篠山紀信 この字を正しく読めますか?
時代を写した写真界の巨匠
スマホカメラの進歩に「はっきり言ってあきれるほど」
2015年6月、楽天モバイルのHuawei製のAndroidスマホの発売記念イベントにゲスト出演した写真家の篠山紀信氏は、昨今のスマホのカメラの進歩について、「はっきり言ってあきれるほど」だと話したそうです。
写真が発明されてから180年の進歩の中で、デジタルカメラの登場が一番大きな変化とした上で、「今は、(デジカメが)スマホになって、ポケットからふっと出して、空気のように写真が撮れる時代。これはすごいこと」と絶賛したと言います。
時代を映し続けた偉大な写真家の功績を追ってみたいと思います。
本名 篠山紀信(しのやまみちのぶ)
2012年の開幕以来、全国各地27会場で開催された「篠山紀信展 写真力」際の取材で当時77歳の篠山紀信さんは次のように取材に答えています。
・長年、美術館で自分の写真を展示することに反発があった。「権威的で威圧的な建物の中で、額に入れた写真を飾って鑑賞する。つまらないじゃないか」
・近年、美術館での展示が続いているため「美術館はくだらないなんて言えなくなっちゃった。美術館はいい!」
・展示しているのは、約50年にわたって雑誌や写真集などで発表してきた作品。自らの企画ではなく各媒体の注文に応じたものがほとんど。「50年も続けていると、時代が生んだ人たちが並ぶことになった」
・「写真が、その時の自分や時代を思い起こさせる装置にもなる。時代が見えてくる」
・休みの日は寝ていると断言し、趣味はない。「お気に入りは、あした撮る写真だね!」
次に撮る写真が、どんなものになるかは分からない。あくまでも仕事としての依頼であって、媒体が求めているものを狙い通りに撮るだけ。「どんな写真になるかは、時代に聞いてもらいたい」
・「写真力」の会場には、2011年の東日本大震災で被災した人々のポートレートも展示。「カメラの前に立ってもらってシャッターを切っただけ。でも写真にはその人の心境が表れていた。それも一種の写真の力だと思う」
このように、長らく商業写真の世界をリードしてきた写真家だけが言える説得力のあるコメントが残されています。
写真家 篠山紀信(しのやまきしん)
1940年東京都出身。日本大学芸術学部写真学科在学中から広告制作会社ライトパブリシティ写真部で活躍。61年、日本広告写真家協会展公募部門APA賞を受賞し、脚光を浴びる。68年独立し、フリーとして活動。
「篠山紀信と28人のおんなたち」をはじめ「Santa Fe」など300冊以上の写真集を刊行。
1977年
977年、篠山さんは山口百恵さんを山中湖の湖畔で撮影し、沈みかけたボートの上に体を横たえた山口百恵がアンニュイな表情を浮かべた最高傑作を激写しました。
そのときの山口百恵の表情について篠山さんは「どうやって撮ったのか、なんと言えばこういう表情をするんですか」とよく聞かれると言い、山口百恵さんが人気の絶頂で、一番忙しく売れているときで、篠山さんはそこで「GORO」など、3誌分の写真をまとめて撮影していたといいます。プールで泳いだりご飯を食べたりと、長い撮影の果てにこの写真は撮られ、「単に百恵さんは疲れていたんだと思う」と冗談めかして、後年本人が解説しています。
1980年
1980年11月17日に発売されたジョン・レノンとオノ・ヨーコのレコード『ダブル・ファンタジー』のアルバムジャケット。このジャケットに使用された写真も篠山さんの手によるものです。
この写真撮影のエピソードについて、オノ・ヨーコさんの公式サイトでは、次のことが明かされています。
1990年
時代が平成に変わり、91年には樋口可南子さんが「Water Fruit」で、他に先駆けてヘアヌードを解禁。当時18歳でトップアイドルだった宮沢りえさんも写真集「Santa Fe」でヘアヌードを披露し、社会現象を巻き起こしました。「Santa Fe」は全国紙への全面広告でも話題を呼ぶなど155万部を売り上げ、同年のベストセラー7位を記録しました。
宮沢りえさんは1月5日に、自身のインスタグラムのストーリーズを更新し、4日に83歳で亡くなった篠山さんと笑顔で映る2ショット動画を投稿して追悼をしました。
2015年7月26日放送のトークバラエティー「ヨルタモリ」(フジテレビ)は、神回と呼ばれ、ゲストに篠山さんが出演。
トークでは、「りえちゃんが初めてヌードになるってことで、私は神聖なカメラで撮ったほうががいいんじゃないかと思って新品のカメラ買って持っていったの」と当時のエピソードを披露。
一方の宮沢さんも「美しいものは美しいときにとるべきだ、っていう母親の説得があった」と告白し、「私も『うーん、まあそうね』」と穏やかな口調で説明しました。
1996年
1996年、朝日出版社から出版された「宝生舞+篠山紀信」。1999年には新編集による「アクシデントシリーズ13」として再販売されている。
シリーズとして刊行された写真集は全15冊で、「樋口可南子」「荻野目慶子」「葉月里緒菜」「宮本はるえ」「永井流奈」「宮沢りえ」「本木雅弘」「吉川ひなの」「大輝ゆう」「小板橋愛美」「高岡早紀」「大竹しのぶ」「宝生舞」「国舞亜矢」「森下璃子」といったそうそうたるメンバーの写真集となっている。
1997年
1997年に新潮社から出版された「少女たちのオキナワ」は、次のように紹介されています。
2000年
デジタルカメラの普及が始まった2000年代、篠山さんは、デジタルカメラを用いて撮影した場合は、「シノヤマキシン」(2000年頃)「しのやまきしん」「digi_KISHIN」(2003年頃)と言う別名義を使用することもありました。
篠山さん自身「僕は60年ずっと、休みなく写真を撮り続けているし、写真のタイプも表現方法もテクニックも、テーマごとで全部違う」と述べています。
2010年
日本経済新聞の記事を2つ引用します。
時代と共に生きた写真家
晩年、篠山さんが「fashionpost」で語ったインタビィーより、篠山さんの言葉を引用して、ご冥福をお祈りいたします。
最後に、篠山さんの74年に「アサヒグラフ」に連載した写真をまとめた「晴れた日」(平凡社)という写真集があります。
ちなみに、2021年6月に行われた集大成といえる作品展のタイトルは「新・晴れた日」で、本人曰く、作品展のタイトルが決まる前に、真顔で東京都写真美術館の担当者に提案したそうです。
「で、『写真の墓場』というタイトルでどうですか? って言ったら、『いやー、それはちょっと』って」
そんな、晴れた日にちなんだ、本人の言葉が胸に響きます。
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