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鰯崎友×born

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鰯崎友の個人note+WEBマガジン bornでの記事、作品をまとめました。
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#レビュー

『わたしの名は赤』イスラム細密画の世界にさまよう

16世紀のオスマン帝国の首都、イスタンブルを舞台とした物語で、そのことにハードルの高さを感じる人もいるかも知れないが、作者、オルハン・パムクの文章はそんなに難解ではない。オスマン帝国はこの当時、世界で最も洗練された文化をもち、欧州の諸国をリードしていた。 また、ヨーロッパ諸国としのぎを削ったイスラム教国家、というイメージがあるが、フランスとは長きに渡って同盟を結んでいて、ヨーロッパの政治に深く関わっていた国である。アジア、ヨーロッパを股にかける世界帝国だったのだ。 主人公

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』映画映画した映画のパワー

タイトルは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』だが、おじさんというよりお兄さんというかんじだ。インド人の青年バジュランギは、嘘が大嫌いで心のやさしい、ナチュラルポジティブな男だ。反面、ちょっとマヌケ、というかだいぶマヌケな性格である。猿の姿をしているという神様、ハヌマーンを崇拝していて、猿を見かけると条件反射的に拝んでしまう。勉強は得意でなく、体はごついが相撲は苦手だ。相手と組み合うと、体がこそばゆくなって、競技の途中で笑いが止まらなくなるからだ。昔のコメディにでてくる、ち

『線でマンガを読む』黒田硫黄

「恋人もいないし、クリスマスなんてなにも楽しいことないぞ!リア充爆発しろ」という方に、ぜひ読んでいただきたいマンガである。たぶん深い共感が得られることと思う。 黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』は、職業、学歴、恋愛などといった社会のステータスとされるものからはみ出た人間たちが、「天狗」を名乗り、やがて日本国を一大危機に陥れるカルト集団となる物語。怪しげな術を用いて天狗たちの長となる「師匠」と、主人公「シノブ」の師弟の愛憎の物語でもある。 『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 

『ボヘミアン・ラプソディ』天才と呪い

エンドロールがおわって、劇場に明かりが灯った瞬間に、拍手がおこった。誰もがこの映画の余韻に、1秒でもながく浸っていたかったのだと思う。いい年したおじさんやおばさんが、涙でくしゃくしゃになった顔を、少し恥ずかしそうにうつむけながら、ゆっくりと席をたつ。 いや、泣いていたのは彼らだけじゃない。私も泣いていた。妻も泣いていた。クイーンの歌を素敵だとは思っていても、当時の熱狂を知っていたわけではない。でも涙が止まらない。 劇場には、フレディ・マーキュリーがこの世を去った1991年

劇場版『フリクリ オルタナ』『フリクリ プログレ』

『新世紀エヴァンゲリオン』という90年代最大の話題作を生み出したアニメスタジオ・GAINAXにとって、エヴァ以降、どのような作品を作っていけばいいかというのは、結構たいへんな課題だっただろう。 『エヴァ』の監督の庵野秀明は、1998年の『彼氏彼女の事情』のあと、しばらくアニメ制作から遠ざかってしまった。最大の立役者が第一線から退いてしまったのだが、アニメファンの、GAINAXのSFアニメに対する期待値は天井知らずに上がっていた。私も『エヴァ』のイベントに通い、グッズを集めて

『増補 オフサイドはなぜ反則か』レビュー

まるで、地質学者のようだと思う。いや、私はべつだん地質学のことをよく知っているわけではないから、ほんとうは違うのかもしれない。でもイメージとしては、地質学をやっている。地層の断面をみて、そこに残された僅かな化石や層のズレから、ここは何万年も前には海の底だったとか、そういうことを推察する。それを、フットボールでやっているのが、この本の著者、中村敏雄なのだ。 ワールドカップ、日本は負けてしまったが、佳境を迎えた戦いを心待ちにしている方もたくさんいるかと思う。華麗なプレー、ゆずら

『花咲くころ』 友愛と抵抗のダンス

少年が少女に愛を告白する光景を、偶然あなたが目にしたとする。他人事なのに、こちらまで緊張してしまう。かつての自分の記憶を、目の前の二人に重ね合わせるかもしれない。 しかし、その愛のしるしが、「少女を誘拐する」ことであったら… 岩波ホール創立50周年記念作品として上映されている、『花咲くころ』は、ジョージア(グルジア)出身の女性映画監督、ナナ・エクフティミシュヴィリと、その夫であるジモン・グロスによって撮られた映画だ。エクフティミシュヴィリの少女時代、1990年代前半の思い

『ひなぎく』 女の子映画の決定版

最新の3DCGに、クリアな音響、カメラの性能も日々向上し、映画はどんどん進化してゆきます。名作とされる昔の映画を観て、なんだかチープだなあ…と拍子抜けした経験もあるかと思います。しかしながら、まれに、どんなに時代が変わろうともその輝きを失わない作品が存在するのです。『ローマの休日』を最新の機材で撮り直したら、あるいは『2001年宇宙の旅』を3DCGでリメイクしたらどうなるか。本家を超えることができるでしょうか。映画の歴史のなかで、ごく僅かな作品が、極北へとゆきついている。本日

線でマンガを読む・新学期直前スペシャル『唐沢なをき』

唐沢なをきのデビューは1980年代半ば。失礼ながら大ヒット作というのはないけれども、知る人ぞ知るギャグマンガ家として、今日に至るまで非常に長期間活躍している。短命に終わったり、途中からストーリーマンガにシフトすることの多いギャグマンガ家のなかで、この息の長さはおどろくべきものだ。タフさでいえば、中日ドラゴンズの岩瀬投手にだって匹敵するだろう。 唐沢の近作『まんが家総進撃』には、一般社会の常識から逸脱した、架空のマンガ家たちの数々の奇行が描かれている。笑いと悲しみが交互に襲っ

『15時17分、パリ行き』 世界最強の男の映画

最近、ジジイたちがアグレッシブだ。77歳の宮崎駿が短編映画『毛虫のボロ』を完成させた。80歳の大林宜彦は超アヴァンギャルド映画『花筐』を撮った。そして、海の向こうにも活発なジジイがいる。今年87歳を迎える、クリント・イーストウッドだ。 ご存じのように、イーストウッドは世界最強の男だ。彼は街を牛耳る無法者と戦い、ドイツ軍のタイガー戦車と戦い、いかれた連続殺人犯と戦い、年を取ってからは軍曹として若い兵士たちを鍛え上げ、再度、街の無法者と戦い、宇宙に飛び立って地球の危機を救った。

『シェイプ・オブ・ウォーター』 これから観にいく人へ 【デル・トロの演出を深読みする】

『シェイプ・オブ・ウォーター』、観てきました。評判に違わぬ力作で、とても満足しました。変化球と思いきや、美しい映像で語られる直球のラブストーリー。私、アカデミー賞授賞式のさいのギレルモ・デル・トロ監督のスピーチにちょっとうるっと来たのです。 「私が子供だった頃メキシコで育っていて、こういったことが起こるとは想像もしていませんでした。しかし、それが実現しました。夢を見ている人達、ファンタジーを使って現実について語りたいと思っている人達に伝えたいです。夢は実現するんです。切り開

フリオ・コルタサル【南米の大喜利名人】

ご存じラテンアメリカ短編小説の名手、フリオ・コルタサルの作品を読むとき、「これは大喜利だな」と感じる。「もし〇〇が××だったら…」と突飛なお題がポンと出て、それをいかに上手く料理して、お客さんを喜ばせるか、というメソッドが同じなのだ。 コルタサルの作品の、例えば『占拠された屋敷』は、「もし、自分の家をワケの分からない何者かに占拠されたら…」というお題に対するアンサーであるし、『南部高速道路』は「もし、高速道路で半年間つづく超絶的な渋滞に巻き込まれたら…」というお題についての

線でマンガを読む『売野機子』

マンガにおいて描かれる「美少女」とか「美人」の典型は、以下のようなものだろう。 (左:『火の鳥』手塚治虫  右:『恋は雨上がりのように』眉月じゅん) まず、目がとても大きい。顔全体の面積のかなりの部分を占め、瞳への光の入り方やまつ毛なども細かく描かれる。反対に鼻や口はできるだけさりげなく配置される。鼻の孔や唇は省略される。これは手塚治虫の時代から連綿と続くお約束だ。マンガ家の「キャラクターを描くときに、一番力をいれるのは、目」という旨のコメントは枚挙にいとまがない。キャラ

線でマンガを読む『西村ツチカ×岩明均』

変幻自在。西村ツチカにはこの言葉がふさわしい。物語によって、大胆にタッチを変える作家である。Gペン、ないし丸ペンを多用するが、同じペンでもまったく異なる雰囲気を演出する、高い表現力の持ち主だ。以下の4つの絵は、どれも西村の最新短編集『アイスバーン』に収められている作品から引用したものだ。ひとりの作家がこれだけ自由に絵柄を変えられる、ということに驚いてしまう。 (『アイスバーン』西村ツチカ 2017) アメコミのようなタッチから、少女マンガ的な繊細さまで、器用に操る西村だが