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残像日記 3/4

残像日記とは?
 → 前日の内容書いたメモから適当にまとめた日記


昨日の日記が酷すぎる。しかも日付の変更に間に合ってないから投稿は今日になっているし。

書くことがない、というよりは選別する時間がないという方が正しいのではないか。書こうと思えば周囲で起きた出来事、あやふやながら考えていたこと、昨日見た夢など適当はいくらでも述べられるはずだ。

日記というフォーマットに落とし込み、世界中に発信する上で適切かどうかを見定める時間、と何より読んでそれなりに得した感じがするかどうか確認しなければならない。そこに時間を吸われるのではないか。

と、こんな感じでどうでもいいことをべらべらと続けられるわけだし。

「もう逆に生声で配信したいかも」というツイートをした。いいねが付く速度が若干怖かった。でも配信とかをしたいのは事実だ。

なんらかの形で社会に関わっていかなければならない、という切迫感がある。逆に、なかったらマズい。今はまだ学生をやれているが、もうそろそろ(というかもう成人だ)何かで身を立てていかなければならない。

「できないから」という殻はもはや盾にならない。「できない殻」にしてちょっとウケ狙ったわけではない。エサを探しに行けないともう食いっぱぐれる時期になってしまったからだ。この体に価値を持たせないと生きていけない。今のはからだと体と殻をかけてウケを狙った。もうカラカラだ←?

そんなこんなで配信でお金を稼いでこの先ハッピー、と考えている……わけではない。まあ稼げるわけない。配信するくらいなら文章書くバイト探したり小説投稿サイトとかで頑張った方が幾分かマシだと思う。

ではなぜ配信なのか?それは「自分」というコンテンツがフルに使用される場であるからだ。

ここから先、私は私であることをやめられないだろう。「自分」に価値を持たせなければ、信用が無ければ働けないからだ。どこの誰でもよかった私にはもう戻れない。

加えて言うならば、私はあまりにも自分が曖昧な存在であることに委ねてきた。私が飲食店に入るのが苦手なのは、私自身自分のことを「世の中から見て、ここに人間が一人いる」と認識しないようにしてきたために、拒絶される、もしくは無視されてしまうのではないか、という恐れを持っていたからだ……という発想が出てきた。

自分が客体にとって本当に存在し正面から見られる立場にいるということを否定したい欲求が強すぎたのだと思う。だからファッション関係が苦手……というか、見られることを前提とした概念への拒否感があった。

小説であれバイトであれ「自分」を利用し、その社会に自分をねじ込んでいく過程には過ぎないのだが、それらから理解を得るにはあまりにも世間知らずすぎやしないだろうか。幼稚な私がそれらに耐えられるだろうか?

だいぶ話が逸れた気がする。配信というコンテンツは、基本的に「自分」を売り込んでいくものだ。ゆるいオーディションが永続していると言ってもいい。そこに私がいなければ成立しないものごとだ。

配信によって、ダイレクトに私は私を図ることができる。そうだ、去年のこれくらいの時期、私はラジオを撮ろうと思い立ったんだった。大体同じような思考をなぞって、客観を得ようと画策したはずだ。

まあ、今こうやって日記で再発明をしているのだから、ラジオなんてやっていないのだが。声がどうしても気に食わなかったんだ……それでも声を出してみようと思えたのは、この前ボイスチャットに参加したり人生初カラオケに行ったからだと思う。どこかのタガが外れたか、ぶっ壊れたかなんかしたのだろう。

なんかうだうだ書いてたら無駄に長くなってしまったな。結局私がVtuberみたいなことして~よって話に帰結するつもりだったんだが。高く飛び過ぎて着地点が見えてこないから、今無理やり地面の方から近づいてきた。

「絵が動くこと」はVtuberの本質じゃないと思っているので、立ち絵や一枚絵を適当に用意して、そこに声を吹き込ませれば私もVtuberになれるはずなんだ。必要なのは「配信者」としての人格、存在なのだから。中身さえVtuberをやるものとして成立していれば問題ないはずなのだ。

やろう……やろうよ。美少女一枚絵に男のオタク声入れた雑談配信しようよ。この先人生に何があるか分からないけれど、これは一度通らなければならない茨の王道だと思うんだ。

そして、なんか知らないけど人気になって、動く立ち絵付けて、古参勢に「立ち絵が動くと気が散るなあ」っていうマシュマロをもらうんだ。


もちろんこの日記もまた私を最大限利用するコンテンツ。だから高校卒業とともに、日記を公開する形で残すことに意味を見出したんだろうな。まあ、初期の方の日記は全部消しているが……


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