ジャニーズ崩壊の第一歩

 木俣正剛氏(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長)の会見に対する第一感想だ。先ず、当事者だった白波瀬傑元副社長(退社)と顧問弁護士の出席がないのは、事実の立証を妨げる何ものでもない不誠実な対応だったと指摘している。即ち、ジュリー代表と東山社長だけでは、「噂では知っていた」の範疇における謝罪と補償になる可能性があるということだ。

つまり、ジャニー喜多川氏の「性嗜好異常」認定、小児性愛者だったという事実に真正面から認識することのない、今後の諸々の対処に終始することを意味することになる。さらに、言えば、東山社長自身は「やられていない」ことを担保する方便だということだ。今、テレビで脚光を浴びている、スターになっている顔馴染みの面々は、全て「やられている」と考えるのは普通とも言える。これまで彼らは、殆ど語らず、あいまいな表現に徹してきた。客観的には、そうとしか見えない。彼らの認識は、児童虐待とか性被害とかの認識はなく、スターへの登竜門だったと認識している節がある。
ジュリー氏に「やられる」ことは、自分にもチャンスが回ってきたという暗黙の了解が彼らの内で常識化していたということだろう(証言もある)。スターだけが「やられていない」、スターになれずに引退した人達だけが「やられた」というのはどう考えてもおかしい。東山社長の「私はそういったことはなかった」という会見での証言は、殆ど嘘である。彼は極めて政治的な人間であり、「嘘」は彼自身の努力と同じだけ重要な出世へのツールなのだ。森光子との関係も、「神であり、恋人です」と明言して、全く遺産相続がなかったと発言したが、誰か信じたものが居たのか知りたいぐらいだ。


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