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自己紹介 オジサンおひさまができるまで



はじめに

日向坂46のファン、おひさまです。
もう還暦もぼんやり見えてきた歳です。。と言いながら、普段はXで色々ポストしてるのですが、長文を投げたくてアカウントだけ持ってたnoteに2つの記事を投稿しちゃいました。
順番が前後しますが、そもそもお前誰なん?ていうのもあるかと思いますので、自己紹介というか、これまでの自身とアイドルの関わりについての文章となります。
なんせ歳なんでその関わりってのもまた長いのですが、よろしければお付き合いください。
それと、私が実際に現地でお会いしている方の一部には既にお話しした内容が含まれていますので、そこもよろしくどうぞ。

アイドルに興味のなかった少年時代

物心ついた頃、世の中の女性アイドルといえば、
・中3トリオ(山口百恵さん、桜田淳子さん、森昌子さん)
・キャンディーズ
辺りが人気だったと記憶してますが、特に強烈なインパクトをもって歌謡界を席巻していたのはピンクレディーでした。
テレビで観ない日はなかったですし、学校では殆どの女子がピンクレディーの振りを真似て踊っていた頃。
そんな時代でしたが、私がアイドルに強く惹かれることはなく。
どちらかと言えば、仮面ライダーやウルトラシリーズに代表される特撮や、マジンガーZなどのロボットアニメに夢中でしたし、音楽もアニメの主題歌を聴く程度でした。
ところが1978年、5人組ロックグループ ゴダイゴの「ガンダーラ」「モンキー・マジック」が大ヒット。ゴダイゴは翌年私の観ていたアニメ「銀河鉄道999」の映画版主題歌もヒットさせ、小学校高学年以降の私の音楽的な嗜好もそちらの方へ傾倒していきます。
主にはアリス、山下達郎さん、甲斐バンド、松山千春さんなど当時「ニューミュージック」と呼ばれていたジャンル(今は死語ですね)を夢中になって聴いてました。
実のところ今でも音楽の好みの根っこは変わっていないと思います。

アイドル楽曲との接近

中学時代、松田聖子さん・ 中森明菜さんとアイドル史上に燦然と輝く歌姫が立て続けにデビューします。
前述したニューミュージックのアーティストさん達が大衆からの支持を確固たるものにしたタイミングでもあり、彼等がそれまで歌謡曲で括られていた歌手の方々へ楽曲提供する機会もかなり増えてきた頃。
聖子さんは松任谷由実さんや大瀧詠一さん、明菜さんは来生たかおさんや玉置浩二さん、井上陽水さんからの楽曲提供があったりして、私はアイドルの曲に興味を持つようになりました。
女性アイドルではないですが、大好きだった山下達郎さんが近藤真彦さんに曲を提供したのも大きかったと思います。
同時にそれまでなんとなくアイドルに抱いていた抵抗感のようなものが無くなっていきます。

河合その子さんとの出会い

高校3年になり、夏を前に部活も引退。。
暇になった私が家に帰ってテレビで放送されていたのがバラエティ「夕やけニャンニャン」。
番組から誕生したアイドル「おニャン子クラブ」の会員番号12番こそ、私の初めての推しメン(なんて言葉は当時ありませんてしたが)、河合その子さんです。
素人の女子高生っぽいノリが売りだったおニャン子クラブの中で一際異彩を放っていた整ったルックス、舌っ足らずな声と確かな歌の上手さ、ほんの少しでしたがキーボードを弾き語るスタイルなど、とても魅力的な方でした。
夕やけニャンニャンという番組自体が片岡鶴太郎さんやとんねるずさんの繰り出すパワフルで破茶滅茶な笑いが面白くて毎日観てしまうので、番組レギュラーだったおニャン子クラブのメンバーの個性にも馴染みやすかったのだと思います。
この辺はひなあいきっかけでおひさまになる、という流れと同じですね。
初めて買ったアイドルのCDが彼女の2ndアルバム「シエスタ」です。
このアルバム、4曲の作詞を秋元康さんが手掛けられています。
この辺から後の運命を感じるところもありますね。
その子さんは比較的早い時点でおニャン子クラブを「卒業」。
この時点で「推しの卒業」を初めて体験しました。
その子さんはその後も活動休止・引退まで9枚のシングル・6枚のアルバム・2枚のベストアルバムをリリース。
アルバムはまだ自宅のCDラックにありますよ。

高岡早紀さんの頃

今や高岡早紀さんと言えば「魔性の女優」としてお馴染みですが、芸能界デビューはアイドルとしてでした。
1988年、マドラスのCMと同CMソング「真夜中のサブリナ」でデビュー。
早紀さんは当時15歳でしたが、あどけなさが残りつつも大人びた雰囲気で岡田真澄さんとダンスをするCMのインパクトは非常に大きく、また「真夜中のサブリナ」はフォーククルセイダーズやサディスティック・ミカ・バンドで活躍された稀代の才能加藤和彦さんの作曲に奥様の安井かずみさんが作詞を手掛け、非常に音楽性の高い作品となっています。
早紀さんも元々バレリーナを目指していて、曲の表現やその後出演する映画の演技でも非凡なものを見せてくれていました。
一気に早紀さんのファンになった私はCDや写真集の購入はもちろん、映画関連の公開イベントを観覧したり、映画の撮影地が地元に近かったので訪れてみたり(聖地巡礼ですね)、ファンレターを送ってみたりと、かなりアイドルファンらしいことをやってましたね。
コンサートは行けなかったですが、彼女が出演するミュージカルは観に行きました。
(チケット代高かった。。)
また早紀さん以外にも、近所のショッピングモールの屋上のステージにしょっちゅうアイドルが来て歌ってくれたりしていたので、よく自転車を飛ばして観に行ってました。
(かなり大物の方も来てたのですがなんと無料でした!中森明菜さん生で観れたの感動しましたね)

アイドルから再び離れていた頃

大学を出て就職、社会人になった私は見栄っ張りのカッコつけたがりになります。
アイドルからはちょっと距離を置いて、渋谷系とかbeing系聴いてる俺カッケーみたいな勘違いに陥ってるころ。
(私は勘違いしてたと思いますが、アーティストさんの方はホントカッコよくてお洒落でクオリティ高かったです)
その頃のアイドル界は歌手よりは宮沢りえさん・牧瀬里穂さん・観月ありささんの「3M」に代表される女優さんの方が勢いがあったと思います。
その後、1998年にデビューしたモーニング娘。が「LOVEマシーン」を始めとする国民的ヒットを連発。
モーニング娘。に対してはその後開始された冠番組を欠かさず録画視聴するくらいにはハマっていたのですが、確固たる推しが定まらなかったのと、当時の一部メンバーにスキャンダルがぽつぽつと発覚したこともあり、熱が冷めてしまい、距離を置くことになります。
故に、その後の「プラチナ期」と呼ばれた時代のモー娘を全く知らないのですよね。
ここを体験していたら、私の推し遍歴はだいぶ違うものになっていたかも知れません。

AKB48の頃

ここまで書いて余りにも長過ぎることに気づきまして、これ以前の段落は実は大幅に書き直しました。。
(それでも長いですね)
で、AKB48さん。
AKBはヘビロテ新規でした。
それまで存在は知っていましたが、「ヘビーローテーション」でセンターを務めた大島優子さんに、これはもうイチコロって感じでやられてしまいました。
チャーミングなルックスに小柄な躰から繰り出す抜群のパフォーマンス。
ヘビーローテーション以前の絶対的エース、前田敦子さんを選抜総選挙で上回ってセンターに立ったというストーリーにも大いに惹かれましたね。。
握手会に行ったり、大島さんと並んで推しだった板野友美さんのデビューイベントに行ったり、初の東京ドームライブにも行きました。
ドキュメンタリー映画も観たなあ。。泣いたわ。。
AKBが出演するテレビは基本的に録画。
モバイルメールをとって、ぐぐたす(も、もう知ってる方少ないですよね)にコメントしたり、今の推し活に近いことやってましたね。
その後大島優子さんは2014年に卒業。
その後何人か推しメンはできましたが、彼女達も順次卒業。
絶対的な推しが定まらないまま、暫く時間が経過することになります。

坂道との出会い

ほぼほぼ録画していたAKB関連の番組の中で、「AKB48 SHOW!」というNHK-BSの番組がありました。
この番組、さすがNHKという感じで丁寧に作られてまして、毎週楽しみにしていたのですが、特別編として「乃木坂46 SHOW!」も不定期に放送されていました。
乃木坂さんはAKBの公式ライバルとして結成されたことは知ってましたし、何より松井玲奈さんと生駒里奈さんが交換留学生の形でそれぞれのグループに編入、生駒さんは選抜総選挙にも参加してましたので、追いかけてはおらずともその存在はしっかり認識していました。
(今思うと総選挙で生駒さんをランクインさせた乃木坂ファンの皆さん凄いなと思いますね)
で、「乃木坂46 SHOW!」。
普段は観てなかったのですが、たまたま観た2017年5月放送回で披露されていたのが「インフルエンサー」でした。
白石麻衣さん・西野七瀬さんのダブルセンターの圧巻の存在感、とりわけ西野さんの可憐な佇まいにすっかり魅了されてしまいました。
この回をきっかけに、この録画を繰り返し観つつ、「乃木坂工事中」も観るようになりました。

そしてけやき坂へ

乃木坂さんを観つつも、応援の中心はAKBさんだったのですが、結婚宣言やら新潟の問題やらとにかく色々起こりすぎて、そうなるとますます乃木坂さんっていいなと思う気持ちが強くなってAKBさんからも離れることに。
その頃は既に欅坂46もデビューしていて、「サイレントマジョリティ」 が一種の社会現象になっていることも知っていました。
ですが、ひらがなけやきのことはよく分かっておらず、アイドル好きの知人から長濱ねるさんの存在や成り立ちなどを教えて貰った程度でした。
が、ある日「乃木坂工事中」からそのまま「欅って書けない?」から「ひらがな推し」までテレビをつけていた日があり、そこでは宮田愛萌さんが「京子さん何やってるんですか!」と叫んでいました。。
他、順序ははっきりしませんが渡邉美穂さんの屈託ない笑顔に惹かれ、週刊プレイボーイの連載「ひらがなからはじめよう」のWEB版を読んで涙し(これ、書籍「日向坂46ストーリー」の原版です)、そして「期待していない自分」のMVを観たのがトドメでした。
正に「走り出す瞬間」、このグループを応援したい!と強く感じたときです。
あれからもうすぐ6年になりますね。
三坂推しを暫く続けていましたが、膨大なコンテンツを消化するには私は時間がなく、自然と日向坂の応援に絞られることになります。
この辺りの理由の殆どは理屈じゃないので中々説明できないのですが、いつか書き起こせる日がくればとも思います。

最後に

日向坂を応援するようになり、初めは「在宅ライトで十分」と思っていましたが、私の最推し金村美玖ちゃんが「ってか」で表題センターに登りつめたのを機にミーグリにも参加するようになり、渡邉美穂ちゃんのブログに導かれて東京ドームライブにも参戦。
以降推し活を続けておりますが、特に嬉しいことの一つはおひさま仲間が沢山増えたことです。
Xで絡んでくださる方、現地でお会いくださる方のおかげでとても楽しいおひさまライフを過ごせています。
これからも日向坂46の夢を応援しつつ、素敵な仲間が増えるといいなと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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