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21世紀のためのデザイン

本記事は、パーソンズ x コロンビア大共催による、オムニバス式名物講座 "Design For This Century" の内容をダイジェストでお届けするものです。

「ようやく」と言うべきか、「あっという間」と言うべきか、アメリカに来て最初のタームが無事終了したので、冬休みの間に学んだことや自分の新しいデザインの「レンズ」を、忘れないうちに書き留めておきたい。

この記事では今学期の授業の一つ「Design For This Century」の内容をかいつまんでお届けする。学内外の著名なデザイナー・地理学者・未来学者・哲学者・人類学者などがオムニバス形式で語るこの領域越境型の授業は、21世紀のデザイナーとしてどのような視座や哲学が必要なのか、多くの示唆に富む内容だった。多くのトピックがあるので、キーワードとハイライトを簡単にまとめる。深く熟考するというより、「感じて」頂ければ幸いだ。

見ることと権力 (Vision and Power)

「見る」という行為をクリティカルに捉える所から初回の講義は始まった。
18世紀、イギリスの哲学者ベンサムが構想した全展望監視型の監獄パノプティコンは、囚人に「常に監視されている」という意識を持たせることで、囚人自ら主体的に行動を律することを促す。

フランスの哲学者ミシェル・フーコーはこのパノプティコンを監視社会の比喩として、管理・統制された環境は人間の主体性をコントロールすると批判した。つまり見る・見られるの関係は力関係を発生させるのだ。

これは21世紀のSNSによるデジタル監視社会の中でも同様だ。我々はSNSの中で常に衆人の監視環境下にあり、何を見せるか、どう見られたいか、人々はインスタ映えを気にするようになった。21世紀のデザイナーはこうした見る・見られるのパワーバランスをデザインする

監視資本主義 (Surveillance Capitalism)

監視は資本にもなる。グーグルやフェイスブックのビジネスモデルは、サービスを利用している我々の行動やログを監視し、蓄積し、パターン化し、それをデータ化して売っているのだ。21世紀のデザイナーは監視社会というテーマに対しどうアプローチするのか、個々人が考える必要がある。

こうした監視社会から逃れるためのクリティカルな作品を発表するデザイナーもいる。アダム・ハーヴェイの「CV Dazzle」は、カメラによる顔認識ができないようにして、プライバシーを守るためのメイクアップ術だ。

記号←→意味 (Signifier and Signified)

スイスの言語学者ソシュールが定義したシニフィアンとシニフィエは、万物には記号的側面(Signifier)と意味的側面(Signified)があることを教えてくれる。我々が普段テキストや音楽・画像を見るとき、そのモノ自体は記号でしかない。我々の恣意的な解釈が意味を作るのだ。

常に問いかけよう。デザイナーとして、自分が創っているものは記号なのか、意味なのか?制作物なのか、コンセプトなのか?

存在論的なデザイン (Ontological Design)

人類学者エスコバーが「Designs for the Pluriverse」で提唱するオントロジカル・デザインは存在論的な共創のあり方を示している。エッセンスを一言で言えば、我々がデザインする全てのものは、跳ね返って我々をデザインしているのだ。

だから商業的・近代的・機能的なデザイン (Futuring)ではなく、人類に還すデザイン、人と環境の共創のためのデザイン、森羅万象の動的平衡のためのデザイン (Defuturing)をしよう。デザインは我々に還ってくるのだから。

それは禅的なデザインとも言えるかもしれない。世界のあらゆる全ては「あるがままに」繋がっていて、人とモノ、動物、環境…。その間には境界も中心も、元々無いのだ。

サイボーグ宣言 (Cyborg Manifesto)

驚くべきことにダナ・ハラウェイが1985年に発表した「サイボーグ宣言」の中でも、すでに脱人間、脱性差といった大胆な命題が打ち出されている。

「現代人は機械と生物の混合体(サイボーグ)になってしまった」という非自然主義的な人間観は、21世紀に来て改めて我々に問いかける。
「ユーザー中心」「人間中心」デザインに我々は教義的に捉われているが、21世紀のデザインも、人間が中心であり続けた方がよいのか?
いや、そもそも中心は必要なのか?

「人間中心」の考え方自体をクリティカルに捉える態度も必要なのではないだろうか。

中心のない物語 (Decentralized Storytelling)

20世紀の物語は、作者がいて、決まった放送局があって、中央集権的な配信者から発信されるコンテンツを楽しんでいた。しかしマインクラフトやYouTube、Twitchなんかを見ていると、それぞれ個人がそれぞれの物語を展開していて、それぞれにオーディエンスがいる。21世紀の物語に中心は無くなる。もしかしたら二次創作や同人文化も近いものがあるかもしれない。物語が次の物語を生み、繋がり、世代を超えて継承されることも珍しくなくなる。Homestuck (アメリカで人気のWebコミック)の物語なんて、それはもうさながら小宇宙。

能力のリフレーミング(Reframing Ability)

ここまで様々な脱中心、脱境界、全体主義的なデザインを語ってきた。ユニバーサルデザイン、バリアフリー、インクルーシブデザインなんかの分野はどうだろう。素敵な考え方だが、まだ「健常者」と「健常者でない人」の間に境界が無いとは言い難い。障がいがある (Disabled) と捉えるのではなく、違ったやり方ができる (Differently-abled)と捉えよう。

草の根的デザイン (Grassroots Design)

アメリカのソーシャルデザイナー、ポール・ファルゾンはアフリカのウガンダにおいて若者の政治・社会への関心を高めるため、ラップに乗せてニュースを届ける世界一ユニークなニュース「NewzBeat」を放送している。この試みは若い世代の獲得に成功し、今やアフリカ3か国に放送地域が拡大している。
大量生産・既製品のプロダクトではなく、その土地、そのコミュニティ、その人に究極に寄り添った草の根的デザインが社会や国を変えていくだろう。
こうしたデザインをするには、その土地に住み、文化を知り、何度もプロトタイプを重ねながら、その土地のユーザーと一緒に作り上げていく必要がある。(とてもファニーなので動画をぜひ見て欲しい)

シビック・サービスデザイン (Civic Service Design)

市民と政府がコミュニケーションし、一緒にサービスや政策を作っていく試みも広がっている。2017年10月にNY市直下にサービスデザイン専門の組織が立ち上がり、フルコミットのデザイナーが市の問題解決に当たっている。しかも現在のヘッドディレクターは日本人のMari Nakanoさん。

https://civicservicedesign.com/

理想郷としてのゲーム (Diving Utopias Through Play) 

ゲーマーゲート騒動が示すように、ゲームは社会とともに変わり、また社会を動かす力を持っている。欧米ではゲーマーやゲーム企業従業員の男女比に差が無く、従来のような、いかつい主人公にセクシーなヒロインといった、男性主体の表現に対し様々な不満や議論が立ち現れるようになってきた。このようなゲームが社会を動かす潜在能力をポジティブな方向に働かせ、ゲームの没入感やインタラクティブ性を活かし、世の中を批評したり、誰もが参加して理想郷を議論する手段としてゲームは有効な手段になる。マティー・ブライスはゲームを用いたアクティビストだ。

地球規模のスタック (The Stack)

ダン&レイビーなども参加するロシアの新しいスペキュラティブプログラム「The New Normal」のディレクター・ベンジャミン・ブラットンの著書「The Stack」は、普段我々が何気なく使っているアプリが、1秒とかからないうちに結果を返してくれる裏側には地球規模のネットワークとメガインフラストラクチャーがあることを思い出させてくれる。ブラットンはこの惑星規模の包括的コンピューテーション・ネットワークを下図の6階層のスタックとして提唱し、新しい地政学的なアーキテクチャモデルを打ち出した。
我々が21世紀デザインする/すべきなのは、何でしょうか?

人新世のバックループ (Anthropocene Backloop)

パーソンズで人類学の教鞭を執るステファニー・ウェイクフィールドによると、地球の歴史規模で見ると、地球や人類史は下図のような大きなループを繰り返しながら今の人新世(Anthropocene)に来ているという。このループは前面のフロントループ(繁栄・保存)と、後面のバックループ(解放・再構成)から成り、間氷期と氷河期のサイクルも、恐竜文明も、人類の文明も、全て「ループ」の中にある。

その中で今我々人類はすでにフロントループではなく、バックループに入っているという。劇的な繁栄・進歩のステージが終わり、今考えるべきことは、今まで積み重ねてきた繁栄・進歩をどう変えずに保つかではなく、どう変わっていくかだ。地球規模のスケールで、もはや保ち続けるステージに我々はいないのだから、考え方や生き方を変えていくしかない。バックループは衰退期ではなく、新しい・次のフロントループを探すチャンスなのだ。

世界政策 (Cosmopolitics) 

パーソンズで「Post-Planetary Design」を教える未来学者エド・ケラーは、社会学・地政学・生物学の見地から1000年後の世界のシナリオを4つに分類する。中立的世界政策 (Newtral Cosmopolitics)、ディストピア的世界政策 (Dark Cosmopolitics)、直交的世界政策 (Orthogonal Cosmopolitics)、そして共感的世界政策 (Empathic cosmopolitics)だ。未来のテイストに差異はあれど、未来に向けて考えなければいけないことは、惑星規模の動的平衡だ。

おわりに

長らくお付き合いいただきありがとうございました。
以上、個人レベルからシステムレベル、そして地球レベルまで、これでもほんのエッセンスを紹介したのみであったが、21世紀のデザインを読み解くキーワードを様々な粒度で挙げてきた。日本ではあまり聞かないワードもたくさんあり、見識が広がった気がする。全体を通した個人的な所感としては、デザインのプロセスとしても、成果物としても、境界のないデザイン、中心のないデザインが21世紀には必要になってくるのではないかと思う。人間同士の性別や文化、身体的特徴はもちろんのこと、人とモノ、人と環境、人と機械、あらゆる境界が溶け合い、無くなり、物理的・精神的にあらゆるものが「あるがままに」相互に依存しながら、地球という1つの総体として生きていく。そんな未来が21世紀の1つのユートピア的なシナリオなのかもしれない。

次はじゃあそれをどうやって作っていくかということになるが、それをパーソンズにいる2年間で実践としても迷走しながら模索していきたい。目下はオブジェクト中心デザイン(脱人間中心デザイン)、ユートピアデザインといった世界観で作品を作っているので、また別の機会に発表したいと思う。

何か心に引っかかるキーワードがあれば幸いである。批評・感想等もお気軽にお待ちしております。

Design for This Century 個人的備忘録用クレジット
9/6 Vision, Representation and Power (Melanie Crean)
9/13 Co-design (Marisa Morán Jahn)
9/20 Challenging narratives of ability & disability (Alice Sheppard)
9/27 Indigenous culture, media & creative resistance (Amelia Winger Bearskin)
10/4 Gender violence, pop culture, resistance (Ram Devineni)
10/11 Diving Utopias Through Play (Mattie Brice)
10/18 Civic service design (Ariel Kennan)
10/25 Machine vision and surveillance capitalism (Melanie Crean)
11/1 Local to global infrastructure (Marisa Jahn)
11/8 Migration and transmedia (Lina Srivastava)
11/15 Algorithmic democracy, Big data, Machine Bias (Melanie Crean)
11/29 Ecology, resilience & the backloop (Stephanie Wakefield)
12/6 User testing across cultures (Paul Falzone)
12/13 Post-planetary Design (Ed Keller)

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