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最終話:金の切れ目が縁の切れ目。そして私は逃げて来た。

娘を出産して間も無く、生活費がギリギリだと言うことを元夫なりに理解していたのだろうか。実家から独身時代に貯めていた70万を生活費に充てろと持って来た。
ありがたかった気持ちもあるんだけど、その金で自分のバイク買ったり、カスタムの金を返せよって思いました。まぁ、返して貰ったところで全然足りないんですけどね。

元夫が転職した会社は、求人広告でハッキリと給与について記載がなかった。
しかし、配送業で自分の好きに仕事ができる事に魅力を感じたようで、相談もなしに就職先を決定してきた。
基本給30万・手取り25万と言うのは大学卒が入社した場合で、元夫は高卒だった為、基本給15万だった。保険料や税金など色々差し引いた結果、月8万に満たない金額しか貰えなかった。それ以外は、歩合制で運んだ荷物の量とか、残業などで給与を増やしている人が多い会社だった。
入社して三ヶ月は研修中と言うことで残業も歩合もなく、基本給しか貰えず社会保険料を引いたら8万円しか振り込まれなかった。家族3人で月8万円は、どう頑張っても難しく、毎月赤字。
私の貯金は元夫のバイクカスタム費(私のクレジットカードで会計していた)や通院代と出産準備、ベビー用品でほぼ消えてしまい、彼が独身時代に貯金したとされる70万に手をつけないと生活できなかった。
それでも金額を抑えて引き出しをしていたが、収入の不安や育児ストレスで母乳が止まり、子供のミルク代がかさんでしまう状況ではあっという間に、底をついてしまった。

元夫の貯金残金がない事に激昂したのは夫ではなく、義母だった。私が留守中に家に上がり込み、家計簿や通帳のチェックをしていたのだ。買い物から帰ってくると仁王立ちした義母がいて驚いた。貯金のチェックもそうだけれど、何より合鍵を作って息子夫婦の家に無断で入っているデリカシーの無さにも驚いた。
私の眼前に元夫の通帳を突き出して怒鳴り始めた。
「なぜ、あの大金が一銭も無くなっているの!」
「収入が少なくて生活費として充填してました。」
「うちの息子の働きが悪いっていいたいの!?」
「ハイ!その通りです!月8万円で足りると思ってるんですか?貴女と違ってキュウリにツナ缶開けただけの食事で生活してないんですよ。それとも同じ生活をしろって言いたいのかな?」
そう言いたいのをグッと堪えて、炎上しない様、言葉を選んだ。
「…転職して試用期間中の給与が低いのは承知しています。慣れない環境で疲弊している事も。食事をしっかり摂って体を整えて仕事に行って欲しいんです。なので貯金から生活費を補填していたんです。いずれ貯金をして元に戻します。」
「貴方の貯金でやりくりすれば良いでしょう!」
「私の貯金はバイクのカスタム代と〇〇さんが私名義のカードで買い物をしているので、その支払いで無くなっています。」
「なら貴方が働けば良い事じゃない!貴方は資格もあるんだから引くて数多で困らないでしょ。」
「…娘はどうするんですか?」
「保育園に入れなさいよ!私だって子供達を保育園に入れて働いていたわ!甘えた考えは捨てなさい!」
今でこそ、私が住んでいる地域は保育園が十軒以上あるが、娘が小さい時、預けられる保育園は二軒しか無かった。しかも、待機児童が多く、申し込んでも数年間は待つ事になり、確実に入れるわけでは無かった。

「保育園の申し込みをしても待機児童が多くて入園出来ませんし・・・。それに確実に入れないとフルタイムの仕事復帰は難しいんですよ。」
私の言葉に義母はニヤリと笑って
「じゃあ、土下座してくれたら孫の面倒を見てあげるわ」
は・・・?何言ってんだこのババア。その言葉に、私は頭が真っ白になった。お前の息子がしっかり働けば済む話で、産後マトモに休めず体の調子も戻ってないのに私が職場復帰して経済状況を打開するの?おかしいでしょ?
「どうしたの?働きたいんでしょ?」
いやいや、誰が働きたいって言ったよ。産褥期にも休ませなかったのは誰だよ。怒りで目の前がチカチカして目の前のババアを蹴り倒しそうになった。気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をして顔を上げ必死に笑顔を作った。
「…お手を煩わす訳にはいきませんので大丈夫です。母に頼みます。」
その後、話をしていたけど何も覚えていない。何故なら義母への殺意にも似た感情を必死に抑える事に集中していたからだ。


ただ、義母の言う通り私が、職場復帰をしないと駄目なのは理解できていた。案の定、保育園は待機児童になってしまい、すぐに入園はできなかった。
しかし、私の母も身体が不自由だった為、おいそれと仕事中に任せることができず、認可外の保育園を探して、就職先も見つけた。でも、認可外の保育園は料金も高くて何のために働いているのか分からなくなってしまうほどだった。

そして、私が就職し仕事が始まると
「夕飯コレだけ?」
「部屋汚いんだけど」
「仕事始めたんだから、余裕生まれたよね。小遣いあげてよ。」
私が仕事を始めたことが気に入らないのか、はたまた自分の負担が減ったと感じているのか。今まで以上に傍若無人に振る舞ってきた。

その頃には、元夫に愛情が湧いていなかったので無視をしていた。言われても答えない・注意された事があれば無言でやり直し・小遣いに関しては何も言わずに財布から毎回1万円出してテーブルに叩きつけて渡す。
私の態度に若干引き気味だったし、機嫌が悪いのを相手にするのが嫌だったんだと思う。小遣いはテーブルに置きっぱなしで回収しないで、そのまま放置してある事が多かった。私も自分の財布に回収すらせず、請求された小遣いがテーブルの上で重なり続けるだけだった。

そんな生活が3ヶ月過ぎた頃、仕事が終わってもなかなか帰ってこなくなっていた。洗濯物も出してこない。夕飯も何処がで食べてきたと行ってそのまま寝室に直行。しかも、小遣いをせがまなくなっていた。
私はそんな態度に薄気味悪さを感じながら、忙しく日々を過ごしていた。

ある日、義母から電話がかかってきた。
「貴方、仕事始めたのにウチの息子にお小遣いあげてないんですって?」
そんなことはない。少ないけれど小遣いは渡している。テーブルの上においてある
一万円札数枚に視線を落としながら
「いえ、渡していますけど…。それを〇〇さんが受け取らずテーブルの上に置きっぱなしになっているだけです。」
私の言葉に鼻で笑った義母は
「いい?旦那に渡す小遣いというものはね、『今月もお疲れ様でした。』って言葉を添えて10万円くらい渡すのが常識というものよ。それを貴女は足りないと言われないと出さない。しかも一万円だけですって?うちの息子の事を馬鹿にしているでしょ?今ね、小遣いが無いし、洗濯もしてくれないって私達の家に来ているのよ。自分の夫がそんな苦労しているのを知らないでしょ。」

汚れている衣服が出ていなければ、私は洗濯しない。たとえ家族のバックであろうと勝手に漁って洗濯物を出す所まで、大人に対してやることでは無い。それは、母親が子供に対してやる事だ。妻である私がやることでは無いと思っていたからだ。

「貴女ね、何事にも自分勝手すぎるのよ。息子がどれだけ傷ついていると思っているの。仕事に復帰したからって偉いわけじゃ無いのよ。あくまでも貴女は息子を支える妻という立場を忘れないで欲しいの。今日はこのまま息子を帰すけど、今後同じよ様な事が起きたら、貴女の給与差し押さえるから。」
「・・・承諾致しかねます。私は婚姻生活を続けてきて、どれだけ我慢をして来たと思っているんですか?金銭にしても仕事にしても自分勝手なのは〇〇さんでは無いでしょうか。これ以上の無理難題を突きつけられる様では、この先生活して行くことはできません。よって、私が出て行きます。」
そう伝えると、私は受話器から耳を離した。電話を切るまでの数秒間、受話スピーカーから義母の怒鳴り声が聞こえてきたが、構うことなく電話を切った。

すぐに荷物をまとめて、実家に帰った。
娘を寝かしつけたら、外から何やら聞こえる。
「出てきなさいよ!このあばずれ!!!ここに帰っている事はわかってんだからな!」
義母の怒鳴り声だ。
「・・・ちょっと、ご近所迷惑だから出てきた方がいいわね。」
「放っておいていいわよ」
そういって自分が幼少期過ごした自分の部屋に行こうとした時。玄関の戸が激しく叩かれた。玄関に入るまでは車庫の門を開けないと入ることは出来ない。
つまり、破壊して自宅敷地に入ってきたという事だ。私は警察へ通報。
「家族間の事になるのですが、実家に義家族が門扉を破壊して敷地に入ってきていて大声で怒鳴っているんです。」
『わかりました。決して外に出ないでください。警察官を向かわせます』
それから10分もしないうちに、赤いライトがチカチカしているのが近づいてきて、義家族は警察に連れて行かれた。義家族は【息子の子供が、奥さんに誘拐された】と説明していたそうだ。警察官にも今までの事、実家に帰った経緯を話した。
「ああ、なるほど。もし危なかったらシェルターに入ることも検討してくださいね。」
そう言って警察官は帰って行った。
その後、警察から厳重注意を受けたのか実家に来ることはなかった。
なかったけれど・・・。

あの日、持ち出すことができなかった私物を取りに行ったら。私のアクセサリーやお金になりそうな物は勿論、全て無くなっていた。おそらくリサイクルショップに売ってしまい、金にならない物は捨ててしまったのだろう。
そして、私の持ち物を整理した後。元夫は帰ってきていない様だった。
部屋の周りを見ていくと、何日も回収されていないゴミ箱に父の保険金が入っていた通帳が捨てられていた。拾い上げて通帳を開く。最後の数百円まで引き出しをして捨てたみたいだった。

まだ、婚姻関係は続いている。このアパートも引き払うと連絡だけは入れて手続きを始める。それと並行して私は、やらないといけない事があった。

隣町の家庭裁判所。そこへそのまま向かい、受付の人に声をかける。
「離婚調停の申し立てを行いたいのですが」
私は、娘の親権を争う調停という戦いの場に足を進める事になった。

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