残像日記 3/9

残像日記とは?
 → 前日の内容書いたメモから適当にまとめた日記


日記書かなきゃ〜

義務感を持ったものが続いた試しがない。いや、関係ないかもしれない。今までこなしてきたことのほぼ全ては途中で飽きて投げ出して終わっている気がする。

楽しむゾーン(行動開始、やる気あり)→義務感のゾーン→飽きのゾーン(終了、やる気なし)を繰り返してきた。続いてるのは呼吸とか食事とかそういうのだけかもしれないな。

この前「流れ」が無いと文章が書けない、ということを書いた。この「流れ」は付け加えて言えば「思考の流れ」のはずだろう。書きながら続く言葉を考えている。文字に起こすこと、言語化することで思考と呼べるようになる。そういった体験が私は多い。

文章を書くこと、言葉のつらなりでものを考えているということは、飛躍が少ないということでもあるだろうか。前の文章、もしくは脳内にある既存の文章を参照し、その発展でしか話題が続かない(こんなに当たり前のこともない!)。

もし話題が急に変な方向に飛んでいったように見えたとして、本人の中では確かに繋がっているはずなのだ。そこにあるのは感性の違いでしかない。所詮同じ人間という種の認知には変わりがない。

飛躍がないというのはもちろんデメリットでもある。文章の思考ならば、よく練られた発想はできるだろうし、「良い」とされるアイデアも作れるはずだ。それらは既存の文章の発展上に存在する。

だが、思考の枷がかけられている。まとまりのある形でしか出力できない。どこかに意味や価値を無意識のうちに求めてしまうところがある。そして「感性」と名のついた思考のレールをなぞっている。

だいぶ前から、感性とは思考のレールなのだと思っている。哲学もかなり近い場所にあるのではないか。考え方の体系のことをそう呼んでいる気がする。

いやちょっと違うか?感性=思考のレールだとすれば、巨大な感性という丸の囲いに哲学や芸術や科学やエンタメの全てが乗っている形になるかもしれない。ベン図で言えばそうなるか。

人間は言葉によって、記憶や意志や考えそれ以上の概念、つまり感性、考え方の体系そのものを伝えようと努力してきたのではないか。音楽も絵画も哲学も、ただ消えていく私たちが耐えられなくて生み出した遺伝子の一つなのかもしれない。

哲学書を読むことで真に得られるのは、徳の高い教えでも現状を打開するアイデアでもなく、過去の賢人が辿ってきた思考の道筋そのものだ。

だから考えない人(考える必要がない人)には本当に無用の長物だと思うし、まるっきり他人の思考のため難解だし、退屈だろう。加えて、まず完全に理解することなどできない上に即効性は皆無。これはいただけない。

言語にも近いところがある。日本語の体系と英語の体系では思考の流れがまるで違う。日本語の曲を聴いた後と、英語の曲を聴いた後ではたぶん思考の流れがほんのちょっと変わっていると思う。言葉とは広く流布された哲学なのかもしれない。そして異文化交流は難しい。

うーん、文章に依らない思考は直感かもしれない。私は、それは感性でもないと考えている。やはり感性はレールだ。直感は跳ねる。

夢はかなり直感的だ。脳と思考がどろどろになった感じがして、発想や出来事は偶発的に生まれる泡のように儚く突破力に優れる。

私は夢日記を気まぐれにつけているが、ここで問題がある。ノートなりスマホのメモなりに夢を言語化する際、どうしても私の思考のレールに落とし込まなければならないのだ。私の目で見たものには、私の解釈が混ざってしまう。これは絵でも音楽でも同じだろうし、今のところ思いつく解決策は、他人に私の夢を直接見てもらうくらいしかない。

注意すべきは、「夢」も「ひらめき」と呼ばれるものも、それまでの経験と考えてきたことの集積によるカオスの沼からニュって出てくるものなので、真に無から生まれているものではないということだ。

残念ながら、世界のコラージュ以外に私たちが思考する方法を思いつかない。この世界から飛び出せないのはとても残念だ。外側にいる誰かの手を取る必要がある。

なんかここまで書いたこと、高校の私の思考の再生産かもしれない。思考のレールがあまり変わっていない。今のところ経験も本も入力が弱いのかも。あんまり外にも出ないからなあ。

「私の考えは私の言語で記述されるべきだ、それが最適となるはず」としてオリジナル言語作ろうとしたり(途中で飽きて頓挫)、「私という人間が作り後に生まれる外側の神(世界から飛び出すため)を妹としよう、そういう宗教だ」って考えてオリジナル宗教も作ろうとしていた(飽きて頓挫したが、これはそういう小説みたいな感じでリブートしてもいい)。

やっぱ高校の私は無敵でいい。今よりはるかに直感的で、思考が強かった。あとだいぶヤバかった。授業中に考えてたことで面白くなって爆笑したり、5分前にはニコニコしてたのに突然泣き出したり(これは本当に意味なく、泣きたい気分だったから泣いていた)。本当に世界に自分しか存在しないのだと信じ込んでいた。今はもう、ああはなれない。怖いので。

弱くなったな〜。あと典型に落ち着いてつまんなくもなった。なんなんだ、友人0サークル入らないオタク大学生って。そのまんますぎるだろ。意外性のかけらもない。

ああ、でもつまんねえって大昔一番最初に言い出した奴が人類史上初つまんなくなった人間だから、つまんないって言わない方がいい。そう思う。

今日は文を書きたい日だったので、気の済むまで書いた。この半分の意欲でも明日明後日に持ち越せないものか。まあ、無理だって知ってるから今日出し切ったのだが。書きたい日に書くのが一番いい。

私のイメージソング、今日はこれでお願いします。


最近あまり良くない。なんか、全体的に。
無敵でいたい……ので。
まだ踊る。

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