残像日記 3/1

残像日記とは?
 → 前日の内容書いたメモから適当にまとめた日記


布団の中で日記を書いている。

最近異様に眠い。アレルギーの薬がまあ原因だろうとは思うが、春眠暁を覚えずとも言うし私の体が春になってきているのかもしれない。春になってきている?眠いからって適当なことを言うんじゃない。

春という季節は雪解けが始まり、昆虫や動物の冬眠が終わる季節なのだから、むしろ眠りの逆で活動の季節ではないかと考える。人間はなぜ春に眠るのか。これが生存競争の頂上に立つ種の驕りか。

人間が寝ているところは比較的よく見かけるが、他の生物が寝ているところはあまり見ない。私は犬が寝ているところを、実家で犬を飼い始めてやっと見ることができた。なんか呼吸が早いときと遅いときがある。たまに仰向けになって寝ている。

犬が仰向けになるのはまだわかる。お腹を見せた相手に服従する、のような習性もあるとか言うし。猫は全くそのイメージがない。もし猫が仰向けに寝ているところを目撃したならば、それなりに異常さを感じるのではないか。

しかし猫なんて人間より上位にいる場合もまあまあある現代、猫が仰向けになって寝ないとも限らないか……人間の社会が存続できるのは、猫が仰向けになって寝る日まで。

睡眠は死に似ているとされる。

目を瞑り、呼吸が穏やかになり、身じろぎも少なくなる。体温は上がるが、遠くから見れば死体と見分けがつかない。

また情報の伝達や、仕事をしたり創作をしたり、何かをこなすことができる存在を"生きている"人間とするならば、睡眠したまま起きることのない人間も死んでいると言えるのだろう。

睡眠や気絶はそのまま死なのではないか、と考えていたことがある。意識が断絶するからだ。

スワンプマンの喩えを出そう。記憶が連続していて体の構成も同じだが、明らかに由来が別人と言える存在は"同一人物"と呼べるのか。

本人は自覚していないだろうし、そもそも他人から見れば見分けようもないのだから当然同一人物と世界には解釈される存在。こんなに同一人物であるのに別人である理由は、意識の所在が一旦有耶無耶になっているからだろう。

これが「自分の体と隣にあるクローン体の間にパイプを繋ぎ、意識を移す実験」なら大抵の場合文句なしに同一人物になりそうだ。途切れるのが良くない。その瞬間、自分はどこへ行くのか?複製された自分が後に入り、前の自分は消えてしまうのではないか?という懸念。

ワープ装置、とされているものに入るとワープ先の装置で体が完全に複製され、元の体は処分される、という形式の思考実験もある。これもまた、意識の所在が問題になる。

睡眠もまた、それと何も変わらないのではないか。どうして睡眠のたびに意識が消滅し、次の朝脳に保存された記憶からまっさらな人格が生み出されるとは考えないのか?寝る前と起きた後で考え方が大きく変わることもままあるだろうに。

そう考えると夢とは意識の走馬灯なのかもしれない。今日の終わりに消えていく儚い私の断末魔。それが今朝見た文学少女たちがカヌーで河下りレースをするあの変な世界ならば、とてもとても素晴らしいものだ。


べちょわ


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