掲載された論文はそれぞれに個別のテーマを論じながらも,本号全体として,今日の状況の中で精神科医が診断書作成発行においてとるべき態度,ひいてはあるべき臨床姿勢について一定の方向性というかある種の共通原理を描出できたと思う。甚だ手前味噌で恐縮ではあるが,編集子の目論見は達成されたのである。

このようなテーマの特集は,ややもすると診断書作成上のtipsを並べたハウツー的な論文が並ぶものになるか,あるいは逆に法的医学的解説と臨床医学の“作法”をちりばめた原則論となるかの一方の極に振れてしまいやすい。その点,今号の執筆陣には本誌と今号の編集方針をよくご理解いただいて,両極の間の“細い道”を辿る,あるいは両極を往還するようなすばらしい論文を寄せていただくことができた。ここに記して感謝する。

さて,ここで編集子の考える,臨床医が作成する診断書や意見書,鑑定書の機能ということについて,簡単にふれておきたい。とりあえず3つの機能を挙げておく。(1)患者について医学的判断,情報,見解を提供する,(2)患者の権利のアドボカシーとして,(3)医師が自分の身を守るために,である。もちろんこの3つの機能は相互に重なり合っている。

(1)については,今更言うまでもない。患者の病名とその原因,症状,加療と休業の必要性の有無,について記載することがこれにあたる。診断書によって情報提供を受けた行政機関や患者の勤務先では,それに基づいて患者の処遇についての判断をくだす。診断書は,そのための情報源であるのである。
(2)は実は, (1)の目的とするところである。医師の医学的見解は公正中立であらねばならないが,その医学的見解は患者の治療や福祉の向上のためにこそ用いられるべきものである。
これまで,(3)についてはあまり論じられてこなかったように思われる。
近年、メンタルヘルス問題の多様化と患者の権利意識の増大に伴って、患者そして社会が診断書に求めるニーズも増大かつ多様化してきている。その一方で医師の方はと言うと、訴訟に巻き込まれること等を恐れて、ややもすると診断書作成に関しても裁判等に関しても“萎縮”しがちな傾向をなしとはしない。「君子危うきに近寄らず」というわけである。しかし,それでは医師としての社会的使命が果たせないばかりか,逆に,診断書を発行しなかったこと,あるいは診断書の記載内容が乏しいことで医師が批判されるケースが出てきている。ここはやはり,事実と医学的定説に基づいた“過不足のない”診断書記載が求められる。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということが,精神科医療の現場でも起こりうるのである。秋の夜長に暗い道を一人で怖がりながら歩いていると,ただの枯れすすきでさえ恐ろしい幽霊に見えてしまう。正しい知識がないと,医師は実際には起こりそうもない“後難”を恐れて,診断書や意見書を作成することを躊躇してしまう。これはやはり,ある種の“萎縮医療”と言わねばなるまい。

ここで思い切って告白してしまうと,実はこの萎縮医療の回避ということこそが,本特集を編むに至った編集子の動機であった。医師たるもの,専門職としての矜持と使命感をもって,臆することなく堂々と,自己の医学的見解を表明したいものである。そのために必要な知識と方法論を,本号ではかなり提供できたように思う。

以上,「行政機関への対応」とか「医師の矜持と使命感」とか,ややしかつめらしい語を書き連ねてしまったが,診断書,意見書それに鑑定書等とは結局は,それぞれの場面での対話に向けた医師からの発信である。この「対話」という視点を私たちは大切にしなければならないし,このことは実は治療ということに直結している。

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